第一部 統一思想 第五章 教育論 : 二 教育の三形態 : (一) 心情教育

 心情教育は個性完成のための教育であって、神様の完全性に似るようにする教育です。神様の完全性に似るとは、神様の心情を体恤して、その心情を中心として生心と肉心が授受作用をなして一つになった状態をいいます。したがって被教育者に神様の心情を理解させて、それを体験を通じて感じるようにせしめる教育が心情教育であり、個性完成のための教育なのです。
 神様の心情の表現形態には三つあります。第一は希望の心情です。神様の宇宙創造の最終的な目標は最初の子女であるアダムとエバの創造でした。したがって創造過程における神様の心情は、子女を得るという期待と希望に満ちた喜びの感情でした。第二は悲しみの心情です。最初の子女であるアダムとエバが成長過程において堕落して、サタンの支配圏内に落ちたときの神様の心情です。それは人間世界において、子女を失って悲しむ父母の心情に比較することができますが、創造のときの期待と希望が大きかっただけに、神様の悲しみはそれに比較することができないほど大きかったのです。第三は苦痛の心情です。人間の堕落後、復帰摂理を推進される過程において、復帰歴史の中心人物たちがサタンとその手先たちから迫害され、蔑視され、虐殺されながら、苦痛を受けるのを見つめられるときの、歴史的な神様の恨の心情をいいます。
 心情教育は神様のこのような心情を被教育者に理解させ、体恤するようにせしめる教育です。特に復帰路程における神様の悲しみと苦痛の心情を教えることが重要です。そのとき、教師は言葉と行動を通じて神様の愛を実践して見せてあげなければなりません。そうすれば、教師の言行を受け継いだ生徒たちは日常生活を通じて神様の愛を実践することによって、神様の心情を体恤するようになるのです。