第一部 統一思想 第十章 論理学 : 二 「統一論理学」から見た従来の論理学 : (二) ヘーゲルの論理学

 ヘーゲル論理学は「思考の形式と法則」を扱う理論ではなく、「思考の発展の法則や形式」に関する理論です。ところで、その思考は人間の思考ではなく、神様の思考です。ヘーゲルは神様はロゴスまたは概念(絶対精神)と理解して、その概念が宇宙創造の出発点であると考えたのです。しかし「統一思想」から見れば、神様は心情の神様であって、心情を動機としてロゴスを通じて(手段として)宇宙を創造されたのです。そのとき、ロゴスは、神様の心の中に形成された創造の構想であるだけで、神様そのものではありません。
 ヘーゲルはまず、概念の世界における有−無−成の展開について説明しました。有はそのままでは発展がないので、有に対立するものとして無を考えたのです。そして有と無の対立の統一として成が生じるとしたのです。しかし、ヘーゲルにおいて本来、無は有の解釈つまり有の意味にすぎず、有と無が存在の次元で分けられているのではありません。ところがヘーゲルは有と無を分けてしまい、あたかも有と無が対立しているかのように説明したのです。したがってヘーゲル哲学は、出発点からすでに問題があったのです。
 その次に問題になるのは概念が自己発展するという点です。「統一思想」から見るとき、原相の構造において、概念は内的形状に属するのであり、目的を中心として、内的性相である知情意の機能−特に知の機能の中の理性−が内的形状に作用することによって、ロゴス(構想)が形成され、それが新しい概念になるのです。したがってロゴスや概念は、神様の心の中に授受作用によって形成されるもの(結果、新生体)であって、それ自体が自己発展するということはありえないのです。ヘーゲルはまた、自然を理念の自己疎外または理念の他在形式と見ました。これは汎神論に通じえる思考方式です。したがってそれは容易に唯物論へ転換されうる素地になるのです。
 またヘーゲルの概念弁証法においては、心情(愛)や創造目的が見られないだけでなく、ヘーゲルの神様は創造の神様ではなく、自然に発芽して成長する一種の生命体をモデルとしたものなのです。そしてヘーゲルは自然を通じて理念としての絶対精神(神)を見ようとしたのですが、「統一思想」は、神様とその実体像である万物との相似の関係を主張します。被造世界は神様の原相に似せて造られた対象世界なのです。このように神様と被造物間の存在論的な相似の関係をいう「統一思想」の見解を汎神相論というのです。