第一部 統一思想 第九章 認識論 : 二 認識の内容と形式 : (一) 対象の内容・形式と主体の内容・形式

 すでに述べてきたように、認識とは、第一に、外部の万物と人間の体(感覚器官)の間でなされる外的授受作用の段階と、第二に、人間の内部の体と心の間でなされる内的授受作用の段階を経て完了します。これは外的授受作用を通じて体の中につくられた外的映像と心の中の観念が授受作用をする段階をいいます。第一の段階の授受作用とは、対象である万物の内容・形式と人間の内容・形式の照合をいいます。人間は宇宙の縮小体であり、万物の総合実体相であって、万物がもっている属性すなわち構造、要素、素性などをすべて縮小した形で備えているために、この第一の段階の授受作用が可能なのです。ここで対象である万物の内容とは、事物の属性、すなわち形態、重量、長さ、色、音などをいい、形式とは、属性が規制されて現れるための、一定の型または限定性をいいます。すなわち属性が一定の型を通じて現れるとき、その型を存在形式といいます。
 そして人間の体にも、対象(万物)の内容・形式に対応する内容(属性)・形式(存在形式)が存在します。しかし主体である人間の体と対象である万物が互いに同じ内容・形式をもっていいるというだけでは認識は成立しません。ここに認識の第二段階である人間の体(外的映像)と心(観念)の内的授受作用が必要になります。認識は一種の判断であるために、人間の体を通じて認められた外部からの映像を判定する心の基準がなければなりません。すなわち認識は外部対象を判断する思惟現象であるために、主体の心にも内容と形式が備えられていなければなりません。主体の心の中に備えられている内容と形式が原型なのです。そして人間の体を通じて認知された万物の物質的要素である内容・形式が、心の中の心的要素である原型の内容・形式と最終的に照合されるとき、初めて認識が成立するのです。
 そのように第一に、人間の体の内容・形式は万物の物質的な内容・形式に対応し、第二に、人間の心的原型(観念)の内容・形式は人間の体の内容・形式に対応しています。この二段階の内容・形式の照合が認識の過程なのです。