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第一部 統一思想 第九章 認識論 : 一 「統一認識論」の概要 : (二) 認識の対象 |
認識の対象に関する哲学論争は、認識の対象(事物)が実際に存在するという実在論と、それは人間の心の中にある観念にすぎないという主観的観念論に区別されます。ところで「統一認識論」においては、実在論と主観的観念論が統一されています。「統一思想」はまず、認識主体である人間の外部に事物(万物)が客観的に存在しているという事実、すなわち実在論を認めます。人間は万物に対して主体であるがゆえに、万物を主管し、万物を認識します。したがって万物は主体である人間の認識と主管の対象として、人間と独立して、人間の外部に存在しなければならないのです。
一方、私たちが日常経験する事物の実在性を否定して、人間の意識に現れる観念のみを認める主観的観念論は、「統一思想」から見れば、認識の主体的要件である心の中の観念(原型)のみを認めるものです。認識は判断であり、判断とは一種の測定作用であると見ることができます。測定には測定の基準(尺度)が必要ですが、認識において基準になるのが人間の心の中にある観念であり、それを原型といいます。原型は生命体の意識が備えている心的な映像、すなわち意識(心)の中の観念を意味します。したがってこの心の中の映像である原型(観念)が主体となり、外部の事物(対象)からくる映像が対象となり、その両者が照合されれば認識が成立します。したがって「統一思想」の認識論は認識主体(観念)と認識対象(万物)の授受作用による照合論なのです。「統一思想」から見ると、主観的観念論の「観念」と実在論の「実在性」の二つは、いずれも欠かすことのできない主体と対象の必須要素なのです。