第一部 統一思想 第九章 認識論 : 一 「統一認識論」の概要 : (一) 認識の起源

 認識の起源に対する哲学的論争は、理性論と経験論の論争によって特徴づけられています。今日までの認識論は、認識の主体である人間と認識の対象である万物との関係を明確にできなかったために、理性論のように、認識の主体に重点を置いて、人間主体の理性を通じた確実な知識を強調したり、経験論のように、対象である事物に重点を置いて、感覚を通じて対象をそのまま模写することによって認識はなされるとしたのです。また理性論と経験論を総合しようとしたカントは、対象からくる感性的要素(内容)と主体が先天的にもっている思惟形式が、想像力によって総合、統一されて、認識はなされると主張したのです。
 これは主体(人間)がもっている要素と対象(万物)がもっている要素との総合によって認識がなされることを意味しますが、主体と対象の必然的な関係と、それらを総合する方法を正しく理解できていない理論であったのです。ゆえにカントは、主体である人間の思惟形式、すなわち範疇(カテゴリー)の範囲の中でとらえられる経験的な感覚世界だけが認識できるとしたのであり、「統一思想」でいう性相に該当する物自体の認識を否定しました。
 「統一思想」から見るとき、認識とは主体である人間が主管の対象である万物を判断する行為です。認識すなわち判断には「経験」が伴うと同時に、判断それ自体は「理性」の作用によってなされます。したがって認識には経験と理性が同時に必要なのです。そのように「統一認識論」において、経験と理性は共に必須的なものであり、両者が統一されることによって認識は成立すると見るのです。そして人間と万物は主体と対象の相似性をもった必然的な関係なので、人間は万物を完全にまた性格に認識することができるのです。