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第一章 蕩減・復帰原理の根拠 : 二 人間に責任分担がある : 1. 責任分担を下さった理由 |
神様が人間を愛されるとしたなら全天下が丸ごと屈服することのできる愛であり、権威を下さるとしたなら全天宙が彼に従い、完全に頭を下げることのできる権威です。そのような最高の愛と最高の権威を考えて人間に責任分担を下さったのです。
神様はどうして人間に責任分担を下さったのでしょうか。全知全能なる方なので、その全知全能な創造性までも賦与し、また永遠不変な愛の主体であられるので、その愛の主体を代表することのできる位置に立てるために責任分担を下さざるを得なかったのです。これは福の条件になるのです。全体を占領することのできる一つの鍵のようなものなので、これを下さざるを得なかったのです。しかし、この責任分担が問題になり、堕落したということを私たちは知らなければなりません。
人間は神様の創造の偉業に加担しなければなりません。もともと人間が堕落していなかったとしても、そのような責任はあるのです。堕落して人間の責任分担が設定されたのではなく、堕落していなかったとしても人間は責任を負っているというのです。人として完成することのできる神様の95パーセントの創造理想的形態をみな備えたとしても自分の5パーセントの責任を完遂しなければなりません。人間自体の完成を神様がさせるのではなく、自分がそこにプラスして完成しなければならない責任があるのです。堕落していなかったとしてもです。
私たちは再建するのではなく、再創造しなければなりません。神様の責任分担95パーセントに人間の責任分担5パーセントを合わせて新しくつくらなければなりません。
人間に責任分担をなぜ与えたのでしょうか。創造の偉業に加担することのできる権威を与えて、神様の前に対象的な価値を賦与するためです。それは驚くべき事実です。
原理には絶対性があります。原理には許しがありません。どうせ行かなければなりません。死んでも行かなければならないというのです。永遠に行かなければなりません。神様自身がこれを思いどおりにできれば、今まで復帰摂理の路程で受難の道を行く必要もないのです。しかしそのように制定しておいたので、責任分担的限界線のゆえに神様もそれにかかって今まで人間を復帰するために数多くの受難の道を歩んできたのです。その責任は神様にだけあるのではないということを知らなければなりません。人間と共同で責任を負っているのです。堕落しなかったとしてもそうだというのです。
人間が責任分担を果たすことができなかったことによって蕩減復帰という怨恨の言葉が出てきたということを知らなければなりません。蕩減復帰の過程では、絶対に神様も後援しないし、本部も後援しないので、一人でしなければなりません。助けてあげたら蕩減になりません。どうしてですか。人間の責任分担という原則があるのでその原則において、助けては蕩減にならないからです。それを助けることができたならば、人間が堕落するとき、神様が干渉して堕落しないようにしたでしょう。責任分担があるからできなかったのです。人間の責任分担があるからできなかったのです。
レバレンド・ムーンを神様が愛されますが、人間の責任分担を果たす過程で蕩減路程を行くときには神様が協助できません。私自身がサタンに勝って行かなければならないのです。サタンとサタン世界に勝って行かなければならないのが本来のアダムに許された理想圏でしたが、その理想圏を凌駕しなければならないというのです。
結局責任分担があるから蕩減も生じるようになったという事実を知らなければなりません。もし責任分担がなかったならば神様はいつでも主管することができるのです。堕落するとき、「おい、そうしたら駄目だ」と言うことはできますが、人間の責任分担があって、神様が干渉することができない立場にいたので、人間が堕落しサタンが活動するのを防止することができなかったという事実を知らなければなりません。
アダムとエバが、彼らが堕落する前に神様に先に尋ねていたならば堕落しなかったでしょう。「天使長がこれこれこうするのですが、どうしましょうか」と尋ねなければなりませんでした。そうしていたならば、神様が答えたはずです。この尋ねてみることが責任分担の5パーセントです。尋ねてみるのは自由です。しかし、尋ねないで横的関係を結んでしまったのです。それが問題です。尋ねないで行動したので問題が起こったのです。いつもそうです。皆さんは自分の責任分担の5パーセントを果たす自信がありますか。ないのにはしゃぐ雑多な鬼神が多いというのです。そのような精神をもって、いつ統一させますか。
人間には責任分担があります。神様が人間に責任分担を与えた目的は創造の偉業に同参させるためです。95パーセントは神様が造り、5パーセントは人間が造ることによって、創造するとき神様だけが創造したのではなく人間も自ら創造したという条件になるというのです。このような同等な価値を賦与するためのものが責任分担です。これが偉大なのです。人間だけに責任分担があるのです。しかし歴史始まって以来、責任分担を完成した人がいないというのです。責任分担、これを知らなかったのです。
能力の多い神様、全知全能なる神様、絶対的な神様がどうして地上に御自身が願う天国を実現できなかったのかということが問題です。神様が思うとおりにされたなら既に一瞬のうちにすべてこれを解決することができたでしょう。しかし人間が堕落したので、人間の責任分担が残っているので、人間がその責任分担を果たさずしては神様が願う天国実現が不可能なのです。
アダムとエバは愛を中心として完成しなければならないのに、愛を間違って、その責任分担に問題が引っ掛かりました。責任分担はすべての分野の過程にあります。目的を完成しようとすれば、過程を経なければなりません。過程には必ず責任分担が連結されるのです。それを知らなければなりません。ある時限的な過程を経るときは必ず責任分担があるのです。それを果たさないときには、すべてのものが破壊されるというのです。
アダムとエバがなぜ堕落したのかと言えば責任を果たせなかったからです。責任分担はアダム一人でできるのですか。まず神様を中心として神様と一つにならなければなりません。神様と一つにならなければ責任分担を完遂することができない、ということを皆さんは知らなければなりません。その次は原理と一つにならなければなりません。このような二つの条件が成立しなければなりません。
責任分担を完成しなければなりません。責任分担、責任という内容を喪失してしまいその世界に生きることができなかったのが恨です。血統転換という怨痛な、この悲運の運命をもった堕落の後孫になったことが気の遠くなるような悲痛な事実です。これを抜け出すためにはありったけの力を尽くして責任を果たした息子の姿、娘の姿として立ち上がり、神様に対してためらわずお父さんと言うことができなければなりません。
先生が行く道は泰山峻嶺(注:とても険しい峠の道)でした。いつ神様が手でも一度つかんで「おいおい、お前多変だな」と言われたと思いますか。夜も昼も保護し、喜んで迎えてくださると思いますか。見ながらもじっとしているのです。どこに行けという話もしません。教えてくださることができないのです。責任分担を果たさなければなりません。神様は本然の愛をもった人間を愛そうとしたのであって、愛を求めていく過程の人間を愛そうとはしなかったのです。
責任分担を完成した立場の人間とはどんな人間でしょうか。神様のように完全な人間だというのです。神様が95パーセントを創造しましたが、人間が共に100パーセント完成した創造の資格を賦与される立場に立っているので、人間の完成であると同時に神様の創造の偉業の完成になるのです。創造の偉業の完成であると同時にみ旨の完成であり、み旨の完成であると同時に神様の完成になるのです。このようなことが言えるのです。
責任分担を完遂できなかった私たちの先祖の罪によって死亡の深淵、どん底が生じたのです。サタンの愛の領域が天国の門の前の境界線まで連結され、直接主管圏内と間接主管圏内の違いをもたらしたのです。
責任分担を完成すれば、サタン悪魔がいなくなります。讒訴する存在がいないのです。この基準を越えられなければ讒訴条件があるのでいくら天上世界に、天国に入ろうとしても入ることができません。讒訴条件の内容をもてば入ることができないのです。絶対的な愛、不変・唯一・永遠の愛の内容を中心として神様の愛と関係を結んだ基準に立てばサタンがそこに讒訴条件を立てることができません。そのような立場に立てばサタンが居座ることができません。私が行けば、サタンがいても出ていかなければなりません。
アダムとエバが堕落しなかったならば、神様の体に和してその体を着て完成し、この地上で神様の愛によって直接主管圏と間接主管圏を連結させ得る責任分担を果たした愛の王になるのです。そうすれば神様はそのアダムの心におられ、アダムの霊は神様の体になるのです。一身になるのです。永遠に神様の愛と人間の愛を共に分かち、それを呼吸するのです。
人間が責任分担を完遂して神様と対等な立場に立とうとするのは、真の愛を授受するために、対等な愛を与えるためであり、同じ愛を授受するためです。互いに同じ立場で中心になり、同じ立場で授受するというのです。それを知らなければなりません。
堕落していなかったならば、責任分担は易しいのです。ただそのまま育てば思春期が来るようになっているので優しいのです。それは自然に来るようになっています。自然に来るので難しいことはないというのです。間違った愛によって責任分担が難しくなったのです。それでは責任分担の中心とは何ですか。神様が95パーセントの責任を果たし、人間が5パーセントの責任を果たして、人間が神様の創造の偉業を相続することだというのです。それでは相続するための中心とは何ですか。真の愛です。