第一章 蕩減・復帰原理の根拠 : 一 間接主管圏と直接主管圏 : 1. 間接主管圏

 統一教会の原理を見れば、間接主管圏と直接主管圏があります。しかし人間が堕落によって間接主管圏にとどまるようになり、直接主管圏には連結されていないのです。それで復帰摂理も責任分担ゆえに何度も延長されていくのです。それを知らなかったのです。直接主管圏に連結され得る神様の愛の園に行くためには間接主管圏で何をしなければならないのでしょうか。自分の責任分担を完遂しなければなりません。

 人間が成長するための間接主管圏を置いたのは、人間が成熟することを願う神様にとっては不可避なことだったということを論理的に解明できなければなりません。原理結果主管圏をなぜつくったのでしょうか。これをつくらなければ成熟したという限界、その時をつかむことができません。思春期という時をどこに定めるのかというのです。それで原理結果主管圏において、思春期になる時まで待つのです。ゆえに愛は、神様が全部干渉してはいけないのです。人間が必要とするものは何か言えば、絶対的な愛です。

 統一教会の原理という言葉は何を意味しますか。なぜ原理と言いますか。原理結果主管圏と直接主管圏の限界線をつくること、それが原理です。アダムとエバが長子として、蘇生、長成、完成圏に上がらなければならないこと、それが原理です。この間接主管圏内でも人間が完成するためには責任分担を果たさなければなりません。成熟するまでは絶対の愛の因縁を結ぶなというのです。大人になる前にアダムとエバがそれをしてはいけないのです。ですから限界線を定めておいて、「待ちなさい。取って食べるな!」と言ったのです。

 アダムとエバが堕落しないで、神様の前で間接主管圏を通過し、直接主管圏と連結され得る思春期になれば、すべての宇宙の力がここに和合できるし、ここに凝結され、作用するのです。その焦点で男と女が出会うと同時に、天と霊界と肉界が出会うのです。それは霊界で結ばれるのではありません。それで天国に入った人がいないというのも、この焦点に照準が合って写真を撮って(霊界に)行った人がいないということです。これはよく撮れていない写真と同じようにピントが合っていないのです。平面的焦点とともに垂直の焦点がぴったり中央に合ってぱっとやらなければならないのに、そのように写真が撮れなかったというのです。愛の完成的写真が撮れなかったということを知らなければなりません。分かるでしょう。皆さんの中で誰がそのような愛をしていますか。そのような夫婦になっているのかというのです。

 直接主管圏は、アダムとエバが愛を中心として同参することのできるところです。ですから間接主管圏は、まだ責任分担未完成圏です。責任分担完成と同時にアダムとエバが愛を中心として夫婦になって、神様は内的父になり、アダムとエバは外的父母となって内外に一つとなる時に初めて直接主管圏が設定されるのです。ですからこの過程では結婚が絶対に必要だというのです。独身では越えていけないのです。

 天国はどこから始まるのでしょうか。サタンを分立しただけのところで始まるのではありません。責任分担完成圏から始まるのです。それは直接主管圏、間接主管圏が責任分担を完成したアダムとエバを通じて初めて連結され、天の愛が地上の愛に連結されるのです。これが原理です。それができていないので、サタンはこれを妨げるのです。天の愛の道を妨害するのがサタンなのです。

 いくらキリスト教文化圏が大きいとしても、新婦と共に真なる神様の愛と結合することのできるアダム完成者が来なければなりません。ですから責任分担を完成して直接主管圏に入り、愛を中心として上下、前後、左右に一体化し得る家庭的真の愛の基盤を備えなければならないというのです。それは易しいことですか。

 真の父母は全体の責任分担を完成した立場で、間接主管圏と直接主管圏の心情圏を一体化させなければなりません。天国化させるためには、天上世界や地上世界を一元化させ得る基盤が築かれなければ天国はできないようになっています。それが創造理想です。

 人間が堕落しなかったならば、一度に責任分担を果たすようになっていました。しかし、堕落することによってサタンが生じたので、父母様は堕落した後孫たちの前に世界的な基準で一度に越えていける蕩減基準を立ててあげなければなりません。そのような責任分担圏を立てることによって一度に蕩減基準を立て、間接主管圏から直接主管圏内に飛躍して入ることのできる基準をつくってきたのが、今までの先生の一生の仕事だったというのです。