御言の図書館のサイトです。御言をはじめ様々な書籍を閲覧できるようにしてあります。
第2章 天国と真の家庭 : 三 天国の民の教育は真の家庭で : |
地上にある家庭は、天国に連れていく民を再創造する工場です。私たちは、その工場の主人の役割をなしたのちに霊界に行くのです。ですから、正しい道さえしっかりとつかんでおけば、息子、娘を教育する必要はありません。自然になされるのです。自分の神様をすべてもっているのです。教育は必要ありません。堕落したので、このようになったのです。堕落することによって、根本が分からなくなったのです。
神様が願われるものは、失ってしまったエデンの真の家庭です。その真の家庭に立てられる真の父母、真の父母の前に立てられる真の夫婦、真の夫婦が愛することのできる真の子女のいる家庭が、神様が一緒にいたいと思われる天の家庭だということを、皆さんは知らなければなりません。このような家庭が現れれば、その時には、イエス様も兄弟と共に喜ぶことができるのです。そのような家庭が現れなければなりません。
真の家庭は、真の男性と真の女性が一つになって夫婦として出発するのです。息子、娘を生んだのちに真の家庭が出てくるのです。心と体が完全に一つになった男性と女性が永遠の愛を中心として一つになったところから、分かれることのない子供が出てくるようになるのです。父と母が分かれたところから、感情的に分かれた子供が出てくるのです。
心と体が一つになった夫婦から、心と体が一つになった子供が出発するというのは自動的な結論です。そうでなければ、家庭の真の愛がとどまることができません。神様は、真の愛がない所に臨在なさることはできないのです。これは論理的な結論です。
天国の倉庫に入っていこうとすれば、神様の愛と神様の生命と神様の血統的因縁を中心として、きれいにならなければなりません。そのようになろうとすれば、生まれた時から神様の息子、娘であり、育っていく時も神様の息子、娘であり、暮らすのも神様の家庭でなければなりません。そのように暮らしてから行く所が地上天国であり、天上天国です。それゆえに、天上世界にも、そのような家庭、そのような一族が入っていくのです。個人救援ではありません。
神様の愛を受けることができる息子、娘として、神様の愛を受けることができる兄弟として、神様の愛を行使することができる夫婦として、また神様がアダムとエバを愛したのと同じように、第二創造主の立場から、神様の代わりに自らの息子、娘を愛していくのが人生行路です。始まりも愛であり、過程も愛であり、終わりも愛です。愛の教科書に一致することのできる完成品として入っていく所が天国です。そこに入っていく時には、個人で入っていくのではありません。家庭全体が入っていかなければなりません。
妻が夫に対する時は、どのようにしなければならないのでしょうか。「私とあなたは、共に生まれ育った双子の兄妹なので、私たちは、別れようとしても永遠に別れることができないことを、今やっと分かりました」と言いながら、手をしっかりと握り締めなければなりません。アダムとエバがエデンの園から追い出される時、分かれていくことによって悲しみの涙を流しましたが、今、復帰時代においては反対の涙を流さなければなりません。天国の息子、娘になることができなかったことを、私の一生を通して復帰しなければならないのです。
国を建てようとすれば、王がいなければならず、女王がいなければなりません。息子、娘がいなければなりません。また、王国を守ることができる中心家庭がなければなりません。ですから、今、イエス様は、楽園に行って待っているのです。天国は、一人で入っていくようにはなっていないのです。
愛の所有を中心とすれば、相対の故郷が私の故郷になり、相対の家庭が私の家庭になることができるのです。そこにおいて、子女の完成、兄弟の完成、夫婦の完成、父母の完成が成されるのです。
神様の教本に提示されたすべての内容を成すことができなかったことを、今日、真の父母を通して再現し、知るようになり、それを再度実行することにより、堕落していない本然的立場において、神様が完全に恨の峠を越えて教育に対する定義を下すことができるのです。そのようになることにより、天国の民として、合格者、合格家庭になるのです。
キリスト教における聖霊は、女性神ですが、霊的に、また実体的に二つの世界を生んで育てなければならない責任があったように、統一教会で祝福を受けた女性は、二つの世界に対する責任を負わなければなりません。天国の民もつくらなければならず、サタン世界の民をすべて拒否することができるようにならなければならず、その人々を統治できるようにならなければなりません。
皆さんの息子、娘は、神様の国の民です。ある一国家の市民ではありません。天国の民だというのです。皆さんは、このような目的をもって育てなければならないのであり、そうでなければ、今後、皆さんの家庭には希望がありません。地獄に行くようになるのです。
真の御父母様は、いつも私のために生きた父母様だということを知って、今からでもその父母様のみ旨を私がすべて相続し、今後誕生する子孫を大切に育て、私のような人にはしないと決心して立ち上がらなければなりません。それだけが先生の望む、たった一つの願いです。
その貴い息子、娘を再び皆さんのような息子、娘にしてしまえば、どうするのかというのです。「私はこうだったが、将来の私の子孫はそのような息子、娘にしない」と決意して精誠を尽くし、神様がエデンの園でアダムとエバを造って喜ばれたように、息子、娘を真の息子、娘にするために保護しながら抱いて育て、堕落した子孫の前轍を踏ませないようにしなければなりません。
再びそのような道を行かないように最善を尽くして育て、神様の前で祝福を受けるように、私が準備し、すべての内容を備えさせてあげなければならないという責任感をもって将来の家庭を築いていけば、天国の息子、娘になるのです。
皆さんは、自分の息子、娘を教育する時に、父母だけを愛する息子、娘になりなさいと教えてはいけません。「私は、この国を愛する忠臣だ、愛国者だ。母として愛国者ではなく、愛国者としての母、忠臣としての父だ」と教育しなければなりません。
父母が素晴らしければ、その家の息子、娘の素晴らしく、息子、娘が素晴らしければ、その家で育つ犬や鶏も素晴らしいのです。犬がほえることができず、鶏が鳴くことができなければ、それが素晴らしいことですか。「父母は和やかだが、その家の犬はよくほえるし、鶏もよく鳴く!」。そのようになってこそ素晴らしいのです。「あの家の人はそうではないのだが、鶏はあまりにもよく鳴くし、犬はよくかんだりもする」、そのような家庭は、滅びるのではありません。栄えるのです。
息子、娘は、その父母を、神様の代わりとして、真のお父様と真のお母様よりも素晴らしい父母として侍らなければなりません。そのようにして、真の父母に敬拝する前に、先に自分の父と母に敬拝できる家庭にならなければなりません。家庭生活の中で神様に代わるのが自らの父母です。ですから、四大心情圏と三大王権は一つの家庭で成さなければなりません。
神様の愛の主権は、絶対、唯一、永遠、不変です。その国の主権もそうであり、その国の民もそうであり、その国の万物もそうであるがゆえに、今、再整備して、絶対、唯一、不変、永遠の国民性で再登録しなければなりません。万物もそのように再整備する時なので、全体を反対に回さなければなりません。このように回っていたものが反対に回らなければならないという事実を知らなければなりません。
神様の国では、絶対主権が必要であり、民が必要であり、万物が必要です。私たちの家庭を見れば、王権の代わりに父母がいて、民の代わりに息子、娘がいて、万物の代わりに物があります。それが小さな天国の基盤です。それを神様のために、すべて捧げてしまわなければなりません。そのようにしてこそ、大きな国、大きな世界が成し遂げられるのです。