第2章 天国と真の家庭 : 二 真の家庭は天国の民の生産工場 :

 女性は、宇宙を与えられても、神様を与えられても換えることのできない貴い宝をもっていることを知らなければなりません。愛を実現できる根源の王宮が私にあることを知らなければなりません。ですから、神様は、どれほど安全な場所にそれを入れておかれたでしょうか。おしりの肉がなければ、どのようになっていましたか。凍りついていたでしょう。
 男性たちは、どのようになりますか。保護するのにどれほど良くできていますか。すべての精力、すべてがそこに集まっているのです。それゆえに、それは、自分と同じような人を再びつくりだすことができる器官です。父母となることができるその場所というものは、どれほど神秘の王宮でしょうか。
 天国に行けば生産地がありません。神様が人を造られたのは何ゆえでしょうか。垂直には繁殖がないからです。垂直の位置は一点しかありません。神様は、一点、垂直の位置で愛をなすので、そこでは繁殖することができません。霊界では繁殖することができません。それゆえに、横的な三六〇度が必要です。横的世界には、東西南北に繁殖していくことができる位置がいくらでもあります。
 ですから、それが、天国の民を生産するための生産地だというのです。その国の民として来る人は、すなわち天国の息子、娘です。神様御自身の愛する息子、娘になるのです。その人は、神様御自身を中心とした同胞と同じです。私たちの生命は、その国に行けば神様の同胞と同じです。神様御自身になるのです。根本から来たので、根本へ帰っていくのです。
 それゆえに、男性と女性は、霊界に行けば一つの体となって神様に似るのです。最後は神化するようになるのです。神様に似なければなりません。神様は二性性相だと言ったでしょう? 二性性相は何から出発したのかというと、愛から出発しました。愛の結実として本然の神様に似て、帰ってくるのです。ですから神様も、お一人では孤独なのです。
 神様は、花の咲く愛の園をつくり、色とりどりの花が満開となり、愛の香りであふれたその園の中で、昼寝をしたり、動き回ったりしてみたいと思われたのです。そのような神様だったのです。

 生殖器は、真の愛を中心とした王宮であり、真の生命を中心とした王宮であり、真の血統を中心とした王宮です。最も貴いのです。これがなくなれば天地がなくなり、これがなければ神様の理想、神様の家庭、神様のみ旨を成し遂げることができないのです。これは、全体を完成し得る一つの起源です。

 子供は一人だけ生めばよいのに、なぜ神様はたくさん生むようにされたのでしょうか。これが問題です。一人だけ生めば、アダムとエバの二人しかいません。そのようになれば、どのようになっていたでしょうか。二人だけで生きなければなりません一家庭だけで暮らすのです。そのようになれば、世界がなくなります。天国をつくろうとすれば、横的に広げていって数多くの家庭を生産しなければなりません。そのようにしてこそ、天国の民が生まれるようになっているのです。霊界では繁殖がありません。地上の夫婦は、天国の民を生産する生産工場です。
 すべてを満たそうとすれば、一度にはできません。ですから、数多くの世代を継いで生まれなければならないのです。その国では、食べることも、着ることも、寝ることも、何も問題になりません。自動車も必要なく、工場も必要ありません。すべてのものが準備されている所です。
 自分が願えば、ひゅーっと飛んでいくのです。信じることができないほどに早い所です。一歩動けば、数千マイルを移動するのです。

 先生は見え、神様は見えないだけです。結婚初夜に夫婦同士で盛んに愛し合う時、既に神様が入ってきてアダムとエバと一つになるのです。人間を創造した目的は何ですか。霊界では繁殖することができません。
 霊界の民を創造する所が地上の家庭です。天の民をたくさん生んで育てたのちに逝く人が栄光の位置に立つのです。栄光の位置に立ちたいと思えば、今から息子、娘をたくさん生まなければなりません。

 地上は、天国の民を生産する生産基地です。霊界では繁殖がありません。堕落することによって、悪魔の息子、娘になってしまったのです。
 それゆえに、これを接ぎ木する役事をして、天国の民に戻してしまわなければなりません。それゆえに、皆さんがあの世に行く時は、嫁に行く娘が婚礼家具をもっていくのと同じように、天国の民をだれだけ復帰して連れて帰っていくかが問題です。
 神様は、孫をご覧になることができませんでした。アダムとエバを通して孫を御覧になろうとしたのですが、御覧になれなかったことが恨です。それゆえに、この地で息子、娘を生んで育て、その人々をすべて抱いてくることを願っていらっしゃるのです。
 その広大無辺な天国には、数千億の民が必要だというのです。先生は、それを知っているので、監獄に行きながらも、一つの生命を救うために、御飯も食べずに、夜も寝ないで生涯活動してきたのです。夜を朝だと思い、朝を夜だと思ったことが何度もあるのです。そのようにしながら、一つでも多くの生命を救おうといているのです。そこにおいては、あらゆる国境を超越しているのです。

 人間は、誰もが愛を中心として結婚生活をする中で連結するようになっています。完全な愛を成したその基準の上で完全な息子、娘が生まれるのと同じように、神様の子女圏と神様の兄弟圏と神様の家庭の理想的夫婦圏を生んで育てなければならないのが、地上で生きる私たち人間の責任です。
 霊界では繁殖が不可能です。霊界は中心です。中心は面積がないので、息子、娘を生むことのできる空間がありません。ですから神様は、膨大な天国に行って暮らすようにするために、平面的、立体的空間をつくられ、神様の国の国民を生産するようになさったのです。
 それゆえに、夫婦というものは、天国の国民をつくる分工場です。そうだとすれば、この地上で息子、娘をたくさん生んで連れていくことが、その世界を相続し、所有権を受けることのできる相対圏となるのです。息子、娘がいない人は、そのような相対圏がありません。一つになった素晴らしい相対圏をたくさん、十二カ月の十二数以上もたなければなりません。

 神様を誇り、男性となり女性となったことを誇らなければなりません。そのような男性、女性となって、天国の民を繁殖しなければなりません。これは鉄則です。アダムとエバは、繁殖をしなければなりません。心と体が一つとなり、神様の愛によって霊的五官と肉的五官が一体となり、真の愛で永遠に一つにならなければなりません。そのようになることができる男性、女性として永遠に会うことのできる男性は、永遠の人類を代表した王権をもった王であり、女性は、王権に対する王妃です。父と母は、心の中において万世の父であり、万世の母です。真の愛には、そのような背後が連結されていることを知らなければなりません。
 そのような姿勢を備えた愛を中心として一つになり、結婚を通してその愛を訪ねていくのです。愛ゆえに行くのです。結婚は、二人だけではなく、縦的な神様を占領するためのものです。東西に分かれ、どこに来て爆発するのか分かりますか。垂直線です。垂直線で爆発してぶつかるので、戻ってこなければなりません。戻って、上がっていかなければ下りていくのです。ここで神様は下りてきて、私は上がっていくことにより、神様が中心に入っていくのです。
 このようにして下りてきてみると、神様が愛の中心核になっているのです。ここにおいて、このように垂直になっているのを水平にしようとするので、息子、娘が必要なのです。それゆえに、このような垂直をつくっても息子、娘を生むことができなかった男性と女性は、天上の位置に行って神様に侍ることができません。息子、娘を生んで愛してみた人であってこそ、神様の二性性相、理想的主体である神様に侍ることができるのです。皆さんも、真の父母に侍るためには息子、娘を生まなければなりません。息子、娘を生むことができなかった人が養子をとったならば、自分の息子、娘を生んだ以上にその息子、娘を愛する訓練をしなければなりません。ですから大変です。それゆえに、統一教会では、「愛する息子、娘をたくさん生みなさい」と言うのです。
 統一教会の子供たちは、天運に乗ってきます。食べることは心配いりません。その中からは、判事も出てくるはずであり、検事も出てくるはずであり、大統領も出てくるはずであり、あらゆる人が出てくることでしょう。五色燦然と輝く光が出てくることでしょう。
 それゆえに、真の愛を中心として、母として恥ずかしくなく、父として恥ずかしくなく、天国の民をたくさん連れていかなければなりません。

 今日、夫婦というものは、天国の民を生産する工場です。ですから、息子、娘をたくさん生んで入っていけば不幸ではありません。あの世に行けば、高い位置に行くのです。東西南北を中心として見れば、四季が三ヵ月ずつで十二ヵ月です。ですから、イエス様も十二弟子を選んだのです。イエス様を中心として、三弟子は、東西南北の代表型と同じです。神様を中心として、これが中央を中心として四方を備えたのです。

 地上の家庭は、天国をつくるための横的な世界です。縦的な世界は繁殖することができません。横的な世界で息子、娘が増えれば、彼らが神様の民となるのです。
 皇族が繁殖すれば、長孫だけを残し、すべてが民となります。親戚になるというのです。親戚にも長孫がいるでしょう? 氏族たちも、氏族たちを合わせた長孫がいなければならないのではありませんか。それがアダムとエバです。アダムとエバは、伝統的な永遠の王と王妃です。しかし、民主世界では、これがすべてなくなるのです。
 天国の民を生産するための生成基盤は、天の家庭基盤ではなく、地上の家庭基盤です。息子、娘を生むということは、天国の民を生産するということです。