第2章 天国と真の家庭 : 一 神様の創造理想は四位基台と真の家庭 :

 本来、神様は、天地万物を創造され、すべてのものが人間を通じて完成するようになさることにより、神様の威信と人間の威信を立てようとされました。そのようになれば、人間の完成はもちろん、神様の創造理想の完成も自動的に完結するという結論に到達するのです。
 そのようになっていれば、神様は万宇宙の中心の権威を備えられ、人間はその息子、娘として一体となり、神様の理想的愛の世界がこの地上に実現していました。そして、神様の悲しみが始まるのではなく、神様の喜びが始まっていたのです。そのようになっていれば、神様は、喜びの中で、人間の権威を100パーセント褒めたたえていらっしゃったのです。
 神様が人間をそのように高く褒めたたえられることを見習い、人間も、同じように神様に対して高く褒めたたえていたのです。そのようになれば、共同運命に置かれるようになっていたというのです。

 神様は、人間始祖アダムとエバを中心として、万物を主管するだけではなく、愛の家庭を築こうとされました。私たち統一教会では、この基準を「四位基台の完成」と定義しています。結局、神様のみ旨とは創造理想を完成することですが、その創造理想を完成するということを具体的に言えば、それは四位基台の完成だというのです。
 それでは、四位基台とは何でしょうか。完成したアダムと完成したエバが、神様の愛の中で祝福を受け、そのお方の息子、娘になると同時に神様が願われる夫婦となり、その次に、神様が願われる家庭を築くためには子女がいなければならないので、子女を完成させることです。

 神様のみ旨は、創造理想を完成することによって成されます。それでは、神様の創造理想とは何でしょうか。もちろん万物をつくることが神様の創造理想でもありますが、アダムとエバを中心として創造理想を成そうとされたというのです。神様の創造理想の完成、み旨の完成とは何でしょうか。神様を中心として、神様の愛を中心として四位基台を完成することにより、創造理想も完成し、み旨も完成するのです。言い換えれば、「神様のみ旨の完成」という言葉は、常に神様の愛を中心として四位基台的愛の基盤を内包しているという事実を、皆さんははっきりと知らなければなりません。

 四位基台は、愛を中心として東西南北が備えられていくことです。愛を除けば何もありません。その愛は、アダムだけの愛ではありません。エバだけの愛ではありません。アダムとエバが統一された位置で、神様の愛を連結させなければならないのです。神様の愛を連結させたその位置には、アダムとエバの愛があると同時に、息子、娘の愛が介在します。
 私たちがしばしば言う「三対象理想」という言葉も、アダムを中心として見れば、天がいて、妻がいて、子女がいるという意味です。これは三掛ける四は十二、十二数の対象圏のことをいっているのです。またこれは、愛を中心とした三つの位置についていっている言葉です。
 ところが、今まで信仰生活をしてきた人々は、神様の愛を中心として創造理想を完成するという、そのようなみ旨が分かりませんでした。それは、神様のみ旨の完成、創造理想の完成をいうのです。それが四位基台の完成です。四位基台を完成すればどのようになるのでしょうか。天と地が定着するようになります。天と地が初めて定着するようになるのです。
 天は上の軸と同じであり、地は下の軸と同じであって、これを中心として一つになるのです。ここで子女は、中央の軸に向かって一つになれる平面的な形態を備えなければなりません。そして、これが育つことにより、中央に上がっていって一つの円形を描き、さらには愛の理想である球形を成すのです。

 すべてのものは、中央線を通らなければなりません。なぜ人の鼻は、上から下に垂直に下りているのでしょうか。中央を失ってしまってはならないからです。顔を見れば、目は神様を象徴し、口は万物を象徴しています。それで、南が三十二本です。四掛ける八は三十二、歯は三十二本です。これは全体数を表しています。四数は東西南北であり、八数は全体数を代理したものです。乗数なので、四掛ける八は三十二、全体を象徴しているのです。それは、万物を食べなさいという意味です。これは、外的なものを取り入れることです。一方で、話すということは、内的なものをはき出すことです。すべて四位基台になっています。授け受ける道理です。

 縦横に備えられた愛の圏が、四位基台の愛の圏です。そのようになった時に、初めて父母が父母として登場するのです。父母として登場するので、横的な面において初めて実体的な神様の代身者として登場するのです。神様がアダムとエバを造って感じられた喜びを感じさせるために、横的な子女を養育できる力を人間に許諾されたのです。これが神様の創造理想です。

 神様を中心としてアダムとエバが愛を感じたとすれば、その愛は神様の愛であり、その四位基台は神様を中心とした四位基台です。それから子女ですが、この子女関係は、神様を中心として相対的です。ところで、相対となっている子女を生み、ただそのままではどこにも使うことができません。教育をしなければなりません。大きくなっていかなければなりません。大きくなっていく中で、男性は右側、女性は左側に行かなければなりません。

 新しい時代の四位基台は、アダムとエバの息子、娘から始まります。ですから、アダムとエバが結婚して繁殖すれば、結局は四位基台圏を成すようになっているのです。
 本然の息子、娘に帰っていくには、どのように帰っていくのでしょうか。神様の本然の心情と、神様が願われた理想家庭を中心として、相対圏が新たに生じるのです。四位基台は三段階でしょう? 神様、アダムとエバ、息子、娘です。この場合が縦的です。これが横的に展開していかなければなりません。横的に着陸することにより、縦的な要素がこれを基盤として、無数に平行に広がっていくのです。これが一つのモデルとなります。
 アダムが理想とした四位基台が全世界的に発展していくためには、このような伝統的な家庭の内容を完成させなければなりません。これを完成させなければ、横的な連結を成すことができません。別々に分けて考えてはいけないというのです。アダムとエバが結婚して暮らせば、既に神様は右側に来ていらっしゃり、自分の息子、娘は左側に立つのです。これが一つです。この三つが一つになっていることを知らなければなりません。

 横的に見れば、アダムは長男です。次男はイエス様であり、完成したアダムは三男です。縦的原理から見れば、三男は三代でしょう? ですから、おじいさんの立場が第一代であり、父の立場が第二代であり、第三代は息子であり、それは孫の立場です。このようになっていたものが反対を向けば、孫がおじいさんの立場になります。反対に、祖父、父、孫となるのです。それゆえに、先生に絶対服従していくことによって、神の国の四位基台、三代圏を完成し、神の国に入っていくことができるのです。ですから、蕩減復帰です。

 統一教会の主体思想は、神様を中心とした思想です。この主体思想の中で、秩序的段階について言えば、三段階がなければなりません。ですから、父母と夫婦と子女がいるのです。この中心が神様と因縁を結び、四位基台理想を拡大させ得る愛の理想圏なのです。これが、私たちの主体思想の内容です。
 愛は、拡大する力をもっています。それが集約されれば一つになります。それゆえに、拡大し得る理想と連結し、全人類を抱いて生きていこうとするので、拡大させなければなりません。これを拡大させたのが、私たち人間の繁殖です。アダムとエバの二人を、横的に拡大させたのです。
 それゆえに、主体思想の内容を要約すれば、神様が愛を中心として絶対的な主体です。その次には真の父母です。その次には自分たち夫婦です。自分たち夫婦が真の父母の代わりとなり、子女をもつのです。これが四位基台です。

 四位基台は、父母を中心とした真の愛の起源を表しています。その次には父母と子女の完全な愛の一体を表しています。それは、一時的なものではなく、永遠です。永遠であると同時に、絶対的だというのです。その愛の起点とは、唯一であり、不変であり、絶対的です。そのような愛は、神様だけにあるのでもなく、父だけにあるのでもなく、母だけにあるのでもありません。家庭的基盤の上、真の家庭の基盤を上に成立するのです。
 愛が絶対的なので、その愛を中心とした家庭の信義は、絶対的です。愛は、すべての関係においても絶対的です。そこでは、一つが侵犯されるということは全体の破壊を意味するので、そのようなことは容認することができません。したがって、四位基台自体は、愛が侵犯され得る問題において、自らの生命を凌駕したとしても、これを擁護し、保護しなければなりません。ここで最も恐ろしいことは何かというと、この愛の基盤が破壊されることです。それが一つの核となって拡大したものが世界です。
 そのようにして、一つのアダム家庭からその息子の家庭が生まれ、父母の家庭と息子の家庭が一つにならなければなりません。それで、四位基台が生じれば、この四位基台は将来、霊界の四位基台へと移っていくのです。

 神様の創造理想の最後とは何でしょうか。原理でいえば、責任分担を完成し、愛を中心として四位基台の家庭理想を完成することです。なぜ四位基台が必要かというと、父子関係の家庭理想を成さなければならないからです。父母の愛を中心として一つになったその縦的伝統を受け継いだアダムとエバが、横的伝統を展開させていかなければならないのです。
 アダムを起点として十二部族が生まれ、その十二という数字を中心として三百六十五日という日が拡張されたように、すべての民族の拡張のための摂理の基準を立てることが創造理想の完成だというのです。
 そのような面から見るとき、「み旨の道」におけるみ旨とは何でしょうか。創造理想の完成です。創造理想の完成とは、四位基台の完成をいうのです。父を中心とし、母を中心とし、息子を中心とし、娘を中心としたものではありません。真の愛を中心とした四位基台の完成です。
 真の愛を中心として、これが責任分担の完成です。責任分担の完成というのは、すべての愛の理想を基準として男性と女性が完全に一つになり、神様が創造なさったすべての基準に一致すれば、その地上において縦的な基準として受け継いだアダムとエバの伝統を、肉身を通して初めて横的に展開させていくことをいうのです。息子、娘を一人か二人だけ生むようになってはいけません。アダムとエバの時代が来れば、東西南北に息子、娘をたくさん生むようになっているのです。

 一人の男性は、必ず一人の女性と共に家庭を形成しなければなりません。そのようにしなくては、統一世界に行くことができません。過去の信仰者たちは、家庭を捨てていきましたが、捨てた家庭を高い次元において再び取り戻し、勝利の家庭として新しい基台の上に立てなければ、天国に行くことができません。一つの家庭が形成されたからといって、その家庭だけで天国に入っていけるのではありません。四位基台を形成して初めて行くことができるのです。
 どこで四位基台を成さなければならないのでしょうか。この地上で成さなければなりません。いつ成さなければならないのでしょうか。自分が死ぬ前に成さなければなりません。
 それを成さなくては、国家を迎え得る国民になることはできず、世界を迎え得る人類になるおとはできず、神様のみ旨が成されなければ天国世界を迎え得る天民になることはできないのです。

 皆さんは、妻をもって幸福だと思うかもしれませんが、私は、そのように思いません。女性も幸福なのではありません。幸福なのではなく、十字架を背負ったのです。主体である人は、相対を幸福にしてあげなければなりません。子女がいれば、その子女を幸福にしてあげなければなりません。三大十字架を背負わなければならないのです。
 ですから、四位基台の復帰が最も難しいのです。それは、世界を征服することに比喩することができます。

 皆さんの息子、娘は、神様が数千年の歴史を経ながら数多くの預言者、烈士を犠牲にさせて探し出された一つの家庭を通じて、願いのともし火のごとく生まれた貴い息子、娘です。各家庭の息子、娘が四位基台の完成という神聖な目標の帰一点をもたらすことを考えるとき、その息子、娘に対しても、日がたてばたつほど、本当に感謝しなければなりません。父母がそのような心をもつようになれば、その息子、娘たちは絶対に飢え死にしません。

 今、皆さんは堕落圏内にいます。長成期完成級で祝福を受けた家庭は、上がっていく道があります。それは、先生に従っていくことができる道をいうのです。しかし、皆さんの父親や母親と、皆さんの四位基台が一つにならなくてはなりません。
 ノアじいさんが箱舟を造る時、その夫人がよく協助したと思いますか。息子、娘がどれほど批判したと思いますか。「神様が審判される」と言って、一日でもなく百二十年間、弁当を持って山に上がっていき船を造ったのですが、ノアの妻がよく協助したかを考えてみてください。ノアの妻が協助しないのですから、その息子、娘に至っては、協助しないのは当然でしょう。皆さんは、母と完全に一つにならなければなりません。

 立体的な四位基台を成さなければなりません。上下の位置、前後の位置で一体を成さなければなりません。そのようになれば、いくら転がしても、止まった時は垂直になるのです。
 サッカー・ボールを置いた時、中心は垂直です。一点しかありません。それゆえに、家庭において四位基台の立体理想が成されなければなりません。

 父母の前に孝子になるだけではいけません。夫婦がいなければなりません。ですから、四位基台を成さなければなりません。これは絶対原理です。このようなことを考えてみるとき、今日、個人的四位基台、家庭的四位基台、国家的四位基台はどのようになっていますか。家庭的四位基台形態を拡大したものが国家であり、国家的四位基台形態を拡大したものが世界であり、世界的四位基台形態を拡大したものが天宙なのですが、その根本は家庭です。
 そのように行く中で、サタンが一匹もついてくることができないように整備する、家庭的四位基台の教育がジャルジン教育です。そこを通らなければ落ちるのです。国籍を失った家庭になるのです。登録するためベツレヘムに行って、赤ん坊のイエス様を馬小屋で出産するという、それ以上に悲惨なことも起きるのです。その道を訪ねていかなければなりません。

 神様を愛すれば愛するほど、永遠の父母の愛を受けるようになるのです。孝子になればなるほど、その父母の愛を余すところなく受けるのです。忠臣になればなるほど、聖君の愛を余すところなく受けるのです。真の夫になればなるほど、妻の愛を余すところなく受けるのです。

 素晴らしい善の夫、善の妻とは、どのような人でしょうか。妻として、神様の代わりに、真の御父母様の代わりに絶対視する夫をもった者、夫としてそのような妻をもった者が真の夫婦です。神様を絶対視し、父母を絶対視し、夫婦を絶対視し、そのもとに生まれた子女を絶対視しなければなりません。これが統一教会でいう四位基台理想です。