第1章 創造の原動力は神様の真の愛 : 四 真の愛の初舞台は真の家庭 :

 神様は、真の愛でアダムとエバを造られました。そのアダムとエバは、神様の本来の性相と形状が展開した実体です。神様の見えない性相と形状が実体として現れたのが、創造されたアダムとエバです。それゆえに、大きくなって上がっていかなければなりません。大きくなって神様と一つにならなければなりません。完成したアダムとエバになっていたならば、彼らの心と体が自動的に一つになるのです。
 しかし、堕落のために彼らの心と体が闘ったのです。今まで、これが分かりませんでした。神様の創造理想どおりに人間が完成したとすれば、心と体は闘いません。闘う人になったということ自体が、「神様はいない」と否定し得る条件になるのです。

 真の愛は、一人では成すことができないのです。相対がいなければなりません。皆さんも、自分の相対が自分よりも立派であることを願いますか。誰でも、自分の息子、娘が自分よりも立派であることを願うというのです。そのような心は、神様から来たのです。
 それゆえに、神様も、愛の相対が神様より立派であることを願っていらっしゃる事実を知らなければなりません。愛の相対が横的にも縦的にも自分より立派であることを願う本然的起源は、神様にあったというのです。

 女性の心と男性の心が一つになり、女性の体と男性の体が一つになれば、神様の形状になるのです。そのようになれば、その中心に神様が臨在し、永遠に定着することができるというのです。正分合作用が三段階を経て、心的基準と体の基準が一体理想を成すのです。愛の一体、縦横に理想世界の一体圏が成されるというのです。心身一体という概念に、すべてのものが統合されるのです。
 愛が一体となることにより、実体の神様として地上に定着し、繁殖した家庭が神様の家庭になり、神様の一族になり、神様の民族になり、神様の世界になるのです。そのようになれば、堕落による心と体の闘いがすぐになくなります。神様の性相と一つになっているので、自然に神様の愛が臨在して男性と女性の相克がなくなるのです。衝突なく、自動的にお互いが愛することができるようになるのです。そこに神様が臨在され、家庭で心的な存在となり、夫婦は体的な存在として一体を成し遂げるのです。

 真の夫婦というものは、真の生命体を中心として、男性と女性が真の愛によって結束した夫婦です。そのような夫婦が真の夫婦です。社会は、そのような因縁を連結しなければなりません。兄弟圏の心情を横的に拡大した相対圏が真の社会、真の国家、真の世界です。人間は誰しも、自分自身が宇宙の代表になりたいのです。
 真の愛を背景とする因縁を中心として見れば、すべてが平等なので、それに背く者は、立つ位置がなくなるのです。唇は、真の愛によって連結します。それゆえに、生命、愛と血統、これが自分自身です。

 真の愛の第一故郷は、真の家庭です。真の家庭とは何ですか。そこには真の父、真の母、真の夫、真の妻、真の子女がいるのです。それが真の家庭基盤です。

 父母が子女のために無限に投入して犠牲になれば、真の愛が背後にある限り、子女はその真の愛に無限に感謝するようになり、父母は大きな喜びでその犠牲を埋めるのです。このように犠牲的な真の愛の力は、授け受けする作用を発展させ、真の家庭で、そして、真の世界で永遠の喜びと平和の関係を結ばせます。このようなところで、永生の理想世界が顕現するのです。
 しかし、このような真の愛が欠如した家庭と国と世界は抜け殻にすぎず、むしろあらゆる不信と反目と不倫の納骨堂になってしまうのです。人間の純粋な真の愛が成長して完成する場は、真なる家庭です。真の父母の愛、真の夫婦の愛、真の子女の愛、そして、真の兄弟の愛が共に完熟して実践される真の愛の初舞台は、真の家庭です。
 真の父母の愛を通して神様の真の愛を学びながら、真の兄弟の真の愛を通して真の国と真の世界人類に対する普遍的真の愛を訓練させる、平和世界の基本核の場が真の家庭です。それだけでなく、父母と子女間に受け継がれる真の愛を通して、過去と現在と未来の世代が一貫した真の愛の価値観によって連結していくようになる、歴史的連結の輪の基本単位も真の家庭です。

 おじいさんとおばあさんは、父と母のために死を覚悟して、命を懸けて愛する、これがどれほど幸福ですか。また父母は、息子、娘のために命を懸けて愛するというのです。どれほど幸福ですか。
 皆さんは「愛のために死ぬ」と言うのですが、孫がおじいさんのために死ぬことが真の愛です。おじいさんは孫のために、父母は子女のために、子女は父母のために、姉は弟のために、弟は姉のために、夫は妻のために、妻は夫のために、おばあさんはおじいさんのために、おじいさんはおばあさんのために、愛を中心として生命を捧げようとする家庭が真なる家庭だという結論が出てきます。

 神様が最も好まれるものとは何ですか。神様が最も好まれるものとは真の愛ですが、真の愛が最も喜ぶ相対的基準は何かといえば、アダムとエバの家庭です。この家庭は、理想的な神様の立場に立てられたものです。

 レバレンド・ムーンが教えてあげる真の愛の道、真の愛の男性と女性が行き、真の家庭が行き、真の国が行き、真の世界が行く道は、絶対的です。一つしかないのです。二つではありません。それを教本として、すべての人が向かい合える所が家庭だというのです。

 祝福を受けた夫婦がけんかをすれば、どのようにするのですか。夫婦がけんかをすれば、自分の息子、娘を呼んでおいて、その次には信仰の息子、娘を呼んでおいて、許しを請わなければなりません。カインとアベルが、行くべき伝統に背いたのです。ですから、自分の息子、娘と信仰の息子、娘がアベルとカインの立場であり、彼らが一つになれずに反対のことをしたので、カインとアベルの子女に悔い改めなければなりません。そのような時が来るというのです。共同運命です。息子、娘が間違えば、父母に許しを請わなければなりません。もし夫、父が間違えば、その息子、娘と夫人に許しを請わなければなりません。それが真の愛を中心とした真の家庭です。

 宗教は、神様を尋ね求めていくのです。神様の教えを尋ね求めていくのです。それを成し遂げるのは、神様ではなく人間です。相対的な愛を尋ね求めていくのですが、どこでそれを定着させるのかといえば、教会でもなく世界でもありません。正に家庭だというのです。家庭に真の愛の種を植えなければなりません。真の家庭によって拡大するためなのです。そこには宗教観念がありません。