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第4章 天一国の民になる道 : 五 天一国主人の生活 : 3. 神様と真の父母のための侍る生活 |
今日、堕落した人間たちに父母はいますが、その父母は真の父母ではありません。その父母は神様に認められた父母ではないというのです。それでは、終わりの日に私たちがしなければならないことは何でしょうか。私たちが生きているこの時に、宇宙的な父母をお迎えしなければならず、教団的な父母をお迎えしなければならず、その次には家庭的な父母までお迎えしなければなりません。すなわち三代の父母に侍らなければなりません。家庭は、民族を代表することができる型であり、教団は、子女の代わりをすることができる型であり、宇宙的な父母は、真の父母の代わりをすることができる型です。
今日、地上に人間たちが生きていますが、神様が許諾された真なる父母の愛の圏から外れています。父母と血と肉が相通じる因縁が、私から永遠の世界まで連結していないことが寂しいことなのです。それゆえに、家庭的な父母から教団的な父母と、宇宙的な父母と、神様の愛が絡み合って、初めて六千年全体の愛の圏に入っていき、神様に顔を上げて立つことができるということを皆さんは知らなければなりません。これが、私たち人間が必ず行くべき路程です。
もし人間が堕落せずに生まれていれば、神様の愛と生命がすべて連結された種から生まれていたのです。その生命はどこに行くのかというと、ほかに行く所はないというのです。その生命は、自動的に神様に帰ります。磁石があれば、N極は、S極に向かって自動的に行くのと同じです。そのようになっていれば、神様がいるのかいないのかを尋ねる必要はないというのです。空気があるのかないのかは分かりませんが、なければ息が苦しいのです。同じように、神様もいるのいないのか分かりませんが、その愛とその生命力によって生きなければ、すべてのものが窒息してしまうのです。
真の父母を通して生まれ変わってこそ、天国の民になることができます。それでは、どのようにして再び生むのですか。生むことができる条件を掲げるのです。完全に一つにならなければなりません。それゆえに、女性は、真の母の命令に絶対服従しなければなりません。エデンの園で戒めを守ることができなかった恨を解かなければなりません。絶対服従しなければならないのです! また、その母の言葉に息子、娘が絶対服従しなければなりません。それを誰が教えてあげるのでしょうか。父、完成したアダムが教えてあげるのです。
蒔いたとおりに刈り取るということは真理です。エデンの園のアダムとエバは、何の種を蒔きましたか。フリー・セックスの種です。それで下部を隠すのです。幼い子供も、父母が買っておいた菓子か、おいしいものがあるとき、それを隠れて食べていて、父母が来れば隠します。犯罪の部分を隠すのが本性の作用です。神様の前に現れることができないのです。
堕落した人間が地獄に落ちたので、天国に行こうとすれば、180度反対の道を行かなければなりません。ここで間違った血筋をもって生まれ、地獄に落ちるようになりました。血統が変わったのです。それゆえに、メシヤが来なければなりません。神様が創造されたエデンの園で、堕落しないで堕落前の位置に行き、家庭を築くことができる主人として送るのがメシヤです。これが理論的に合わなければなりません。神様に侍る家庭を通してそれを連結し、国家を中心として家庭的に切って接ぎ木した位置で、一度にひっくり返そうというのです。
フリー・パスをもつためには、真の父母の名前を通じなければなりません。そのようにしなければ、それをもつことができないのです。父がもっているものは子女に相続してあげるのが道理です。それゆえに、皆さんの家庭教会活動は、真の父母の身代わりであり、神様の前に真の父母の息子、娘として行うのです。
神様を中心として真の父母のみ旨に一致することができないときには、他人の息子、娘です。彼らが真の父母の息子、娘として心情一体になるとき、自分の息子として伝授されるのです。
堕落した人間は、他人の息子を生んで育て、その息子を通して自分が高い位置に行かなければなりません。このような観点がきちんと設定されることにより、ここには否定があり得ないのです。
神様の息子、娘になろうとすれば、神様のようにしなければなりません。皆さんが真の父母のようにしなければ、真の父母の息子、娘になることができないのです。同じ原理です。先生も「蕩減」という言葉は嫌いです。しかし、なぜいつも蕩減を中心として話さなければいけないのでしょうか。これが公式だからです。公式を解くことができなければ、落第するのです。十年ではなく、千年たっても落第するのです。
神様を宇宙の父母として侍れば、神様の愛がこの地上に君臨するというのです。そのようになる日には、神様の愛を受けて兄弟を愛するようになり、「闘いなさい」と言っても闘わなくなります。エデンの園で堕落したことは、どれほどひどいことでしょうか。エデンの園で争い、今まで血を流してきた路程がどれほどひどいことでしょうか。個人が天国に行こうとすれば、一人では行くことができません。二つが一つになり、兄と一つになって父母に侍っていかなければなりません。
エデンの園でアダムとエバは、自分勝手に堕落して、その堕落圏内で生きたので、直接的な侍義の生活をしてみることができませんでした。このような侍義の生活ができない人間たちは、天上の天国に入っていく資格がありません。しかし、皆さんは、堕落の血統を受けて生活したといても、一つの復帰路程を蕩減し、アダムとエバが地上で実体をもって侍ることができなかった真の父母に侍り、神様に侍って暮らしたという条件により、天国に入っていくことができる資格を得るというのです。そのようにしてこそ、天国の市民権を得るようになります。
「天一国平和統一平定」を宣布するのです。「天一国平和統一平定」です。どこも同じだということです。分かりますか。同じでないところはないということです。「平定世界時代」を発表するのです。天一国平和統一平定時代到来発表宣言! ですから、この言葉は何かというと、天国も地上も同じだといういことです。平定です。
皆さんがある宗教を信仰したとすれば、その宗教の責任者を呼んだときに答えなければなりません。また、先祖を呼べば、子孫たちは真正に天一国平和統一の祝福を受けた家庭なので、答えてあげなければなりません。ですから、霊界が自由自在に地上に再臨することができ、地上の人の願いが先祖と神様の前に自由自在に伝えられ得る時代を意味するのです。天一国平和統一平定時代到来発表を宣言します。「アーメン」と言ってください。
きょうを記憶しなさい。きょうの早朝、このような内容を祈祷する中で、このような時が来たのだなあということを感じ、このような内容を発表するのです。ですからそのような時代が来たので、きょうは、どのように生きなければならないのかということを、しばらくの間話そうと思います。
私たちの願いは何かというと、神様と同じ位置に立ちたいということです。同位権です。同居権は共に生きるのです。それから同参権です。同参権も同行権も同じです。共に参席し、共に行動するのです。そのようにして、その次には同愛権です。共に愛の目的のために生きるのです。
イエス様も、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」と言いました。しかし、「わたしは道であり、真理であり、命である」と言いましたが、愛の言葉を抜きました。のちの統一教会は、天一国は愛を中心として進むのです。
ですから、皆さんの願いは何かというと、真の御父母様と同じ位置にとどまりたいということです。それが願いでしょう? 真の御父母様と共に生きたい、真の御父母様と共にすべてのことに同参し、行いたい。そのようにして何をしようというのでしょうか。愛を中心として、幸福に、自由に、解放された位置で永遠に共に生きるのです。アーメン。そのような意味において、天一国平和統一、何ですか。平定時代が来たのです。
それゆえに、皆さんが活動する時は、一人で活動するのではなく、皆さんの国が従って回ります。霊界全体が、天の国全体が回り、地上世界と万民が擁護する中で主人の資格をもって生きているのです。ですから、神様の愛の伝統を私の一族を通して、一国の伝統をその骨のような思想に自分が仕えるべき主人にならなければなりません。アーメン。