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第4章 天一国の民になる道 : 二 天一国は本然の故郷 : |
人間は、誰かの子女にならなければなりません。その誰かの子女とは、神様の子女のことです。誰かの兄弟にならなければなりません。その誰かの兄弟とは、神様の家庭の兄弟です。誰かの夫や妻にならなければなりません。それは、神様の家庭の夫や妻のことです。
内的な神様のすべてのものを実体的なものとして御覧になり、刺激をお受けになるために、神様はアダムとエバを創造されました。アダムとエバは、第二の実体の神様です。愛の相対を必要としてお造りになったからです。神様の愛の相対は、猿ではありません。人間以外にはいないのです。
今まで神様は、所有権をもつことができませんでした。サタンがすべて所有したのです。サタンの国、サタンの民、サタンの物、すべてがサタンの所有です。サタンが神様の所有権を盗んでいったのです。真の父母も所有権をもったことがありません。いまだに真の子女、真の国、真の世界としての所有権をもったことがありません。真の人、真の男性と真の女性が生まれなかったのであり、所有し得る人が生まれなかったので、そのような所有権をもつことができなかったのです。
今まで神様は、所有権者になることができませんでした。悪魔が主人になったのであり、神様の息子、娘が主人になることはできませんでした。主人に代わって悪魔と悪魔の息子、娘が、神様の創造された被造物に対して権勢を振るい、害を被らせてきたのです。これをすべて回収しなければなりません。万物は、すべて本然の父母のもとに帰らなければなりません。真の父母と真の子女、真の国、真の氏族のもとに帰らなければなりません。
今、私たちは、誰々の息子、娘、誰々の兄弟という考えから抜け出さなければなりません。私は、神様の息子、娘であり、真の父母の息子、娘であり、世界と天宙を解放させる相続権を受け継ぐことができる私自身だというのです。そのような私に、サタンの立場で一族が矢を投げつけましたが、私が何千年の歴史を経るのではなく、生きている間に私の備えるものをすべて備えてメシヤとなり、過去に反対した一族と父母を訪ねていって救ってあげられる平面的再臨の形態を備え得る、このような時代を迎えることにより、初めて地球星の天国化が可能なのです。
このように見るとき、今日、祝福家庭が今まで暮らしてきた生活と行動は、すべて零点です。悪魔の巣窟の中にいたということを知って、自らの解放圏を迎えるために努力しなければなりません。そのようにせずに、昔と同じ習慣をもって息子、娘を抱いてそのまま幸福になることを願えば、すべて滅びるのです。
イエス様がエルサレムを回られる時、道端にあるいちじくの木を見て、実がないといって呪われました。すると、そのいちじくの木は、たちまち枯れてしまいました。実がなければ、そのような結果が訪れるのです。
未来国家を建設するにおいて、あなた方が神様のために準備したものは何ですか。それは、実を意味し、中心核を意味し、事実を意味します。それは何でしょうか。神様の国の民です。神様の国の民は、りんごや桃の実ではないというのです。
今まで神様は、天国の民をおもちになることができませんでした。ですから、今、その本然の民を救っているところなのです。完成した民をもつことができなかったのです。
真の国を地上天国と呼びます。その国ができてこそ、神様が本然のアダムとエバに「完成した時に、あなた方は、万物を主管しなさい」と祝福されたそのみ旨を成し、人間は初めて、この地の真の主人として現れることができるのです。また、その時に初めて人類は、お互いに真の兄弟になることができるのです。その時に初めて私たちは、神様の息子、娘になるのです。天のお父様に対しては真の孝子、孝女になり、主人に対しては忠臣になり、この宇宙万物に対しては真の主人になるのです。そのようになれば、神様は私たちに全権をゆだねられるのですが、外的な全権だけではなく、内的な全体の心情の中心まで移してくださるようになるのです。神様がすべてのものをゆだねられても安心することができる息子、娘になるのです。
人類歴史は、暗い夜を過ぎ、夜明けを経て新しい光明の太陽を迎えるために進んでいます。それでは、太陽とは何を表しているのでしょうか。人類の太陽は「人類の父母」を表しています。この父母が現れるまでは、人類の故郷である本郷の地が現れることはできません。
愛の故郷をもつことができるという事実は、氏族的メシヤの福音であり、朗報です。その次には、祝福を中心として血統が転換されるのです。今からは、故郷が私の故郷になるのです。私の血筋は、そこから流れ出てきました。その血筋を広め、万国の愛の流れがきれいな水になり、天国という大海に入っていくのですが、そこが霊界です。
霊界は、この地上の愛の大海が連結された世界であり、そこが天上天国です。それゆえに、あの世では、愛の体恤的心情をもたなければ生き残ることができないのです。
愛の心情は、子女の心情、その次には兄弟の心情です。兄弟は拡張であり、夫婦は統合です。このように一つになって中央を占領するのです。
結婚とは、本然的神様が愛という概念を中心として一つになることができるようにされたことです。そこにおいて何が垂直かというと、愛が垂直です。それゆえに、縦的な神様を中心として、初めてここにおいて横的なアダムとエバが、縦的に運動する愛の実体の前にさっと入ってくるのです。そのようにして、初めて家庭的な定着地が生まれるのです。
個人と家庭、氏族、民族、国家、世界がこの一点を中心として定着するのです。これが軸です。
神様は男性格主体だと言ったでしょう? ですから、男性が中心です。何故男性が中心かというと、赤ん坊の種、生命の種をもっているからです。女性には赤ん坊の種がありません。それで核です。愛の種も、生命の核と接するためのものです。神様と一つになるためのものです。生命の種が神様でしょう? それゆえに、理論的で、核心的な定着点は、神様の愛と一致する所です。
現在、堕落圏内にいる私たち人間が行かなければならない目的地は、天国です。別の言い方をすれば、還故郷しなければならない、故郷へ帰らなければならない、このように思うのです。故郷へ帰るにおいては、私一人では行くことができません。創造目的というものがあるので、創造目的を完遂した立場で故郷へ帰っていかなければなりません。
堕落していないアダムとエバの立場から見れば、たった二人で帰ったとしても、彼は天地を代表し、世界を代表し、国を代表し、家庭を代表した立場で帰っていくことができるのです。これが、本来神様によって息子、娘として造られたアダムとエバに賦与された責任でした。
自分が生まれた故郷を中心として、いかにしてこれを天国の故郷に代置して拡大させるかということが問題です。それゆえに、氏族的メシヤを設定したのです。氏族的メシヤを設定することによって、母親はアダム家庭に代わり、それから自分はイエス様に代わり、先生は再臨主に代わるのです。三代、二代、一代が、歴史の根源地である自分の先祖と真の父母圏を横的に連結するのです。
それゆえに、自分を生んだ母親がアダムとエバに代わり、皆さんはイエス様に代わり、先生は再臨主に代わるのです。これによって、皆さんの母親と皆さんの生まれた場所が天国の故郷になるのです。天の領土圏内にある故郷の位置を再び復帰してきたのです。
皆さんの故郷は、故郷ではありません。国が故郷となり得る時が来たのです。それゆえに、皆さんがあの世に行くようになれば、今まであった境界線はなくなります。今は故郷に境界線がありますが、このようなことをしておけば、霊界に行って国境なく連結することができるのです。どの故郷の地にも連結することができる地上天国の基礎ができるのです。
ですから、これを連結すれば、すべての国家の戸籍に入籍したものが、そのまま天国に編入されるのです。ですから、堕落せずに繁殖した人間の故郷が天国の故郷に代わるようになったので、天国に生まれた立場に立ち、すべて接ぎ木されて天国に入っていくようになるのです。そのようにして、故郷復帰が成されるのです。
そのような故郷、そのような国家が復帰されれば、天国が復帰されるのです。そのような基盤の上で真の父母復帰が完成するのです。真の父母復帰、真の父母が立つことができる位置で、このようにすべての天国の条件、天宙復帰の基盤を完成してこそ、真の父母が使命を完成するのです。
皆さんの故郷はどこかというと、真の父母が生まれた所であり天国です。ソウルが真の父母の生まれた所であり天国ですか。そのコンセプトをどのように克服するのですか。そのコンセプトをどのように越えていくのですか。「私は全羅道の人だ。私は京畿道の人だ。私は韓国人だ。私はアメリカ人だ!」というコンセプトを神様は願われません。エデンの園のアダムとエバに、そのようなコンセプトはなかったというのです。
神様の遺業を相続するために最後に越えなければならない条件とは、神様をもち、真の父母をもち、真の兄弟をもち、真の民、真の国、真の世界をもたなければならないということです。「全人類が私の兄弟であり、あなたと私は永遠、不変だ」と言うことができ、分けることのできない兄弟の心情を通じて、天国家庭の家族として生きることができる人にならなければなりません。
「この地は私たちのもの、天は私たちのもの、父は私たちの父だ」と言うことができる真の家庭を中心として、この地上に真の国を成し遂げ、神様の遺業を相続することができる皆さんにならなければなりません。
今日、私たちの信仰生活とは神様を信じるというキリスト教を注意深く見てみるとき、天国に残ることができる民は、どれくらいいるでしょうか。さらには、「神様の所有だ」と永遠に主張することができる民族はどこにいて、「神様の国だ」と主張することができる地はどこにあり、そのような物、そのような人はどこにいるのかというのです。これを皆さんは知らなければなりません。
どれほど立派な夫をもらい、どれほど良い暮らしをしたとしても、神様が分からなければ、地獄に行くのみです。神様の民として入籍しなければなりません。いくら有名なハーバード大学の総長だったとしても、神様の国の民として登録されなければ、地獄に行くのです。家庭、社会、国家、世界、人類の歓迎を受けたのちに天国に入っていくのです。
天一国には、主権と国と国民が必要です。ですから、昨年(2001年)の神様王権即位式は主権復帰でした。それから神様祖国定着大会は領土復帰であり、その次には天一国国民として入籍するのです。分かりますか。ですから、カードをもって初めて国民になるのです。国が形成されるためには、主権と領土と国民が完備されなければなりません。それが完備された上で、このような天一国の万世安着を宣布したという事実を信じ、神様のように自信をもち、文総裁、真の父母のように自信をもって一気に押せば、押すことのできないものはないというのです。
神様の王権を樹立したのは神様ではありません。真の父母です。分かりますか。天一国をつくったのは神様ではありません。真の父母です。
天一国という言葉は、天宙平和統一国です。「天」という字、これは二人です。二つの世界です。これは水平です。天国と地上の人です。天の人と地の人の二重構造になっているのです。皆さんは心と体の二重構造になっているでしょう。心と体は、一つになっていますか、なっていませんか。闘っていますか、統一されていますか。闘っている人は、天一国の国民になることができません。
神様王権即位式ののちには何をしたのでしょうか。韓国において先生が何をしましたか。神様祖国定着大会をしたのでしょう? それは、真の愛の血統を受け継ぎなさいということです。それを世界的に行いました。その次には何をしたのでしょうか。天一国を宣布しました。天宙平和統一国です。それが天一国です。それでは、天一国とは何でしょうか。二人が一つになる国です。分かりますか。天は二人でなければなりません。父母は二人でなければなりません。すべてペア・システムになっているのです。それが一つにならなければなりません。二つの物、二人の人、二人の父母、二つの性格、主体と対象が一つになった所には本然の基台が生じ、神様がお立ちになることができるのです。
聖書にも「もしあなたがたのうちふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら」(マタイ18/19)となっているでしょう? 神様まで合わせれば三人でしょう? 同じことです。二、三人の人が国の基礎になるのです。家庭の基礎になり、国の基礎になり、世界の基礎になるのです。そこから家庭が生まれ、氏族の出発がなされるのです。二人以上でそのようになるのです。
今日は、天一国二年十一月五日、第四十三回を迎える「真の子女の日」でございます。「神の日」と「子女の日」と「万物の日」を総合して、エデンの園において家庭で成し遂げることができなかったことを、天上世界にまで拡大した人類を中心として、エデンの家庭完成を総決算することができる天一国を中心とした平和統一平定時代を発表いたしました。神様が、天上地上平和統一解放聖火式の終わった祝福家庭を訪問するにおいて、支障なく思いどおりに訪問され、苦楽を共にすることができる時代として、同じ生活圏において迎えることができるように、天上世界の願いは地上にあり、地上世界の願いは天上にあるので、天の願いどおり、地の願いどおりにお互いが一つになって平定された基準に立ち、解放された忠孝の道理を残し、天国中心の先祖たちとして地上に残ることができるように祝福してくださることを懇切にお願い申し上げます。
きょう、天一国平和統一平定時代の到来を発表し、今や、霊界の恨を解き、地上に再臨して子孫たちを協助し、また教団の教主たちは宗教を中心として世界に協助し、不義によって苦衷の中に束縛された天のすべてのものを解怨成就し解放することができる時代、自発的に、自由に活動することができる時代、蘇生の天国を創建することができる時代を迎えましたので、許諾してください。
きょう掲げた標語は何ですか。真の愛で? 私たちの家庭は天一国の孝子、忠臣、聖人、聖子の真の家庭を完成させます。ここには神様の創造理想のすべてが入っています。この真の家庭を中心とした孝子の伝統を受け継ぐのが忠臣であり、忠臣の伝統を受け継ぐのが聖人であり、聖人の伝統を受け継ぐのが聖子であり、聖子の伝統を受け継いで王権が樹立されるのです。
ですから、相続とは、王権を手にしたその基盤において成されるのであり、自分のもっている所有意識であれ、国に属しているものはすべて否定されなければならないのです。それは、あってはならず、いずれにしろ決別しなければならない堕落した結果だというのです。神様が願われない怨讐の血筋で連結された汚れた世界です。神様は、そこに影を掛けることも願われないのです。
それゆえに、神様は、今日この世の中のすべての悪の世界、戦争によって数多くの人々が死んで滅び、栄枯盛衰を経てきた今までのすべて世界に対しては干渉なさることができなかったのです。
一度神様の前に100パーセント本物の孝子の家庭になってみたいと思いますか。そのようになってみたいと思うならば、何が惜しいでしょうか。それしかありません。そのようになろうと思えば、自分の七代先祖から燃やして祭物にしたとしてもしなければなりません。祖業田や国まで売ったとしてもしなければなりません。このようになっているにもかかわらず、「総生畜献納を教会に納付しなさい」と言っても躊躇し、食べて残ったものを……。アナニヤがペテロの前でそのようなことをして、夫婦ともその場で死んでしまい、地上から消えてしまったという聖書の話を知っていますか。それよりももっと恐ろしい時代が来たということを知らなければなりません。