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第3章 神様と真の父母 : 三 神様を解放する真の父母 : |
悲惨にも、神様が理想とされた真の家庭は実現されませんでした。エデンの園では蛇はエバを誘惑し、エバはアダムを誘惑して、利己的な偽りの愛をこの世に植えました。人間の罪と不幸は、人間の先祖アダムとエバがサタンを動機として結ばれた不倫なる愛の結果から始まりました。
個人を復帰して、真の家庭を復帰して、真の愛と善を世界的基準に拡大しなければなりません。ただ、この真理だけが争っている教派を一つに統一することができ、また地上天国を成すことができるという事実を知っている私は、五十年前にこの啓示をキリスト教徒に明らかにしました。私は、もう一つの分離された教派をつくる意向は絶対にありませんでした。
しかし、神様のメッセージは、既成教団から拒否されて迫害を受けました。私は、やむを得ず他の基盤を築かなければならなかったのであり、過去四十三年の苦労がそれでした。
一九五四年、韓国で「世界基督教統一神霊協会」として始め、日本、アメリカ、ヨーロッパ、そして、全世界に宣教師を派遣しました。この基盤の上に私たち夫婦は、多くの団体を立て、真の家庭の原理が学術、言論、宗教、芸術、産業分野で扱われ、この世界を蕩減復帰することができる標本と典型をつくろうと努力しました。
エデンの園で失ってしまったすべてのものをどのように復帰するのか、これが先生の還故郷という考えです。故郷へ帰らなければなりません。それで、氏族的メシヤと国家メシヤを派遣しました。神様は、イエス様という一人のメシヤしか送ることができませんでした。そのメシヤは、氏族を解放するメシヤでした。今この時に、先生は、神様の立場で百八十五カ国に国家メシヤを派遣しました。その国家メシヤは、イエス様の時の氏族的メシヤより次元が高いのです。
そのようなコンセプトがイエス様の時にはありませんでした。十字架ですべてのものを失ってしまいました。家庭がなかったのです。それで、天国に入っていくことができず、楽園にとどまるようになったのです。本然の天国では、家庭から氏族、民族、国家へと続いていくのです。
イエス様は、家庭を成し遂げることができませんでした。エデンの園でも、家庭が失敗したのでアダムが追い出されました。それを復帰するために真の父母が現れ、失ってしまった家庭以上のレベルである国家基盤の上でメシヤを派遣したのです。
人間が堕落することにより、神様を失ってしまい、真の男性、真の女性、真の夫婦、真の子女の位置を失ってしまいました。粉々にすべて壊れました。堕落した人間たちは、神様と一つになることができません。神様に侍ることができる真の男性と真の女性が一つになり、離れようとしても離れることができず、別れようとしても別れることができない真の夫婦を成して、真の息子、娘を生まなければなりません。すなわち、神様を中心とした真の父母、真の夫婦、真の息子、娘となって四位基台を成し遂げなければなりません。
したがって真の父母は、神様をお迎えしてきて、すべての家庭の中心にならなければなりません。ここでの生活制度は、万民が生活することができる生活制度であり、ここで望む国家観、ここで論議される世界観、ここで教える理念は、全世界の万民が共通してもたなければならない国家観であり、世界観であり、理念だということを知らなければなりません。
ところが、これがそのようにできないので、現在、修羅場が展開されるのです。しかし、人類は、今まで一つの門に向かって終末の時を願ってきたのです。真の父母の願いは、人類が神様を中心として真なる家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙を成し遂げることです。そのようになれば、神様の愛までも復帰することができるのです。
神様の怨恨とは何でしょうか。民族を抱えて泣かれ、地に対して泣かれましたが、神様が願われる勝利した息子を抱いて喜びの涙を流せないことが天の怨恨だというのです。すなわち、天から[あなたは勝利した息子だ]と認められる人がいないことが、天の怨恨であり悲しみです。
それだけでなく、失った息子、娘を復帰するために、そのようにさまよわれた神様を抱いて泣いた人が一人もいなかったというのです。
「神の日]において、人間として成してさしあげなければならない神様の願いとは何かといえば、神様の真の愛を中心として神様を完成させてさしあげることです。神様を完成させようとするならば、人間が完全な主体の前に完全な対象の位置に立たなければなりません。それが真の父母です。また、神様を真の愛を中心として解放しなければなりません。それを誰を通してするのですか。真の父母を通してするのです。このような内容を知っているので、神様を解放してあげることができるのです。
主体的神様を中心として、先生がマイナスになって一つになったのと同様に、皆さんが真の父母を中心として、実体的にプラスとマイナスになることによって、神様と一つになった位置に思いのまま行くことができるのです。再創造原理がそのようになっています。
先生が祝福してあげることによって、神様と中心とした一族、一国が、一世界、天上天下に垣根がつくられるので、神様が解放されるのです。
神様の胸に打ち込まれた釘を、地上で真の父母の胸に打ち込まれた釘を抜かなければならない責任者とは誰ですか。真の父母だというのです。また、そのことを最後にしなければならない人が、お母様です。お母様を前面に立てて世界を巡回するのです。女性たちは全員、お母様の代わりにならなければなりません。
今日の歴史は、父母を取り戻さなければならない歴史的な方向に流れています。神様がいらっしゃるならば、その神様を中心として創造の目的を完結させることができ、すなわち救援の目的を完結させることができる真の父母がいて、その真の父母が神様に孝心を尽くさなければなりません。同時に天使たちは、その真の父母の息子、娘を中心として忠誠の道理を果たすのです。それが本然の創造原則ですが、それが壊れてしまったのです。ですから、私たちは、それを再現させて蕩減しなければなりまんせん。失ってしまったのならば、失ってしまったその姿どおりに取り戻さなければなりません。
皆さんは、父母が所有する父母の息子、娘ではなく、先に神様の息子、娘にならなければなりません。堕落していなかったならば神様の息子、娘ですが、逆になっています。今は、神様の息子、娘になることができなくなっています。ですから、真の父母の息子、娘になったという条件的基準で、根が違うのでその根を切り捨て、大木の根元を切り捨ててここに接ぎ木をし、先生を中心として新しい芽を連結するのです。接ぎ木するのです。それが神様を解放してさしあげることです。
キリスト教だけでも数百の教派に分かれ、教派間で闘っています。そのように闘うところが神様の肢体と神様の踏み台になることができますか。できないというのです。そのような観点で見てみるとき、神様が思いどおりにできる教派がないというのです。
それでは、神様にこの地上で天国を成し遂げようという理念があるならば、神様はどこに行かれるはずですか。仕方なく一つの家庭でも訪ねていかれるしかないという結論が出てきます。
それでは、父母が神様と直接一つになり、その父母を中心とした子女が父母と完全に一つになり、神様がその家庭の唯一の主人になり、その家庭が主人である神様の家庭になり、その家庭の所有が神様の所有になる、そのような家があるかというのです。
アダムとエバがエデンの園で夫婦になることができなかったことを、歴史時代を通して克服してきたすべての結果を締めくくるものとして、真の父母を再現するその祝宴が「子羊の婚宴」です。「子羊の婚宴」を通して真の父母が結婚式をもつならば、その息子、娘もその伝統に従って結婚することにより、すべてのものを真の父母の理想に、神様の願われる愛の世界に包括することができるのです。
その中心から全体の環境的要件まで、自分と接触させることができる愛の解放的王子、王女として登場する家庭が、私が暮らすことのできる私の家庭だったのです。神様の家庭であり、私たち人類の家庭であり、私の家庭だったのです。それが大きければ大きいほど、神様と、人類と、愛することのできる国を代表するのであり、それが平等と統一がある愛の天国だったというのです。
アダムが堕落することにより、偽りの父母が生まれたでしょう? ですから、真の父母が現れなければなりません。偽りの父母は、サタンを根拠として生まれたので、神様を中心として真の父母にならなければならない本然の創造理想が残っているというのです。それゆえに、堕落したアダムを救い、本然の真の父母の理想を地上に実現しなければなりません。
それでは、どのような力でできますか。偽りの父母を通して生まれたこの世界人類が、もし堕落していなかったならば、神様の息子、娘になり、本来真の父母の息子、娘になっていたのです。それが創造原理なので、偽りの愛によってこのようになったことを放棄できないというのです。
皆さんがいくら忠臣の家庭になったとしても、国がなくなる時にはなんにもなりません。国でいくら忠臣でも、国がない時は歴史に定着できる基盤がないというのです。ですから、家庭を通して国を取り戻さなければなりません。国を通して世界を取り戻さなければならず、世界を通して天宙を取り戻さなければなりません。そのようになれば天宙の主人です。
ですから、個人は家庭のために投入しなければなりません。投入して忘れてしまわなければなりません。「ため」に生きて犠牲になりなさいというのです。個人は家庭のために、家庭は氏族のために犠牲になるのです。氏族は民族のために犠牲になり、すべて犠牲にならなければなりません。民族は国家、国家は世界、世界は天宙、天宙は神様のために犠牲にならなければなりません。神様まで行くようになれば、神様も犠牲になり、私に戻ってくるというのです。そのまま流れていくのではありません。最後に神様に投入して忘れてしまえば、神様がすべて所有され、それに愛を加えて天地の世界を私に与えてくださるのです。
人類の解放とともに神様が解放されることを知らなければなりません。皆さんの家庭が解放されることは、家庭を失ってしまった神様の悲しみを私が慰労してさしあげることです。一族を解放させ、一族を失ってしまった神様の悲しみを慰労して、一国を私が建国し、神様が国を失ってしまったことから解放してさしあげなければならないのです。先生の一生は、失ってしまった天宙を取り返して、神様の悲しみを慰労するということです。私の願いはありません。私の考えはありません。絶対信仰、絶対愛、絶対服従するのです。「死になさい」と言えば直行します。死んでも戻ろうと思いません。
それで、神様を完成させて、神様自体を永遠にサタンから解放しなければなりません。自然監獄に閉じ込めれたのと同じように、捕らわれの身になったことを解放することができる息子にならなければなりません。それでこそ、家庭で解放されなかった恨を抱かれたかわいそうな神様が、終わりの日に世界と天宙で解放され、初めて自分の姿勢を備え、神様を中心とした家庭愛、氏族愛、民族愛、国家愛、天宙愛の法度を中心とした主権を立てることができるのです。