第3章 神様と真の父母 : 二 神様は縦的父母、真の父母は横的父母 :

 真の父母は、神様が創造される前、神様の心の世界から始まったというのです。神様が創造されたすべての理想は、真の父母を中心とした愛の理想を表題として始まったので、[真の父母]は、創造前から神様が願われた希望の言葉だということを知らなければなりません。
 真の父母を探し出すために、神様の摂理路程において数多くの人々が犠牲になったという事実を知らなければなりません。神様は、数多くの宗教を立てて摂理してこられました。宗教の中では、天使世界の宗教、カイン的な宗教、アベル的な宗教、庶子的な宗教、養子的な宗教、庶母的宗教、養父母的宗教、それから真の母の宗教、真の父の宗教があります。
 新教と旧教が、神様の摂理の全体的なみ旨に合わせて世界を指導する責任を負ってきたすべての宗教圏を統合し、一つの国、一つの世界、一つの平和世界を成し遂げなければなりません。一つの平和世界を追及する神様のみ旨を完成させようという数多くの宗教が現れたのですが、その主流宗教がキリスト教だったというのです。
 キリスト教は、何を教えるのですか。真の父母と愛を教えるのです。イエス様に関しては新郎だという話を教えてあげ、兄弟だという話を教えてあげ、神様に関しては父母だという話を教えてあげました。家庭的理想を中心とした内容を全面的に備えたものがキリスト教なので、そのキリスト教は、神様が理想とされる家庭を全面的に完成させられる内容を教えてあげたというのです。それゆえに、数多くの宗教を越えて、キリスト教だけが世界を統一したのです。
 それでは、再臨主とは誰ですか。エデンで真のお父様と真のお母様を失ってしまったので、真のお父様としてこの地に来られ、真のお母様を立てて、神様との心情的一体を中心として、血統的一体、血肉の一体を中心とした神様の家庭にならなければなりません。神様をお迎えして暮らすことができる第一次の家庭がメシヤの家庭だというのです。
 メシヤとは、完成したアダムの位置をいうのです。完成したアダムとエバが夫婦を完成し、神様をお迎えして暮らし、神様を中心とした息子、娘を生んで、神様の一族を生み、この地上で生きて、神様と共に天上世界へ移っていくのが天国だというのです。

 見せない針の先端が神様ならば、見える先端は私たち人類の先祖です。それで、神様は垂直的な父母です。そのような神様が霊界で息子、娘を生めばどれほど良いでしょうか。しかし、霊界では生産ができないのです。
 神様はなぜ、横的な父母アダムとエバを造られたのですか。アダムとエバは、天国の民を生産するための生産工場として造られたのです。なぜなら、垂直には一つの焦点しかないので生産できないのです。中心で生産すれば、どのようになりますか。今までのすべてのものを押し出さなければならないという結論になるのです。そのように、垂直には一点しかないので生産が不可能なのです。

 赤ん坊は、神様が産むのではありません。真の父母を通して生むのです。横的な真の愛の父母の位置に立った方が誰かといえば、今日の統一教会でいう真の父母です。神様の前に、縦的な愛を中心とした真の父母の前に、九〇度を備えた横的な愛をもった方が真の父母です。それゆえに、二つの父母の愛が必要なのです。一人のお方は、創造主である父母であり、一人のお方は、被造物の、神様の対象として理想を描きながら造られた肉的な父母です。それゆえに、神様は心的な父母の位置にいらっしゃり、真の父母は肉的な位置にいます。このように、縦的な愛と横的な愛を中心として生まれなければならなかったのが人間でした。
 皆さんもこれに似なければならないので、自由に縦的な愛に似るようにするために「縦的な私」がいるのです。それが心です。今まで心が分かりませんでした。仏教でも心を知りません。しかし、統一教会では心を知っています。神様の創造理想を通して縦的な愛の前に、横的な愛を中心として、それから前後の愛、球形的な理想を描いてこそ、東西南北に通じる力の消耗がなく、いつ作動しても良いことばかりであって悪いことはないというのです。相克がないというのです。

 皆さんの心は縦的な私であり、体は横的な私です。真の愛を中心として、この点で一つになるのです。そうでなければなりません。皆さんの心と体は闘うでしょう? なぜですか。堕落したからです。これがどのように一つになるのですか。真の愛がなくては一つになりません。
 ここで、神様のように真の愛を通して一つになれば、そのまま天国に行きます。救世主が必要ないのです。そのまま入っていくのです。

 天の王は縦的な中心となって心の位置に来て、地上の王は体になるのです。それゆえに、完成したアダムとエバの理想的結婚式は、神様が中心になり、アダムとエバが体となってする結婚式です。それが神様の結婚式であり、アダムとエバの結婚式だというのです。

 カインとアベルが一つになって神様の前に帰る時、初めて横的基盤が築かれるのです。神様の前に帰ろうと思えば、どのようにしなければなりませんか。真の父母を通して行かなければなりません。このように完全に一つになったその場を中心として、主である真の父母が来る時まで引っ張ってきた歴史がキリスト教歴史です。それが霊的なキリスト教歴史だというのです。

 皆さんも先生が行く天国に行こうとするなら、資格がなければなりません。それをもとうとすれば、先生のみ言どおりに一つでもしなければなりません。それによって皆さんがどのようになりますか。皆さんが真の神様、真の国、真の世界、真の天国を中心として、愛で連結される価値をもつようになります。神様を、私個人のお父様であり、家庭のお父様であり、その次には国のお父様であり、世界のお父様であり、すべての天地のお父様として侍り得る権限を得るというのです。言い換えれば、神様を私の個人的なお父様として侍ることができ、家庭的なお父様として侍ることができ、氏族的なお父様として侍ることができ、民族的、国家的、世界的なお父様として侍ることのできる権威を相続されるというのです。
 それは、父母になるための神様であり、父母の立場にいらっしゃる神様だからなのです。それで、個人の神様であると同時に、個人のお父様であり、家庭のお父様であり、氏族のお父様であり、民族のお父様であり、国家のお父様であり、世界、天の国のお父様だというのです。それは世界でも同じであり、霊界でも同じです。

 先生のものは私のものではありません。これは人類のものであり、神様の愛を中心として一体となった、堕落の侵犯とサタンの讒訴圏から外れた、本然の所有決定の条件基地だと考えるのです。アベル、天の側の愛を中心として相続された所有物だというのです。初めて地上に、真の父母を中心として神様の所有が生まれるのです。それゆえに、統一教会では、物を買ったなら売ってはいけません。必ず真の御父母様が手放すという方式を経なくてはいけません。それゆえに、先生が一度買ったものはこじきになっても売ろうとしないのに、それを売り飛ばした者たちは、あとですべて法に引っ掛かるのです。
 真の父母は、神様の愛と一つになった所有を決定されましたが、この横的な祝福を受けた家庭に、父母の位置に進んでいける道がなければなりません。しかし、そのような愛を中心とする所有の決定を父母から受けることができませんでした。ところが、「父母の日」を共に記念することによって、皆さん自身にも、今まで万物から子女、このように逆に上がっていったものが、この直接主管圏時代に来て平面で連結するのです。ここで個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、この七段階の形態がすべて成され、中央線に連結されなければなりません。それは、男性の七段階、女性の七段階を中心として、すべて連結するためなのです。

 救世主がこの地上に来られる時は、自らの新婦を取り戻されるというのです。真の女性を取り戻さなければなりません。真の女性を取り戻すことによって、神様を中心として歴史上初めて、堕落しないで完成できる縦横が連結するのです。内的天のお父様と外的真の父母を通して初めてこの地に着陸して、天国と直通する道が連結するのです。
 先生は、歴史始まって以来世界人類の中で、最も多くの迫害を受けた人です。多くの反対を受けた人です。一つの時代において、個人的にも世界的迫害を受けなければならず、家庭的にも世界の迫害を受けなければならず、それから氏族も同じです。統一教会の氏族は、世界の祝福家庭を通して全世界百六十カ国のすべての民族に接ぎ木しなければなりません。それを復帰していくのです。氏族的に、それから民族的に、その次には国家的にしていくのです。

 皆さんは、先生が世界的条件を中心として勝利した基盤の上にいるので、先生の心情を受け継がなければなりません。その心情を受け継いで、「私は真の父母の息子、娘であることに間違いなく、アベル的立場に生まれたが、この世界のカインを屈服させることは間違いない」と言うことができなければなりません。
 なぜなら、それは霊的な面において完全に勝利の基盤を築いたので、実体圏にある力は消えるようになっていて、押せば、引くようになっています。

 皆さんは、ただの一個人ではありません。「自分は世界を代表した中心だ」という観念をもてば、それがそのようになるのです。誰でもそのような考えをもって世界を代表しています。息子、娘は父母を代表していて、父母はその一家を代表しています。同じです。感謝しなければなりません。
 「摂理は自分のためのものだ」というその内容は、簡単なものではありません。自分が負債を負っていくことなので、四方を見ることができないくらい恥ずかしさを感じることができなければなりません。一時でも、そのような過程を通過しなければなりません。父母によって自分が生まれたことを幸運だと考えて孝行をするならば、すべての歴史が自分のためにそのようになったと考えれば、その孝行以上に国と世界を愛さなければなりません。そのような関係をもって行かなければできません。そのような主体性をもった息子、娘が、真の父母の息子、娘になり得るということを記憶してくださるようにお願いします。

 今日、私たちが生きているこの世界に真の父母を迎えましたが、この地には、真の父母の息子、娘だけが生きているのではなく、堕落した父母の息子、娘も生きています。本来は、真の父母の血肉を通して、神様の愛する息子、娘になるはずだったのですが、堕落により、堕落した息子、娘になったので、私たち人類始祖が誤ったことを、すべて解怨成就してあげるために再び来られる父母が再臨主であり、救世主だというのです。ですから、その方が来られて、先に生まれた長子を復帰しなければなりません。その長子が庶子のようになりました。血筋が変わりました。庶子と同じです。本然的愛では、神様の血統を受けたのですが、堕落することによって、他の血筋を受け継ぎました。だからといって神様が捨てることはできません。

 皆さんが労働をするのは創造です。一生働いても疲れを感じないで、神様の愛の世界に接触することができ、神様を慰労し得る道を訪ねていくことが愛の一生だというのです。神様が創造されたものを、私が趣味と思い、楽しく天の記念品にしていくと考えて生きなければなりません。
 それで、真の御父母様がそのように自然を求め、海という海、五大洋六大州、川という川、山という山、景色の良い所をすべて実地調査しながら生きるのです。皆さんも、そのように神様の愛をもって自然の嘆息圏を解放させるという真の父母の生活に従っていきますか、都市にいて自分個人を中心として環境を破壊し、公害を起こし、子女の情緒的側面を発展させることができる道を妨げる父母になって生きるつもりですか。このようなことを比較してみる時、先生がこのように自然を愛していった道を統一教会の食口たちは自然に従っていくので、都市分散、自然化した都市世界、自然と和合し得る理想的天国が可能だというのです。

 神様が生きていらっしゃるということが本当に実感できます。韓国の独立万歳運動の指導者が三十三人です。韓国の反対側がウルグアイですが、ウルグアイの独立軍指導者も三十三人です。南米の国も三十三カ国で、今私がジャルジンに行って仕事をしていますが、そこも都市が三十三だというのです。本当に不思議です。その周囲にある主要都市が三十三だというのです。それは本当に不思議です。
 摂理のみ旨を見れば、神様が生きていらっしゃるからそうなのです。三十三人にしなければいけません。自分まで入れれば三十四人です。重要です。国家的メシヤと、何が何でも一つにならなければなりません。不平を言ってはいけません。絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなさいというのです。