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第1章 創造の原動力は神様の真の愛 : 二 神様と真の父母と一体を成し遂げるための真の愛 : |
本来、心と体は、離そうにも離すことができず一つでした。人間の心は神様の心であり、人間は体はその心を包む器でした。ところが、人間の堕落が人間の体を悪魔に差し出したのです。それから、人間の体は悪魔の僕になりました。
人間の良心は、神様を代表する心です。良心は、自分のために存在するのではありません。天の義のために存在します。良心は、常に善に向って走ろうとします。ここに体は反抗します。体は、自分だけ楽をしようとし、利己的であり、本能的欲求によって肉欲を表そうとします。良心は、この体を叱責して心に順応させようとします。ここに、常に血を流す葛藤と闘争が一つの体の中で起きるようになります。
しかし、神様を自分の中に迎え入れなければ、誰も自分の体を征服することはできません。ただ、神様の真の愛と真理の力を中心として、主体である心は、対象である体を率いて神様と一体理想をなすようになっています。これが宗教のいう完成した人間です。
神様を中心として、神様はお父様であり、私たち人間の先祖は息子、娘でした。その真の愛が出てくるためには、神様と一つにならなければなりません。一つになるのが原則です。一つになるための原則とは何かといえば、従順にすることしかないという結論が出てきます。神様が人と一つになる日には、神様のものが私のものであり、神様であり私であり、私であり神様だというのです。神様と一つになり得るのは真の愛だけです。
真の愛と和合すれば、彼は神様の体になり、細胞になります。神聖な肢体になり、一体のようになって永遠に愛を呼吸し、愛を食べて生きることができるのです。そのような世界を天国といいます。真の愛を中心として一つになったことを、聖書は話さなかったのです。「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14・6)、そこには愛が抜けています。
真の人とは、真の愛で暮らす人です。真の愛は、与える愛であり、永遠にセンターのために生きるという愛です。これが神様の核心です。真の愛は、神様の愛です。神様を永遠に愛そうとすれば、私は真の愛の所有者になるのです。
真の愛は、神様とだけ関係を結んだ愛です。自分とか大韓民国とか、また世の中の習慣性、風習、国民の伝統性、このようなものがありますが、そのようなものと関係を結んだ愛ではありません。神様とだけ関係を結んだ愛です。人間が堕落したために、神様とだけ関係を結んだ愛になることができなかったのです。サタンと関係を結んだというのです。それが家庭だけではなく、家庭を越えて氏族、民族、国家、世界まで、地上世界、天上世界にまでそれが拡大されているというのです。今日、私たちが堕落した人として生まれ、生きている環境に染まったすべての習慣や伝統は、神様と関係ないのです。これを否定して、これを解決することが、どれほど難しいか分かりません。
真の愛は、神様までもコントロールすることができます。真の愛を中心として一つになれば、所有権が生じます。愛する相対のものは、私のものだというのです。愛のパートナーは、いつ、どこにおいても取り替えることはできないのです。絶対的な愛の主人です。
真の愛には、神様の心と体を絶対的に統一させ、一つにすることのできる力があります。神様も人と似ているとすれば、心と体があるのではないですか。心と体は、何を中心として一つになっているのでしょうか。知識でもなく、権力でもなく、お金でもないのです。ただ、真の愛だけが神様の心と体を完全に統一させるのです。
私たち人間は、欲心が多いのです。しかし、神様の真の愛圏に、さっと入っていけば、欲心がすべてなくなります。真の愛圏には相続権があります。ですから、愛の主体である神様までも私のものです。神様に属したものはあとにして、神様の心と体も私のものになります。一体になります。神様と私が一体だというのです。
真の愛は、神様の一体圏に属するもの、神様に支配されているものであって、サタンに支配されるようにはなっていません。皆さんの堕落圏は、そのようになっていません。したがって、垂直である神様の心情圏の円形は残っていますが、血統を誤って継承したので横的円形が90度になっていません。75度、または15度、このようになっているのです。その差によって、良心の呵責を受けながら、苦悶を避けることができず、圧迫を受けています。
真の愛は、ダイヤモンドより貴重です。そのアンテナから強い電波が送出され、自分の方向に従って触れ、出会い、キスをするというのです。それが真の父母のアンテナです。決して変わらないで、最後まで消滅しない貴重なものです。それで、全霊界の善の霊たちが真の父母を通して、新しい自らの明るい道を行こうとするのです。
世の中で最も悲しいことは、真の父母を失ってしまったことです。真の父母を失ってしまったことが、どれほど悲しいことかを知らなければなりません。そうしてこそ、真の父母に会うことが、どれほど喜ばしいことかを知ることができます。
それで、私が皆さんに一つ一つ指導するのです。神様の真の愛は、真の父母を通して出てくるので、真の父母には天使世界も支配されるようになっていて、すべての万物世界も支配されるようになっています。世界がその愛圏内にあることを、いつも考えなければなりません。
真の父母は、世界の人が冷遇する立場まで生まれなければならず、世界が反対する難しい立場で生まれなければならず、万物世界のどのようなものよりも貴い立場で生まれなければなりません。天使世界の天使が反対しても、それを克服してこなければならず、神様が反対しても、それを克服してこそ、それを超えて新しい理想的なものが出てくるようになるのです。
真の愛は、女性から始まるのではなく、神様を通して、男性を通して来るのです。それゆえに、女性に生命の種を植えようと、男性たちが女性を尋ね求めて歩くのです。女性は器です。完全に空の器です。空の器とは、その器に入っていくものと対等な価値をもつのです。
人間に真の愛と偽りの愛というものが生じたのですが、偽りの愛とは何であり、真の愛とは何でしょうか。偽りの愛は、サタンと関係を結んだものであり、真の愛は、神様と関係を結んだものです。では、男性も女性も真の愛を願いますか。
本来は、真の愛を願うのが人間ではありません。堕落したために真の愛が必要なのです。堕落したのです。これが問題です。
女性が女王になり、男性が王になるには、真の愛を中心としてなるようになっています。真の愛を中心として女王、または男性の王が生まれるようになっているのであって、真の愛がなければ生まれることができないようになっているのです。真の愛は、最高の位置で会うのです。最高の位置で二人がぴたっと一つになり、ここに神様が連結するのです。結婚するのは、最高の男性世界と女性世界を成し、神様を占領するためなのです。二つの世界を占領するためだというのです。男性や女性は半分にしかならないので、完成するために結婚するのです。真の愛は、神様と一つにするのです。
神様と人がどこで一つになるのでしょうか。結婚式の時に一つになるのです。本然の真の愛の中心である神様を中心として、ぴたっと一つになるのです。それは何かというと、神様がアダムの心に入っていき、エバの心に入っていくという意味です。アダムとエバの結婚式は、神様の体の結婚式です。神様の結婚式です。
外的な位置が体であり、内的な位置が心です。それで、直接的に神様が私たちのお父様です。神様の愛が私の愛であり、神様の生命が私の生命です。神様の血筋が私の血筋です。
夫婦は、すべて違う所から来て結ばれるでしょう? しかし、夫と妻が父母になって私を生み、父子の因縁を残すようにしたのですが、その横的な要素の中で、一つは他の所から来ました。それゆえに、夫婦は別れても、父子の関係では別れることができません。縦的なものは一つしかないのです。それを知らなければなりません。天地間に、本然の真の愛を中心として、人類歴史を引き継いであげ得る血統的伝授の道は、垂直の位置一つしかないのです。垂直の位置が、なぜ必要なのですか。垂直に入っていけば影がなくなります。正午になれば影がなくなるでしょう? 神様と人間の理想的な愛の理想を中心とした垂直関係ができませんでした。
それゆえに、この宇宙の中で、人間と神様が真の愛を中心として垂直的な直短距離で連結できる道とは何でしょうか。このように連結できる関係は、父子の関係です。直短距離は、垂直以外にはありません。少しだけ違っても垂直ではありません。直短距離なので垂直です。その垂直を中心として、父母は東西に直短距離で連結しています。
それから兄弟も前後に直短距離です。これが90度です。これを面で見れば24面です。全知全能の神様がそのような理想的構想力をもたれたので、垂直と水平が90度を成し遂げ、前後、左右、すべて90度を成し遂げた球形の中央に、宇宙の真ん中にいらっしゃるのです。神様は、何を中心としていらっしゃるのですか。真の愛を中心としていらっしゃいます。神様に尋ねてみれば、それしかないとおっしゃるのです。
真の愛は、通じれば絶対的になることができ、唯一的になることができ、永遠不変になることができるというのです。真の愛に一致した人は、神様に対して相対の位置に立つことができます。唯一的な神様、絶対的な神様、不変的な神様にいつでも相対できる環境圏内に入っていくというのです。
私たち統一教会員の関係は、自分の兄弟よりも近いのです。このように、今後世界は、前後の世界が一つになり、その次には夫婦が一つになり、左右の世界が一つにならなければなりません。上下、前後、左右が一つにならなければなりません。
上下、前後、左右、これは何ですか。上下は子女の道理、前後は兄弟の道理、それから左右は夫婦の道理をいうのです。このようにして完成すれば、霊界の神様の位置に上がっていき、神様に帰らなければなりません。それは、真の愛だけができることを知らなければなりません。
真の家庭は、このような公式的基準に訓練され、完成したアダム家庭を拡大させたものなので、この世界に拡大させれば東西が一つになるのであり、それは、男性と女性が一つになったのと同じです。男性を中心として、主体を中心として相対が一つにならなければならず、前後が一つにならなければならず、上下が一つにならなければならないというのです。そのようになれば、原理的な内容を中心として、真の愛によって一つの世界が間違いなく完結するのです。
神様を中心とした真の愛の道が、天国に行く道です。偽りの愛の終着地が、いわゆる地獄です。今まですべての宗教は、それをはっきりと分かりませんでした。地獄と天国のバウンダリー(境界線)を知らなかったのです。今明らかになりました。堕落した愛を復帰して再出発することが、天国の出発だというのです。