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第3章 神様と真の父母 : 一 真の父母は神様と人類の希望 : |
神様は、私たち堕落した人間にとって、先生の中の最も大きな先生です。先生の中の大王の先生だというのです。それは、神様に知らないことがないからです。また、父母で言うなら、父母の中でも最初の父母です。すなわち、真の父母です。王としては、王の王です。
今日、堕落した人間の願いは、神様の息子に会うことです。神様の息子としては、個人的な息子、家庭的な息子、氏族的な息子、民族的な息子、国家的な息子がいます。彼らをすべて取り戻さなければならないのですが、このように取り戻そうとすれば、人類がどれほど苦労するでしょうか。ですから、国家的基準にある息子圏を代表したメシヤを送るのです。このメシヤを迎える日−−個人的神様の息子、家庭,氏族,民族、国家的息子まで、すべての息子を取り戻したという喜ばしい知らせを、人間世界に与えるためのものがメシヤの降臨だという事実を、皆さんは知らなければなりません。
堕落した私たちは、神様の息子、サタンの讒訴圏から外れた神様の息子に会わなければなりません。会ってからのちには、神様が愛することのできる父母を取り戻さなければなりません。
またその次には、父母の家庭を取り戻すのです。父母の家庭を取り戻し、神様の愛を取り戻すのです。そして、神様に会うというのです。
神様の愛を中心として愛の関係を結ぶことができるものは、ただ完成したアダムだけです。アダムのは、真のお父様です。それゆえに、先生が真のお父様の位置にいるというのです。それでは、パートナーは誰ですか。女性です。絶対女性です。世界的な女性を代表したものがキリスト教の新婦教会です。新婦宗教を代表したものがキリスト教です。キリスト教の主流思想は、再臨主、メシヤを中心とした新婦思想です。
真の父母は、二つではありません。唯一です。それは、男性も絶対的に一人であり、女性も絶対的に一人です。二人ではあり得ません。そのように、二つの唯一な存在が出会って真の父母になるのです。真の父母は、神様の創造理想を中心とした真の理想的夫婦だというのです。
真の父母は、個人的、絶対的一つの標的になり、家庭的標的、氏族的標的、民族的標的、国家的標的、世界的標的となり、地上・天上天国の一つの中心形態を代表するのです。真の父母を立てるということには、神様の愛を中心として創造理想を完成した地上・天上世界を、統一させるという目的があります。
それゆえに、個人から世界、天地まで、その統一的中心になったので、個人も接ぎ木することができ、家庭、氏族、民族、国家、世界が接ぎ木することができるところにまで来たというのです。先生は今まで、一生涯このことを準備してきました。神様の真の愛を中心として、個人の中心にならなければならず、家庭の中心、氏族の中心、民族の中心、国家の中心をどのように形成するか、これが目的でした。そのような目的に向かっていくという概念をもって、これから始めなければなりません。
神様が終わりの日に約束された一日は、、「父母の日」です。真の父母に侍ることができる日です。別の言い方をすれば、堕落によって父母を失ってしまったこの地上の数多くの人々が、神様の祝福を成すことができる本然の父母を、再び迎える日です。
人類がある復帰の一つの目標を定め、神様に向かって進んでいく中において、必然的な条件とは何かといえば、父母の門を通らなければならないということです。父母の門を通るまでは、心情を連結させることができません。この時代は、心情的にはこの民族とあの民族が通じることができず、この宗教とあの宗教が通じることができず、この家庭とあの家庭が通じることができない時代です。私たちがこれを通じさせるためには、必ず神様の心情を知らなければならず、神様の心情と因縁を結ばなければならないのですが、これを連結してくれる仲保者が真の父母です。ですから、失ってしまった本然の真の父母を探し出してこそ、神様の心情と連結することができるというのです。
エデンからアダムと神様を追い出しました。それで、霊的な父と肉的な父に分かれました。これを家庭で失ってしまったので、世界的に取り戻すときには、世界型の大家庭が生まれなければなりません。それでキリスト教文化圏は、母の文化圏なのです。新婦の文化圏です。東洋と西洋を中心としてカインとアベルが一つになった息子、娘をキリスト教が抱いて、誰のところに行かなければならないのかといえば、来られる再臨主のところに行かなければなりません。そのようにしていれば、七年以内に世界を統一するのです。
その来られる再臨主が真の父母です。真の父母が現れ、真の家庭が出てこなければなりません。真の家庭を編成するのが統一教会でいう祝福です。家庭を編成するのです。
エデンの園で真の父母になることができなかったことが堕落です。真の父母が来られることによって、試練と迫害の路程がなくなるときには、世の中は真の父母の道理を求めてくるのです。真の父母の息子、娘を見ると、彼らの生活とすべての人生は、世の中の人とは違うというのです。貧しく見えても、そこには平和があり、哀れに見えても、そこには希望があり、苦しんでいるように見えても、そこには喜びをもった人生があるというのです。
アダムとエバは、神様が本当に願う真の人類の先祖、人類の真の父母にならなければならなかったのです。その真の父母の血族によって、私たち人類は生まれなければなりませんでした。歴史の出発から始まらなければならなかった人類の真の父母、その真の父母は、神様の栄光の実体として、人類の前には勝利的な永遠の実体として現れなければならなかったのです。それにもかかわらず、アダムとエバは、勝利的な実体として現れることができませんでした。
これが、今までの悲しい歴史を成してきた怨恨の基台になったということを、私たちは良く知っています。それによって天の法度を離れ、自らの実体を失ってしまい、神様の心情を蹂躙した私たち人間は、み言によって実体を取り戻し、心情の世界を取り戻す復帰の路程をたどってきているということを、私たちはよく知っています。
このように堕落した人間は、万物よりも悪なる位置に立つようになり、神様に自由に対することができない悲しい立場に落ちるようになったのです。このような人間は、自ら回復することができないので、神様は、彼らを目覚めさせて再創造の役事をしてこられました。僕の位置を経て、養子の位置を経て、息子の位置を経たのち、勝利的な主管圏を備えて真の父母の位置まで復帰してこられたという事実を知らなければなりません。
皆さんは、堕落の氏族です。皆さんは、神様がどのような方でいらっしゃるのかを知らなかったのです。真の家庭、真の社会、真の国家、真の主権がどのようなものだということを分かりませんでした。それでは、皆さんは、これからどのようにしなければなりませんか。人間の堕落以後六千年間、数えきれないほどの涙を流されながらサタンと闘う神様ではなく、栄光の神様を知らなければなりません。二千年間闘ってきたイエス様と聖霊ではなく、栄光のイエス様と聖霊を知らなければなりません。闘う天上世界の億千万の聖徒ではなく、栄光の中で生き、栄光を享受する億千万の聖徒を知らなければなりません。地上で迫害されて苦痛を受ける聖徒ではなく、栄光の中にいる聖徒を知らなければなりません。そのような聖徒を見ましたか。見ることができませんでした。アブラハムも、ヤコブも、モーセも、イエス様も栄光の神様を紹介するために来て、死んでいきました。栄光の真の父母を紹介して、栄光の真の息子、娘を紹介して、栄光の真の民族と真の天民をつくるために努力しました。
神様が御覧になる時、この世は堕落した世の中なので、愛国者が一人もいませんでした。孝子もいなくて、聖人、聖子もいなかったのです。メシヤが地上に来られて、神様の家庭を築かなければなりません。そこから孝子が出てきて、国の基盤の上に愛国者が出てきて、世界的基盤の上に聖人、天宙的基盤の上に聖子が出てくることができるのです。第一・第二アダムが失ってしまったものを取り戻すことが、私に対する召命です。すべてのものを売り払ってでも、その国を取り戻さなければなりません。統一教会員ならば、霊的、肉的、すべてのものを投入して犠牲になっても、「私が天国を成し遂げる。愛国者になる。聖人、聖子になる」と考えなければなりません。
それでこそ、神様の祝福を受けるようになります。「あなたこと本物の孝子であり、本物の愛国者であり、本物の聖人、聖子だ」と言われるその時、初めて「私があなたを祝福する」と言われるのです。そこからすべてのものを相続されるようになります。その場が、すべての統一教会員の本郷です。
本来、「父子」という言葉は、本然の父と息子、娘をいうのです。そのような父子がなければ国もできません。万民は、平和の世界を願っています。その世界は、今日の世界の先進国家が追求している、そのような文化を通して成されるのではありません。
真の父母を通して成されるのです。真の父母が一枚のむしろを使い、ぼろきれのふろしき包みを担ぎ、いくら色あせたよれよれの服を着ていたとしても、また千丈、万丈の奈落から気力の果てた姿で出てきたとしても、堕落した人間は、その真の父母を中心として神様の心情を学ばなければなりません。
それでは、どの程度に心情を接ぎ木しなければならないのかといえば、お父様の腹中から接ぎ木をし、お父様と共に生きたという条件を立てたのちに、お母様の腹中を通して生まれ、成長しながら父母に侍って暮らさなければなりません。しかし、それによって終わるのではなく、父と母と共に暮らすことのできる親戚と愛の因縁を結び、親戚を中心とした氏族と心情の因縁を結び、その氏族は民族と心情の因縁を結び、その民族は国家と心情の因縁を結び、その国家は世界と心情的な因縁を結び、その世界は天地と心情の因縁を結び、その天と地を通して神様まで心情の因縁を結んだという基準を立てなければなりません。それでこそ神様が「あなたは私の息子である」とおっしゃるのであって、自分自身だけを中心として心情の因縁を結んだ人を、神様が私の息子だとはおっしゃいません。
再び生まれなければならないというのは、堕落したアダムとエバの子孫である父母の血肉を通して生まれなければならないということではなく、堕落とは関係のない父母の血肉を通して生まれなければなりません。そうでなくては神様に帰ることができないのです。
罪の根本は、アダムとエバから始まったので、これを踏み越えて、すなわち原罪と因縁がない位置で生まれたという資格を備えることなくしては、神様のもとへ帰ることができないのです。
神様が私たち人類を救援しようとされるとき、堕落圏以下ではいくら救援しようとしてみたところで救援できないのです。それで、神様は、堕落していないアダムとエバ以上の真の父母をこの地上に再び送り、その父母を通して人類が再び生まれる路程を経るようにして、サタンと永遠に関係がなくなり、サタンが讒訴しようにも讒訴できないようにされ、神様だけが主管され、神様だけが干渉なさることができるようにされるというのです。そのような位置で人類が再び生まれることなくしては、原罪をもった人間が、原罪のない位置には帰れません。
堕落した父母の因縁によって、神様から離脱した伝統を受けて、この世界がこのようになりました。ですから、真の父母が来て新しい主義を立てなければなりません。それが真の家庭主義です。真の家庭主義が出てこなければ、世界主義が出てくることができません。この真の家庭主義の代表者は、神様の真の息子にならなければなりません。彼は、神様の心情的なすべてのものを相続する内情的な相続者であり、外形的な相続者、そして、万物所有権の相続者にならなければなりません。
別の言い方をすれば、神様の心を相続することができる方であり、体を相続することができる方であり、万物を相続することができる方でなければなりません。そのような息子でいてこそ神様の代表者になることができます。その息子が来て、初めて天国が成されるようになるのです。
真の家庭主義は、神の愛主義です。愛がなければ、いくら世界の第一主義だと威張って歩き回っても、その人は不幸な人です。真の家庭主義は、父母が行けば、その息子、娘が父母のあとを永遠に従っていく主義であり、また兄が行けば、弟が永遠に従っていく主義であり、弟が行けば、兄が永遠に従っていく主義です。ですから弟の国があれば兄の国が従っていき、兄の国があれば弟の国も従っていかなければなりません。
それでは、神の愛主義とは、どのような主義ですか。国境を超越して、このすべての平面的な世界を超越して、お互いが授受することにおいて、争って先に与えよう都市、受けることを遅らせようとする主義です。そのような主義の世界が今後、訪れる理想世界です。理想世界は、何か大きな権勢をもって号令する世界ではありません。理想世界というものは、自動的に心が動いて神様の愛に和合することができる万民兄弟主義世界です。今後、そのような世界になるはずです。
四大心情圏と三大王権を私の家庭で花咲かせ、嫁に行って、妻をめとって、そのまま本郷の地に移しておくことが神様の創造理想でした。ここに、すべてのことがかかっています。ここに真の父と母、真のおじいさん、おばあさん、真の夫婦、真の子女がいるのです。天国にあるのではありません。ここで一つになって、もっていくようになっています。人類平和の家庭、王の家庭を築くことができる教材、テキストブックが統一教会にだけあるというのです。その教材をもってこられた方が真の父母なのです。真の父母の家庭には、真の父母のおじいさん、おばあさんもいらっしゃり、真の父母の息子、娘もすべているのです。その真の御父母様は、どのようなことをされるのでしょうか。世の中の国は、すべて滅びていきます。アメリカも滅び、イギリスも滅び、韓国も滅びる兆しでいっぱいでしょう。
真の父母は、家庭を収拾して国を収拾するのです。この二つの責任が真の父母にあります。真の愛と真の生命の種で接ぎ木することにより、収拾することができるのです。人類が堕落したので、今日の偽りの愛、偽りの生命の種を受けました。これが野生のオリーブの木になったので、真のオリーブの木に接ぎ木して真の愛に接ぎ木し、真の愛を中心とした生命を再び受け継がなければなりません。そうでなければ、真の父母の血族になることができないのです。
今日の既成教会では、「イエス様を信じて天国に行く」と言うでしょう? 私たちは、「天国を成していく」と言います。天国は今、空いています。本然の理想的な家庭形態をもつことができず、これを成し遂げようとしましたが成し遂げることができなかったので、再臨時代にメシヤが来て成し遂げなければなりません。再臨主は真の父母です。そして、真の国の王、天地の王として来るのです。
先生は、天地の全体を代表して開拓した真の父母になりますが、それは一つの種と同じです。種を植えれば、それを中心として根から幹を経て芽が出てくるのです。千年、万年、いつまでも大きくなるのではありません。大きくなれる時まで大きくなって、次第に縮むのです。それと同じです。種は、実を結ぶようにしてくれるのです。
帰ることができなかった故郷を、真の父母を中心として真の国を成し遂げた立場で取り戻すことができるように、勝利的権限を下さったことが、天下を与えられても取り替えることができない有り難いことだということを知って、涙を浮かべながらその故郷の道を帰らなければなりません。
不平を言えば呪われます。先祖がしりをたたくので、今後、息子、娘が平安でなくなります。皆さんに対して薬を与え、病を与える時が来るというのです。
私たちは、サタンから生まれた堕落した人間なので、サタンの愛から出発しました。それで、神様の愛と真の父母を中心とした愛の因縁をもつことができなかったので、真の父母の息子、娘になることができなかったというのです。
結局、メシヤとは何ですか。真の父母です。それでは、なぜ真の父母の愛を必要とするのですか。私が真の父母の愛を通して再び生まれなければ、生命が出発することができないからです。生命は、愛によって出発するのです。ところが、私たちは、堕落した生命から出発したので、これを否定して真の父母の愛と因縁を結ぼうとするので、真の父母の愛を求めるのです。それで、メシヤが必要なのです。
救世主、その方さえこの地に来られれば、その方の中では、神様が求めてこられた個人も生き返ることができ、神様が求めてこられた家庭も生き返ることができ、民族、国家、世界が生き返ることができるので、今日、道義世界を望んでいる数多くの民族は、「救世主よ、来たりませ!」と言いながら、救世主を待ち焦がれているというのです。
なぜなら、その方が完成した世界的な真の父母の立場にいらっしゃるので、私たちは、その方にさえ侍れば、真の父母の息子、娘になります。また息子、娘になって育ててもらえば、私たちも結婚して真の父母になることができるというのです。
統一教会の食口だけは、世界を兄弟のように考え、一つの国のように考え、神様を中心として一つの血筋を受け継いだ兄弟のように考えることができるのです。この運動が統一運動です。
先生が今まで四十年間の闘争過程で滅びなかなったのも、神様が願われるそのような考え、そのような思想をもったからです。神様と同じ立場にいるので、それを保護されるために滅びないのです。それと同じように、皆さんも自分を中心として考えるなというのです。このすべての国境を越えて、神様の息子、娘の代わり、真の父母の息子、娘の代わりとして生きるようになれば、今後、成されるすべての版図は、皆さんのものになるのです。
神様の理想が分からず、統一の概念が分からない者たちは、地獄に落ちるのです。彼らは、恥ずかしい姿になってしまうのです。皆さんは、子女です。今この時の皆さんは、子女になるのです。
旧約時代には兄弟でした。兄弟として長子権を復帰する、そのような時代は過ぎました。メシヤの心情は、父母の心情です。祝福を受けて、周囲の堕落した人々を一度見回してください。サタンは滅びていくのです。
歴史上どのような聖人、賢哲、どのような孝子、忠臣を問わず、私が神様を愛することにおいては、彼らはその根本が違います。私は、世の中を中心としてはいませんでした。完全に新しい次元において、神様の本然的愛を中心として、本然の愛による生命と一つになり、その生命と一つになった血統の因縁を自分が伝授されて、神様が「私の息子、娘を抱いた家庭だ」と誇ることのできる家庭が、今日の堕落した世界には一つもないというのです。家庭を夢見て、それを成すために送った方がメシヤであり、これがメシヤの使命なのです。
真の父母は、家庭を収拾するために必要です。サタンが家庭を破綻させておいたので、その混乱した家庭を収拾するために救世主が必要なのです。サタンが国を滅ぼしておいたというのです。家庭を破綻させて国を滅ぼし、神様の家庭と神様の国を永遠に編成できないようにすることがサタンの最高目的です。ですから、家庭をサタンから奪ってくるために真の父母が必要なのであり、サタンが滅ぼしておいたものを奪って、神様が願う国をつくるために救世主が必要なのです。
皆さんが知っているように、レバレンド・ムーンの夫婦は、真の父母という言葉で全世界に知られています。今日、私たち夫婦が本当に真の父母として真の愛、真の生命、真の血統によって神様と連結したということが事実ならば、この地上には、平和を成し遂げた「真の家庭と私」から解放と自由と統一と幸福の天国が芽生えてくることを記憶してくださるようお願いします。
神様が愛の理想を中心として、解放された位置に堂々とお立ちになり、「私は解放された天地創造の主人である!」と言って万歳をお叫びになることができるためには、地上で真の父母を中心として愛の因縁を、血縁的関係を結ばなければなりません。また、そこで決天敵関係を結んで生まれた息子、娘がいなければなりません。その息子、娘を中心とした家庭によって一つの国家、世界まで形成することが、創造主として全人類の歴史を通じた希望の基準だということを知らなければなりません。
父母の中の父母が神様です。神様は、私たちの真の父母だというのです。真の家庭の王、真の国の王、真の世界の王が私たちの御父母様だというのです。その方に侍ることができる千年太平時代を迎えなければなりません。韓国の「月よ、月よ、明るい月よ、李太白が遊んだ月よ……」という歌のように、この地上で御父母様に侍り、千年、万年生きたいという、そのような希望を成すことができる統一教会員各自の使命と、召命的目的があるということを知らなければなりません。
天地に運動する数多くの存在物の価値基準を決定し得る核心であり、中心が真の父母です。すべての存在の希望の価値を決定し得る要因が真の父母だというのです。したがって、神様が常に共にいらっしゃるのです。神様がそのようなお方としていらっしゃるからです。歴史的な結実を追及する原理の原因になるのであり、時代の中心であり、未来の主人が神様です。したがって、真の父母は、神様が臨在なさることができる中心本部なのです。
真の父母は、神様の体です。私たちに良心と肉身があるのと同じように、宇宙の原点、最初の出発点は神様と真の父母です。人を例に挙げれば、神様はアダムとエバの心です。それが平面的な心ではなく、立体的な心です。その立体的心と平面的心が自分の位置を決定することは、それ自体では不可能です。愛の力によって永遠の位置を決定するのです。真の愛の出発は、そこからなされます。そのようになる場合には、すべて一体です。良心に苦痛があるときには、肉身も苦痛を感じます。避けることができません。
真の父母という人は、神様の心の中における息子の中で、最高の息子だというのです。相対完成した永遠の息子として、その息子の歴史は、このようになってこそ永遠の息子が生まれるという神様の教本となるものであり、そのような歴史を残した息子だというのです。
神様が見ていらっしゃるレバレンド・ムーン、真の父母の価値と、皆さんが知っている価値とは、天地の差です。原理的な観点で、あまりにも差があります。神様の立場で見れば、レバレンド・ムーン、真の父母というものは、歴史始まって以来、創造の時代から願ってきたことです。真の父母というものは、堕落した人間たちが願う前に、創造された神様が願われたものです。創造する前から願われたものなのです。創造以前に神様が願われた目的だったというのです。
それでは、この被造世界は何億万年などと言いますが、何千万年の歴史を経ながら、創世以前の理想をこの地上に実現するために、あらゆる努力をしてきたのが今までの宗教歴史です。それが主流宗教の歴史だというのです。ユダヤ教は第一次選民、キリスト教は第二次選民、統一教会は第三次選民圏を通して出てくるのです。長い歴史時代を通して多くの犠牲を出したのは、その一つの目的を再び取り戻すためなのです。
真の父母には神様の愛が宿っています。今まで私たちが考えることもできず、夢にも考えることができなかった、そのような神様の愛が宿っています。神様の愛を中心として父子の因縁が連結するのです。それゆえに、皆さんが祈祷するときには、神様を直接呼ぶのではなく、真の父母を通さなければなりません。皆さんが祈祷するとき、最後に真の父母の名によって祈祷するということは、簡単なことではありません。習慣的に感じる、そのような簡単な内容ではありません。
そのような内容が成される一つの起点は、天上ではなく地上だというのです。それで、地上で新しい天地が展開することを皆さんは知らなければなりません。真の父母との因縁は、霊界のような漠然とした世界ではなく、地上で連結します。真の父母は、実体を備えて地上へいらっしゃるというのです。ですから、真の父母は、私が呼べば返事をすることができ、私が難しい立場にいれば同情してくださるのです。このように平面的な途上において、真の父母に出会うことができるということが、人間にとってどれほど幸福で楽しいことか分かりません。
地上に生きなければならない人々は、本来神様の真の愛から生まれ、真の父母を通して真の子女を中心とした血縁関係を経て、この血縁的基盤を縦的として、世界に拡大しておかなければならなかったのです。そのような主体的家庭を中心として、相対的家庭によって連結した世界像、すなわち地上世界と天上世界が成し遂げられなければならなかったのです。これが神様の愛を中心とした創造理想世界です。
皆さんの中心は、イエス様を中心とした真の父母です。歴史的な万民は、真の父母を中心として一つにならなければなりません。ここから本来の伝統的起源が立つようになります。統一することができる伝統の起源は、ここからだというのです。三数の中心がここからです。それでは、私たち統一教会員は、どのような群れですか。真の父母の教理を教わり、真の父母の息子、娘になる群れです。真の父母の息子、娘にならなければならないという教理を教える所は、統一教会しかありません。
それゆえに、統一教会は、歴史が探し求めてきた中心である真の父母に侍ることができる所です。時代が要求する中心である真の父母に侍ることができる所です。未来の起源となることができる真の父母の因縁を、私が相続することができるというのです。したがって、私は、歴史的な結実です。私は時代的な中心です。未来の起源となるのであり、先祖になるのです。真の父母の心情と一致することができる因縁を結んでこそ、そのようになる事実を知らなければなりません。このような心をもって、このような祈祷をすれば恥にはなりません。
これを何によって統合するのですか。真の父母の愛によって統合させなければなりません。その息子、娘とは誰ですか。真の父母の愛を中心とした息子、娘です。別の言い方をすれば、堕落していないアダムとエバが生む息子、娘と同じです。ここから天国の息子、娘になることができるのです。したがって、今日、三時代の愛の因縁をもって生まれた位置が、真の父母の息子、娘になる位置です。たとえ人間が堕落したとしても、歴史過程をさかのぼっていき、その位置を取り戻さなければなりません。
真の父母と生活すれば、どのようになりますか。個人的な生活、家庭的な生活、氏族的な生活、国家的な生活、世界的な生活、天地においての生活、神様に侍る生活、すべてが通じるのです。皆さんが真の父母の家庭を中心とすれば、氏族も皆さんの家庭であり、民族も皆さんの家庭です。私の家庭です。民族も私の民族であり、国家も私の国家であり、世界も私の世界であり、天地も私の天地であり、神様も私の神様だというのです。このような観念を知らなければなりません。すべて真の父母と一つになっているのです。
真の父母は、神様と一つになっているのですが、神様は世界人類と共に生きようとされるのであって、一つの宗派と共に生きようとはされないのです。宇宙と共に、理想世界全体と共に、その愛を中心として生きたいというのが神様の創造理想世界であり、神様の家庭を中心として始まる生活方法です。
霊界に行けば、アダムとエバが神様の形状に似て神様と一つになるのと同じように、皆さんが真の父母を通さなければ、神様の形状を完全に受け継ぐことはできません。
また、神様がアダムとエバを中心として愛の世界を成し遂げることができなかったので、真の父母を通して愛を再現させるのが復帰です。
今すべての父母が「レバレンド・ムーンが真の父母ならば、私たちは何だ」と言いながら大騒ぎです。聖書を見れば、来られる主は真の新郎だといいます。それでは、自分の新郎は何になるのですか。それは偽りの新郎です。そのようになるのです。聖書には二人の人の話だけが出ています。一人は新郎、一人は新婦です。本然のエデンの園における理想的な新郎はアダムであり、新婦はエバでした。彼らは、神様が造られた理想的なカップルだったのです。
かわいそうなアメリカの家庭に、真の父母を教えてあげたという事実は驚くべきことなのです。真の父母を知るようになったという事実は、驚くべきことです。また真の兄弟、真の家庭を取り戻したという事実は、驚くべきことです。真の家庭、それ自体をアメリカが本当に願うのであり、真の世界が願うのであり、真の宇宙が願うのです。ところが、アメリカの人々は、父母の愛を知ることができません。それが恨です。
王は、自分の国の家庭のために自分の息子、娘を犠牲にさせ、王自身が犠牲にならなければなりません。そのように犠牲になっても、自分の民族を食べさせて生かす責任を果たす人が善君です。それで、母と息子が一つになり、王と一つになるのです。このように、この王が父母の愛をもってよく食べさせるようにし、すべて投入して、投入して、投入しなければなりません。それが善なる王です。
真の父母になれば真の子女が出てきて、真の家庭が出てきて、真の氏族が出てきて、真の国、真の世界がここから自動的に生じるのです。その中で[真の父母]という用語が最も重要です。