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第2章 天国と真の家庭 : 四 天国の基盤は真の家庭から : |
神様は、絶対者であられ、唯一、不変、永遠であられるお方です。そのお方のみ旨も同じです。絶対者であり、不変なお方なので、そのお方のみ旨もそうだというのです。
創造主と人間の真の愛を中心として完成する真の家庭を願っていらっしゃった神様は、人間と一体となる条件が必要でした。ですから神様は、人間始祖に与える戒めが必要だったのです。その戒めとは何でしょうか。愛の家庭、愛の全体、最も貴いものを相続してあげようという約束の条件が戒めだというのです。人間には成長過程を経て成長して上がっていく未完成段階があるということを御存知である神様が、最も貴い真の愛と家庭を人間に相続してくださろうとした条件が戒めでした。
真の愛と真の家庭を相続してあげようというのが、神様の約束された戒めです。
神様のみ旨は、一つにすることです。堕落していなければ、私たちの心と体は一つになっているのです。男性の心と体が一つになり、女性の心と体が一つになっていたのです。そのようにして、二人が心と体の一つになった家庭を成していれば、そこからは統一の世界が展開していたのです。
今日、この世界は一つになっていません。この世界というものは、男性と女性を拡大したものです。
神様は、最も深い所に隠密にいらっしゃいます。より深い所に下りていけばいくほど愛は大きくなっていき、最後には神様の真の愛を探し出すようになるのです。
皆さんが子女をより一層深く愛すれば、神様の愛と出会うようになるのです。このような真の愛の家庭は、地上天国の基盤となります。それゆえに、天国が別の所にあるのではありません。
天国は、真の家庭によって構成されます。神様のように暮らすのです。内的な父母である神様と永遠に共に暮らせる夫婦の生活環境だというのです。天国とは、そのような人々が入っていける所です。神様の体、神様の家庭に属する家庭が入っていく所です。完成したアダム家庭が、そこに入っていくのです。
ですから、天国は、家庭的に入っていくようになっているのであって、一人で入っていくようにはなっていません。今まで「個人救援を受けよう」と言っていたのは、天使長世界です。ですから、真の家庭の所有は、天国です。真の家庭が所有物であり、主人となるのが天国だというのです。真の家庭と真の主人が真の所有権をもつのが天国だというのです。家庭的主人が所有するのが天国だというのです。
皆さんが、神様の息子、娘となり、神様の家庭を築いてこそ、天国が成されます。一つの家庭においても、すべて同じです。サタンがわなを仕掛けて引っ張り、神様も引っ張っているのですが、その食口が神様の前に完全に帰ろうとすれば、限りない精誠を尽くさなければなりません。そのようにしてこそ、個人個人に対して、五人家族ならば家族に対してサタンが引っ張り、神様が引っ張っていても、サタンの綱を切ってしまい、天の側に帰っていくのです。
夫婦は、神様をお迎えして愛の部屋に入っていくことを、お互いが考えなければなりません。そのようにして、心と体が完全に一つになれば、その夫人は、天下の女性の中で王の中の王であり、美人の中の美人であり、一つしかない絶対、唯一、不変の永遠の私の体だと思わなければなりません。愛する私の体だと思いなさいというのです。愛の体だというのです。
主体と対象が愛で一つになることにより、夫人は私の愛の所有になります。愛で一つになる時は、相対を中心として、その愛も私のものなので、主人も私のものになり、その主人の所有も私のものになるのです。同じ価値をもったので、宇宙がすべて私のものになるというのです。
このことは、神様を感じなければならないという話です。ですから、誰もが、神様に侍って生き、愛したという体験をしなければなりません。そのようにしてこそ、天国家庭として神様の貴族となり、血族となることができるということを知らなければなりません。神様が天国においてこのような祝福家庭を御覧になれば、星のように輝いているというのです。ですから、神様が常に喜ばれるというのです。
栄光の真の家庭とは、地上でも幸福であり、霊界でも幸福になれる、真なる家庭のことをいうのです。あの世の中心存在であられる神様と直接共に暮らすことができる家庭が、栄光の真の家庭になるのです。うれしくて、またうれしくて、永遠に喜べる真の家庭にならなければなりません。お互いにうれしくなければ、協助して愛の理想世界を築かなければなりません。愛の理想的な主体と対象として、自らを愛の対象として迎えてくれたので、お互いに感謝し、「ため」に生き、尊敬することが出来る世界を築かなければならないというのです。
真の家庭の核心は、夫婦です。それでは、夫婦とは何でしょうか。神様の実体対象である神様の体です。真の愛をもった神様のことを、皆さんは父と呼びます。神様が父ならば、私とは父子の関係だというのです。父と息子であり、母と娘ですが、一つの体です。縦横を一つにしたものなので、そうだというのです。
若い青年男女の願いは、理想家庭の完成、すなわち真の家庭を築くことです。ここで真の家庭とは、神様が喜ばれる家庭のことをいいます。それゆえに、最も重要なことは、神様をいかに知るかということです。
真の家庭は、神様の目に入れても痛くないというのです。胸に抱いて踊られるのです。どれほど踊り騒いでも、神様は全能でいらっしゃるので、抱いて空中を舞いながら踊りたいと思われるのです。真の家庭は、神様を解放して慰労することができる対象です。
真の家庭とは、神様がつくられ、神様のみ旨どおりに理想が成し遂げられた家庭です。
完成したアダム家庭が真の家庭だというのです。しかし、アダム家庭がそのようになることができなかったので、そのようになるためには復活が必要です。復活した家庭によって、復活した氏族、民族、国家、世界を立てようというのです。そのようになれば、この地上において、サタンや、罪悪や、神様とサタンが闘う人類歴史の戦争などというものはなかっただろうというのです。そのようになれば、サタンもいなくて、この世界は、今日のように様々な国に分かれ、民族が異なり、文化が異なり、言葉が異なり、すべてが異なる、このような世界にはならないというのです。
それでは、真の父母とは、どこから来られたお方でしょうか。神様からです。神様から連結されているのです。ここで、第一に神様の愛、第二に神様の生命、第三に神様の血統にならなければなりません。これは何かというと、ここにあるすべての世界も、神様の愛、神様の生命、神様の血統のために生じたということです。
そのようになれば、ここには、サタンを中心とした愛や、生命や、血統などというものはあり得ないのです。そのようにしようとするので、今までの愛と生命と血統、このすべてのものは、神様に帰らなければならないというのです。
しかし、直接帰っていくことができないので、ここで息子、娘を通じて帰っていくのです。この時、カインとアベルが問題になります。ですから、アダムとエバを中心として神様に帰っていくのだというのです。
男性も、真の愛でなければ心と体が一つにならず、女性も、真の愛でなければ心と体が一つになりません。心と体が一つになってこそ、、真の愛のカップルになることができます。真の愛のカップルになってこそ、真の愛をもった神様の子女となります。そのようにして神様の家庭になるのです。
神様が最も好まれるものとは何でしょうか。ただ真の愛だけです。愛は、一人でなすものではありません。神様が人間を造られたのは、ご自身のパートナーを造られたということです。真の愛のパートナーとして人間を造られたのです。それを手本として、全宇宙がペア・システムをもって造られたのです。
ですから、神様の愛も永遠であり、男性の愛も永遠であり、女性の愛も永遠であり、子女の愛も永遠なのです。これが神様の家庭です。
神様を中心として家庭生活を始めるということは、神様の家庭が出発するということです。そのようにして、神様と人間が愛を中心として一つになって家庭を出発するのですが、私たちの家庭だけが出発するのではありません。天国の家庭の出発とともに、これが並行していかなければなりません。
神様の解怨を成就した家庭が、神様の家庭です。兄弟以上に愛することができる長男の資格、夫の資格をもった人々によって構成された家庭が、安息の場所なのです。父母として、こじきまでも自らの子女として迎えて暮らしたいと思う安息圏をつくらなければなりません。それが統一教会の祝福家庭の使命です。それが祝福家庭の宿命的使命だということを忘れてはなりません。
真の父母の真の愛を通じて神様の愛を学びながら、真の兄弟の真の愛を通じて真の国と真の世界人類に対する普遍的真の愛を訓練させる、平和世界の基本、その核の立場が真の家庭です。
霊界に行けば、理想的夫婦、理想的な真の家庭は、神様といつでも共に暮らすことができます。ですから男性は、神様の性相、心の立場にならなければならず、女性は、形状となって一つにならなければなりません。これが一段階もっと大きくなって一つになるのです。この二人の心的な面が性相になり、体的な面が形状となって、ここで初めて実を結ぶようになります。それで、神様を中心として、心と体の一体圏が成されるのです。
そのようになれば、アダムの息子、娘には、神様の心、神様の愛を中心とした骨が生まれ、アダムとエバのような体が生まれるようになるのです。それゆえに、神様御自身は、アダムとエバのような形状をもって、見える人類を支配することができるのです。そのようになれば、完全に地上天国となり、神様を見ることができるのです。
今は、天国に行っても神様が見えません。真の父母がそのようなすべてのことを成し遂げてあの世に行った時、神様は真の父母の心の中に入っていかなければなりません。そのようになれば、神様が体をもたれ、すべての宇宙を動かし、支配することができる時代に入っていきます。神様が神聖な形状をもたれるというのです。
それらをすべて完成すれば、すなわち地上世界が完成し、地上天国が完成すれば、神様が形状をもたれるのです。それは、愛を中心として可能なのです。アダム家庭において肉体的に愛が一つになっていれば、神様も、性相と形状を兼ね備えることができるので、体をもつことができるというのです。それは、愛でなければできません。「一体」という言葉は、そこから出てくるのです。
霊界は、真の愛、絶対的な愛によって統治する世界です。すべてものが真の愛と連結しているのです。真の愛は、種です。堕落していない種が連結して、地上と天上に満ちるのです。
ですから、今の世の中は、堕落した結果の世界なので、なくならなければなりません。堕落した世界の血統はなくしてしまい、本然の神様の血統を連結しなければなりません。どのようにしてそのような世界をつくるのでしょうか。その方法が結婚です。結婚とは何かというと、家庭を接ぎ木することです。
霊界にいる人々も、真の家庭が必要です。その真の家庭がなければ、神様の位置に連結されず、天国に入っていくことができません。地上天国で暮らした夫婦も、あとから天国に入っていくようになります。それが神様の創造理想です。そこには宗教もなく、文化も一つしかなく、家庭がすべてのものを完成するのです。家庭があらゆるもののセンターです。ですから、私たちの家庭は、センターに立ちたいと思うのです。
そこには、宗教が必要ありません。キリスト教も解放であり、仏教も解放であり、すべて解放です。イエス様も家庭が必要であり、釈迦牟尼も家庭が必要であり、マホメットも必要であり、すべての聖人も家庭が必要なのですが、その家庭は、誰によるものでしょうか。真の父母の家庭です。
今までは、すべての家庭は、偽りの血統で連結されていました。本然の家庭ではなかったのです。祝福家庭が現れることによって、神様の血統が連結された真の家庭が生まれるようになったのです。
レバレンド・ムーンは、四方八方のあらゆる場所に勝利的な基盤を築きました。霊界と肉界も同じです。そのようにして、真の家庭から真の世界に発展していくのです。真の家庭から、真の氏族、真の民族、真の国家、真の世界、真の宇宙、真の天国が築かれるのです。
今は、私というものをはっきりと知りました。私は、どこから因縁を結び、どのような生活過程を経て、どこに向かって行くのかということを知りました。このように行く私は、何をもって行くのでしょうか。神様の愛を抱いて行くのです。私の個性が復帰されていれば、私がこの家庭だけに安息するのではなく、私には、家庭を中心とした氏族があり、氏族を中心とした民族があり、民族を中心とした国家と世界人類が残っているという事実を知って、死んで土に埋められる前に、この世界の果てまで行って数多くの民族を父の前に導き、その後ろから万民を祝福していくことができる一日が私に来ることを待ち望みながら、毎日のように闘っていくことができなければなりません。そのような人が、神様に代わることのできる人です。
今まで、私たちが信仰してきた観念というものは、「私は、神様を信じて天国に行こう」というものでしたが、天国に行く前に何をしなければならないのか分かりますか。私自身が、心と体を中心として一つに統一されなければなりません。そのような闘いをしなければなりません。自分を統一できない人が天国に行くことはできません。私の家庭を中心として一つになることができなければ、天国に行くことができないというのです。私が、親族を中心として善の場所に導いていくためには、精誠を尽くさなければなりません。そのようにしなくてはならないのです。
アダムとエバは、堕落することによって死亡世界に占領され、死亡世界を主管するサタンは、神様の創造理想時代において、反対に神様に背く家庭をつくり、現在まで神様と対峙する世の中をつくりあげてきたことを考えるとき、神様が心で思い描かれるのは、もちろん理想的な家庭ですが、その内心は、怨讐が願う基準よりも、怨讐が知っているその基準よりも、堕落前の理想時代の家庭基準よりも、もっと素晴らしく、愛情の深い家庭を成したいと思われたのではないでしょうか。そのようなことを私たちは考えなければなりません。
イエス様がこの地上に来て教えられた真理は、簡単です。「天地を創造した神様は、私の父だ。私は、その息子だ。あなた方は、私を信じればその息子になることができる。私の父であると同時に、あなた方の父だ」と言いました。その次には、私たちに子女の道理を教えてくれると同時に、自分の父を教えてくれました。それから、「私は新郎であり、あなた方は新婦だ」と言いました。これは何でしょうか。神様を中心とした家庭を築くのに必要な要件を、イエス様が来られて初めて叫ばれたのです。聖書がそうです。ほかのものは必要ありません。
聖書を見れば、神様を父だと教えてくれています。イエス様は、「自分はひとり子だ」とおっしゃいました。またイエス様は、信者を見て「新婦」と言い、それから「兄弟だ」とおっしゃいました。これが、神様の家庭を中心としたその愛の型において、すべてのものを備えた内容を明らかにする教理となっているので、神様の家庭をつくっていく教理であり、その息子が神様の家庭に安息することができる家庭の道理を教えてあげたものです。
聖書が教えてくれたものは、家庭です。イエス様は新郎であり、私たちは新婦だというのです。新郎新婦が出会って神様を中心とした「子羊の婚宴」をなし、家庭に帰っていくのです。これが新約・旧約六十六巻を総合した結論です。それゆえに、聖書は偉大だというのです。
聖書が指向する最高の目的は何であり、聖書が要求する希望とは何でしょうか。イエス様個人ではありません。イエス様が新婦と一つになった神様の家庭を、待ち焦がれていらっしゃったというのです。神様の家庭をつくれば、何をするのでしょうか。
家庭、すなわち新郎新婦が出てくれば息子、娘が出てくるのであり、息子、娘が出てきて繁殖すれば、氏族になり、民族になり、国家になり、世界になるのです。その世界とは、どのような世界でしょうか。神様の愛と連結した「神主義」の世界です。「神主義」の世界であると同時に、アダムとエバ主義の世界です。アダムとエバ主義の世界とは何でしょうか。父母主義の世界です。
天国の終着点は、真の家庭の完成です。真の家庭の中には、真の国があり、真の世界がなければなりません。真の世界と真の国に影響を及ぼすことができる真の愛の伝統として、「絶対セックス」という言葉が出てきます。絶対セックスとは、絶対、唯一、不変、永遠のセックスをいいます。神様の属性である愛を中心として連結された対象的なパートナーと、そのような観点において愛で一体化するのは、すべて性関係によって結ばれるのです。
互いに異なる人種と文化背景をもった夫婦であっても、神様の真の愛で一つになった家庭を築いたならば、そこから生まれる子女の間には、人種や文化的な葛藤が存在できません。
その子女たちは、父母を愛するそれ以上の心をもって、両方の文化と伝統を愛し、大切にするはずです。世界の至る所で深刻な社会問題となっている人種間の葛藤を、政治や経済によってのみ解決しようとすれば、その結果は失敗しかありません。人種差別は赤ん坊の揺りかごから始まるものなので、真の愛を中心とした真の家庭の理想をもたなくては、この問題の根本的な解決は不可能です。
したがって、その中心理想は、やはり一人のお方、すなわち神様の真の愛を中心とした真の家庭を築くことです。
人類歴史の最初から神様と一つになっていたならば、既に人類は、真の愛を中心とした真の家庭を築き、「ため」に生き、より「ため」に生きる真の愛を実践することによって、真の国家、真の平和の世界を成し遂げていたでしょう。
この歴史的な闘いを終息させるためには、神様に帰らなければなりません。まず、神様を中心として個人の心と体が一つにならなければなりません。そのような真の男性と真の女性が、神様を中心として真の家庭を築くことにより、その中に再び神様を迎えるようになるのです。真の愛を中心とした真の家庭こそ、神様がお住みになる地上基地になるのであり、さらに真の国家、真の平和世界の出発地になるのです。これによって、真の自由と幸福の世界が開かれるのです。
今からは、デモをしなければなりません。デモをして、真の父母を誇り、真の家庭を誇り、真の血統を誇り、真の純潔を誇らなければなりません。それは、真の御父母様がこの地上に来られた目的を世界化させるのと同じように、皆さん個人や、家庭、氏族、民族、国家も、すべて真の父母になるためです。個人において家庭的な真の父母、家庭的な基準において真の父母、真の純潔、民族基準において真の父母、真の家庭、真の純潔、国家基準において真の父母、真の家庭、真の純潔、これが世界化されるのです。
国家基準において世界化し得る立場になるので、真の父母の基準が私たち個人から世界と天宙まで連結し、真の家庭基準が連結し、真の純潔の血筋が連結することによって、堕落がなかった解放の時代に越えていくのです。ですから、この全体を清算するためのデモをしなければなりません。伝道よりも、このことをしなければなりません。