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第九章 認識論 : 一 従来の認識論 : |
認識論に関する研究はすでに古代から行われてきましたが、それが哲学の中心課題として提起されたのは近世に入ってからです。認識論を初めて体系的に説いたのはロック(J.Locke,1632-1704)であり、彼の『人間悟性論』はその画期的な労作として知られています。
対象をいかに正しく認識するかということを、従来の認識論は主として次のような三つの側面において扱っていますが、それがまさに認識の三つの論点なのです。認識の三つの側面の論点とは、第一は、認識の起源に関するものであり、第二は、認識の対象に関するものであり、第三は、認識の方法に関するものです。そしてそれぞれの論点において、互いに対立する二つの立場があります。
認識の起源に関しては、認識が感覚によって得られるという経験論と、生得観念によって得られるという理性論(または合理論)の二つの立場が対立するようになり、認識の対象に関しては、対象が客観的に実在するという実在論と、認識の対象は主観(主体)の観念または表象だけであるという主観的観念論の二つの立場が対立するようになり、認識の方法に関しては、主として先験的方法と弁証法的方法の二つの主張がありました。
経験論と理性論の対立において、経験論はのちに懐疑主義に陥り、理性論は独断論に陥るようになりました。そしてカントは、この両者を批判的方法あるいは先験的方法によって総合する立場を取りました。それがカントの、認識の対象は主観によって構成されるとする「先天的総合判断」の理論なのです。
その後、ヘーゲルの弁証法を唯物論的に焼きなおしたマルクスの唯物弁証法が現れましたが、この唯物弁証法による認識論が、まさにマルクス主義認識論すなわち弁証法的認識論なのです。これは、認識の内容と形式(思考形式)は外界の事物の反映であると見る共産主義の反映論または模写説なのです。
ここで特に明らかにしておきたいことは、本項目において従来の認識論を扱うことは、従来の認識論の内容を具体的、学術的に紹介しようとするのではないということなのです。ただ統一認識論が、従来の認識論が抱えている未解決の諸問題を解決したということを参考として示すために、その問題点と関連のある事項を簡単に紹介しただけなのです。