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第八章 歴史論 : 三 復帰の法則 : (四) 条件的摂理の法則 |
条件的摂理の法則とは、摂理的なある事件において、中心人物が神様のみ旨にかなうように責任分担を果たすか否かによって、その後の摂理時代の性格が決定されることをいいます。摂理的な事件は、それ自体としても、復帰摂理の過程において、その時その時の現実的な意味をもつのはもちろんなのですが、その後に起こる摂理的な事件の性格を決定する条件ともなるのです。
例えば旧約時代の摂理において、モーセが荒野で磐石を二度打って水を出した事件がありました(民数記10章)。そのモーセの行為には、それ自体として、その時の現実的な必要性、すなわち荒野で渇いた民に水を飲ませなければならないという状況において必要な行為であったのです。しかし同時に、その行為は将来、イエス様降臨の時の神様の摂理の内容を象徴的に条件づけたのでした。『原理講論』には次のように書かれています。
磐石とはアダムを象徴するものであって、モーセが打つ前の水の出ない磐石は第一のアダムを、そしてモーセが一度打って水が出るようになった磐石は第二アダムであるイエス様を象徴していました。なぜならば水は生命を象徴しているので、堕落によって霊的に死んだ状態にある第一のアダムは、水の出さない磐石にたとえられ、死んだ人々を生かすために来られる第二アダムであるイエス様は水を出す磐石にたとえられるからです。ところがモーセは不信仰なるイスラエル民族に対する怒りから、一度打って水が出るようになった磐石をもう一度打ってしまった。その結果、将来イエス様が来られたとき、イスラエル民族が不信仰に陥るならば、サタンは磐石の実体であられるイエス様を打つことができるという条件が成立したのである。
そして、実際、イエス様はイスラエル民族の不信仰のゆえに十字架にかけられたのですが、それはモーセの磐石二度打ちがメシヤ降臨時代の摂理を条件づけたためです。
これは旧約聖書に記されている史実の一例にすぎませんが、その他の摂理的の意義のある歴史的な事件にも、同様にこの法則が作用していました。すなわち摂理的事件は偶発的な事件ではなくて、それ以前の様々な要因によって、ある程度、条件づけられていたのです。そのように一時代の摂理的な事件がいかに展開したかによって、その後に展開される歴史的事件の性格が条件づけられるのです。このような内容を条件的摂理の法則といいます。