第八章 歴史論 : 三 復帰の法則 : (二) 分立の法則

 創造主や神様のみであるために、創造本然の人間は常に神様とのみ関係を結ぶようになっていました。しかし堕落によって、アダムはサタンとも関係を結ぶようになってしまいました。それでアダムは神様も相対することができ、サタンにも相対することができる中間位置に置かれるようになったのです。それゆえ神様がアダムに相対しようとすれば、サタンもアダムに相対できるようになったのです。神様はそのような非原理的な立場にあるアダムを通じて原理的な摂理をすることができなかったのです。そこで神様はアダムが二人の息子を生むようにさせて、それぞれ神様の側とサタンの側に分立されたのであり、神様の側には弟のアベル、サタンの側には兄のカインを立てられたのでした。
 神様はカインがアベルを愛して従順に屈伏することによって、カインとアベルを共に神様の側に復帰しようとされました。神様の側にあった人間(アダム)がサタンの愛の減少感によって誘惑に屈伏して堕落したために、蕩減復帰によって、サタンの側のカインが神様の側のアベルを愛して従順に屈伏しなければならないのが原理であったためです。したがってカインとアベルが神様に供え物をするとき、サタン側の立場のカインは直接神様に供え物をするのではなくて、アベルのを通じて供えなければならなかったのです。ところがカインは直接神様に供え物をなしただけでなく、ついにはアベルを打ち殺してしまったのです。その結果、歴史は罪悪歴史として出発するようになったのです。しかし神様の側の立場に分立されたアベルが最後まで神様に忠誠を尽くした心情の基台が残っていたので、それを条件として、神様は歴史を通じてサタン世界から善の側の人間を分立することができるようになったのです。

 神様は善の側の個人を立てるところから始めて、善の側の家庭、氏族、民族、国家、世界を分立しながら、次第に善の側の版図を拡大されたのです。ところが神様の摂理に対抗するサタンも同様に、神様に先立って、悪の側の個人から始めて悪の側の家庭、氏族、民族、国家、世界を立てながら悪の版図を拡大したのであり、そうすることによって神様の摂理を妨害してきたのです。
 歴史的に善の側の人々(聖賢たち)は神様のみ言を悪の側の人々に伝えようとしましたが、悪の側の人々は聞き入れず、かえって武力でもって迫害し攻撃を加えてきたのです。そこで神様の側がそれに応戦するという立場で闘争が展開されてきたのです。それゆえ歴史上には、善の側の個人と悪の側の個人、善の側の家庭と悪の側の家庭、善の側の氏族と悪の側の氏族、善の側の民族と悪の側の民族、善の側の国家と悪の側の国家、善の側の世界と悪の側の世界の間に闘いが展開され、今日まで続いてきたのです。したがあって歴史は善悪闘争の歴史としてつづられてきたのです。
 しかし、いくら一方が善であり他方が悪であるといっても、復帰歴史の過程においては完全なる善や完全なる悪はありえません。相対的に神様の摂理により近い方が善の側、遠い方が悪の側に分立されたのです。
 つい最近まで、世界は善の側の世界と悪の側の世界の二大陣営に分けられていました。それが、とりもなおさず自由世界と共産世界、すなわち宗教(特にキリスト教)を認める国家群と宗教を否定する国家群でした。
 神様が世界を善の側と悪の側に分立された目的は、悪の側が善の側に屈伏することによって、悪の側をも救って神様の側に復帰するためでした。したがって、この両陣営の闘争は神様の摂理により、最後には善の側が勝利するようになっていたのであり、また実際にそうなったのです。今日、最終的には、自由世界と共産世界の統一はメシヤを迎えることによってなされます。アダムの不信仰によってカインとアベルに分立されたのですから、後のアダムであるメシヤによってカイン側とアベル側の統一が成し遂げられるのです。