第八章 歴史論 : 二 創造の法則 : (七) 責任分担の法則

 人間始祖のアダムとエバには、神様も干渉できない責任分担が与えられていました。それは人間に万物の主管主としての資格を得させるためでした。すなわち神様の責任分担の上に、アダムとエバは彼らに与えられた人間の責任分担を完遂することによって、万物に対する主管主にならなければならなかったのです。ところが、彼らはその責任分担を果たすことができずに堕落してしまったのです。
 再創造の摂理において、神様の責任分担と人間(特に摂理的な中心人物)の責任分担が完全に合わさることによって摂理は成就するようになっていました。ここに人間の責任分担とは、人間(摂理的人物たち)に与えられた使命を、人間が自らの自由意志でもって、責任をもって完遂することを意味します。
 したがって、摂理的人物が自らの知恵と努力によって神様の御旨にかなうように責任分担を果たせば、復帰摂理は新しい段階に発展するのですが、もし彼が責任分担を果たさなければ、彼を中心とした摂理は失敗に帰してしまいます。そして摂理は延長されて、一定の数理的期間を経過したのちに、神様は新しい人物を召命されて、同一の摂理を再び反復されるのです。
 人類歴史が罪悪史として今日まで延長してきたのは、摂理的人物たちが継続して責任分担を果たせなかったためなのです。イエス様が十字架にかけられて統一世界を実現できなかったのは、洗礼ヨハネや祭司長、律法学者などの当時のユダヤの指導者たちが責任分担を果たせなかったからなのです。今日まで共産主義が全世界を混乱に陥れた理由は、産業革命以後、キリスト教国家の指導者たちが責任分担を果たせなかったからです。
 共産主義が現れた現在においても、民主主義の指導者たちは、大いに覚醒して神様の御旨にかなうように責任分担を果たさなければなりません。すなわち神様の真なる御旨と真の愛をもって、共産主義国家の人々までも導いて、神様の側に立たせなければならないのです。そうすることによって、真の平和世界とともに地上天国の実現が可能となるのです。