第八章 歴史論 : :

 ここで扱う歴史論は、史実をそのまま記述するものではありません。人類歴史はいかにして始まり、いかなる法則によって進んできて、またいかなる方向に向かって進んでいくのかなど、歴史解釈に対する見解を明らかにするものです。それは統一思想に基づいた歴史解釈をいうのであり、一つの歴史哲学でもあります。ゆえにこの歴史論を統一歴史論または統一史観ともいいます。
 それでは歴史論が必要な理由は何なのでしょうか。それは未来像を確立することにより、歴史の正しい方向性を提示するためです。それによって現実問題を解決する方案が導かれるからです。言い換えれば、今日の複雑な世界の問題の根本的解決は、明確なビジョンをもった確固たる歴史観なくしては不可能なのです。
 今日まで多くの歴史観が学者たちによって立てられましたが、共産主義の歴史観すなわち唯物史観ほど影響力のある歴史観はありませんでした。唯物史観は人類歴史を階級闘争の歴史であると規定します。そして資本主義社会は、ブルジョアジーとプロレタリアートの階級闘争、すなわち革命によって倒れて、必然的に共産主義社会が到来すると主張したのです。したがって、それなりの未来のビジョンを提示したのです。共産主義者たちにとって、唯物史観は革命を起こすための信念の原動力であったのです。したがって共産主義と自由主義との対決は歴史観と歴史観の対決であったといっても過言ではないのです。
 しかるに自由主義世界には、唯物史観に対処しうるような既存の歴史観を見いだすことはできません。そのために自由主義世界は、その間、絶えず共産主義社会の攻勢と脅威に苦しめられるほかはなかったのです。ところがそのような唯物史観も結局、倒れてしまったのです。それはまさに文先生の統一歴史論のためであるといっても言いすぎではありません。統一史観は新しい神観に基づいた史観ですが、今日までの数十年間、共産主義との理論的対決において唯物史観の虚構性を鋭く暴露してきたのです。そして歴史的な史実をもって、人類歴史が神様の摂理によって統一された創造理想世界を目指して進んできたことを実証的に解釈しているのです。