第四章 価値論 : 八 価値観の歴史的変遷 : (五) 新しい価値観の出現の必要性

 このように歴史上に多くの価値観が現れましたが、それは絶対的な価値を樹立しようとした試みが、みな崩壊してきた歴史であったと見ることができます。
 古代ギリシャにおいて、ソクラテスやプラトンが真の知を追求し、絶対的な価値を樹立しようとしまいた。しかしポリス社会の崩壊とともに、ギリシャ哲学の価値観も崩壊してしまったのです。次にキリスト教が神様の愛(アガペー)を中心として絶対的な価値を樹立しようとしました。キリスト教の価値観は中世社会を支配しましたが、中世社会の崩壊とともに、次第に力を失ってしまいました。
 近代に至り、デカルトやカントはギリシャ哲学と同様に、理性を中心とした価値観を樹立しました。しかし価値観の根拠となる神様の把握が曖昧であり、その価値観は絶対的なものとはなりえなかったのです。一方、パスカルやキルケゴールは真なるキリスト教の価値観を復興しようとしましたが、確固たる価値観を樹立するには至りませんでした。
 新カント派は価値の問題を哲学上の主要な問題として扱いましたが、価値を扱う哲学と事実を扱う自然科学を完全に分離してしまいました。その結果、今日、多くの問題が生じています。科学者たちが価値を度外視して事実のみを研究した結果、人類を大量に殺戮する兵器の開発、自然環境の破壊、公害問題などを招く結果に至ったからです。
 功利主義やプラグマティズムは物質的な価値観であり、完全に相対的な価値観となってしまいました。分析哲学は価値不在の哲学でした。そしてニーチェの哲学や共産主義は伝統的な価値観に対する反価値の哲学であったということができます。
 ギリシャ哲学やキリスト教を基盤とした伝統的な価値観は、今日では、それ以上、効力のないものと見られるようになりました。伝統的な価値観は脆弱化し、自然科学から分離され、ついには哲学の領域からも排除されるに至ったのです。そして今日、社会混乱は極に達しているのです。ここに伝統的な価値を蘇生せしめながら、絶対的価値を樹立することのできる新しい価値観の出現が切に要請されているのです。新しい価値観は唯物論を克服し、正しい価値観でもって科学を導くものでなければなりません。価値と事実は性相と形状の関係にあるのであって、事物において性相と形状が統一されているように、価値と事実も本来に一つになっているからです。そのような時代的要請に答えようとして現れたのが本価値論なのです。