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第四章 価値論 : 八 価値観の歴史的変遷 : (二) ヘレニズム・ローマ時代の価値観 |
ヘレニズム時代とは、アレクサンドロス大王(Aleksandros,356-323 B.C.)がペルシャ帝国を滅ぼしてから、ローマ軍がエジプトを征服して、地中海世界を統一するまでの約三世紀間をいいます。この時代は、ひたすら個人の安心立命を求める個人主義の風潮が支配しました。ポリス国家の崩壊により、国家を中心とした価値観は役に立たなくなってしまい、ギリシャ人たちは不安定な社会情勢のもとにあって、やむなく個人の生き方に重点を置くようになったのです。それと同時に、国家の枠を越えた四海同胞主義(コスモポリタニズム)が高まりました。この時代の代表的な思想が、ストア学派、エピクロス学派、懐疑派でした。
ところがこのような個人主義の風潮の中で、人間は自己の無力さを痛感するようになりました。そこでローマ時代に至ると、人間は人間以上の位置にある、何かの存在に頼ることを願うようになり、次第に宗教的な傾向が見られるようになったのです。新プラトン主義がその結実でした。
ストア学派
宇宙万物にはロゴス(法則、理性)が宿っており、宇宙は法則に従って秩序整然と運行しています。同様に、人間にもロゴスが宿っています。ゆえに人間は理性によって宇宙の法則を知り、「自然に従って生きる」べきであるというのがストア学派の主張でした。
ストア学派は人間が苦痛を感じるのは情欲があるためであると考えました。そこで情欲を離れてアパティア(apatheia)−−何ものにも惑わされない、完全に平静な心の状態(離欲状態)−−に到達すべきであるといって、禁欲を説きました。すなわちアパティアが最高の徳だったのです。
ギリシャ人であれ東方の人であれ、みな宇宙の法則に従わなければなりません。ストア学派において、ロゴスは神様でした。したがって、人間はみな神様の子として同胞なのです。そのようにして四海同胞主義(コスモポリタニズム)を打ち立てました。ストア学派の創始者はキュプロスのゼノン(Zenon,336-264 B.C.)でした。
エピクロス学派
禁欲を説いたストア学派とは反対に、快楽を善として説いたのが、エピクロス(Epikouros,341-270 B.C.)を創始者とするエピクロス学派です。エピクロスは現世における個人的快楽がそのまま徳と一致すると考えました。しかしその快楽は肉体的な快楽を意味するのではなくて、「肉体においての苦しみのないことと霊魂において乱されないこと」を意味していました。エピクロスは苦しみのない平静な心の状態をアタラクシア(ataraxia)−離苦状態−と呼び、これを最高の境地としました。
懐疑派
人間は事物に対してあれこれと判断しようとするから苦しいのであって心の平安を求めるためには、一切の判断を停止させよとエリスのピュロン(Pyrrhon, ca.356-275 B.C.)は説きました。これを判断中止(エポケー、epoke)といいます。人間にとって真理は認識できないのだから、一切の判断を差し控えることが望ましいと言うのが懐疑派の主張でした。
ストア学派のアパティアも、エピクロス学派のアタラクシアも、懐疑派のエポケーも、みな個人の心の平安を求めようとする試みでした。ここに至り、ソクラテスやプラトンの探求した価値の絶対性は疑問視されるようになったのです。
新プラトン主義
ヘレニズム時代に続くローマ時代においても、ギリシャ哲学はそのまま継続していましたが、ヘレニズム・ローマ時代の哲学は、究極においてプロティノス(Plotinos,205-270)の新プラトン主義に到達しました。
プロティノスは、一切のものは神様から流れ出たとする流出説を唱えました。すなわち、初めは神様の完全性に近いヌース(理性)、次に霊魂、そして最も不完全な物質というように、段階的に神様から流出すると主張したのです。従来、ギリシャ哲学は神様と物質が対立する二元論の立場でしたが、プロティノスは、神様が一切であるとして、一元論を主張したのでした。
人間の魂は、一方では感性的な物質世界に流れていくと同時に、他方ではヌースから神様へと戻ろうとしています。そこで人間は感性的なものから離れて神様を直観することにより、神様と一つになるべきであって、そうするのが最大の徳であるとしたのです。そうして忘我(エクスタシス)の状態において神様と完全に一つになるといい、それを最高の境地であるとしたのです。ギリシャ風の哲学はプロティノスと共に終わりを告げましたが、新プラトン主義は次に現れるキリスト教の哲学に大きな影響を与えたのです。