第四章 価値論 : 八 価値観の歴史的変遷 : (一) ギリシャ時代の価値観

 唯物論的価値観
 紀元前六世紀に、ギリシャの植民地であったイオニア地方に唯物論的な自然哲学が出現しました。その当時、ギリシャは氏族社会であり、神話を中心とした時代でしたが、イオニアの哲学者たちは自然現象に対する神話的な説明にあきたらず、世界と人生を自然法則を通じて説明しようとしたのです。イオニア地方にはミレトスという都市がありましたが、そこは非常に貿易が盛んで、商人たちは地中海の全域にわたって活動していました。彼らは現実的であり、行動的でした。そのような雰囲気の中で、人々は次第に神話的な考え方を捨てるようになったのです。
 その貿易都市ミレトスに紀元前六世紀頃から唯物論的な哲学者が出現しました。彼らはミレトス学派といいますが、タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスなどがその代表者でした。彼らは主として万物の根源(アルケー)に対して論じたのでした。万物の根本に関して、タレスは水、アナクシマンドロスは無限定なもの(アペイロン)、アナクシメネスは空気であると説いたのです。その他にも、ヘラクレイトスは火であるといい、デモクリトスは原子であるといったのです。そのような自然哲学(唯物論)とともに、客観的、合理的な考え方が育まれたのです。

 恣意的価値観(詭弁的価値観)
 紀元前五世紀ごろ、ギリシャではアテネを中心として民主政治が発達しました。青年たちは立身出世のために知識を学ぼうとしていましたが、そのためには、特に弁論術が必要とされました。そこで青年たちに弁論術を教えて、一定の報酬を受け取る学者たちが現れました。人々は彼らをソフィストと呼びました。
 それまでギリシャの哲学は、自然を学問の対象と見なしてはいましたが、自然哲学だけでは人間の問題は解決されないという事実に気づき、人間社会の問題に目を向けるようになりました。ところが自然の法則が客観性をもっているのに対して、人間社会を支えている法や道徳は国によって異なり、また時代によって異なっていました。したがって法や道徳には、客観性や普遍性がないとして、人々は社会の問題の解決において、主として相対主義や懐疑主義的な態度を取るようになりました。プロタゴラス(Protagoras,ca.481-411 B.C.)の「人間は万物の尺度である」という言葉は、真理の尺度は人によって異なるということであって、真理は相対的なものであるという相対主義を示すものでした。
 ソフィストたちの活動は、初めは民衆を覚醒させるという一種の啓蒙的な効果を与えました。しかし、次第に懐疑主義論の立場を取りながら、真理は全く存在しないとまで主張するように至ったのです。そして彼らは、弁論の方法のみを重んじ、詭弁を弄してでも議論に打ち勝とうとするに至り、のちに詭弁家といわれるようになりました。

 絶対的価値観
 そのような状況のもとにソクラテス(Sokrates,470-399 B.C.)が現れて、そのような現状を多いに嘆きました。彼は「ソフィストは知った風をするけれども、実際は何も知っていないのだ。人間はまず自分が無知であるということを知らなければならない」と指摘しながら、まず自らの無知を知ることが真の知に至る出発点であると力説したのです。そして道徳の根拠を人間の内面に内在する神様(ダイモニオン)に求め、道徳は絶対的、普遍的であると主張したのです。ソクラテスの説く徳とは、真実に生きるための知を愛求することであり、「徳は知である」というのが彼の根本思想だったのです。また彼は徳を知ったならば必ず実践しなくてはならないと言って、知行合一を説きました。
 それでは、人間はどのようにして真の知を得ることができるのでしょうか。真の知は他人から来るものではなく、自己自身によって悟るものでもありません。他人との対話(問答)を通じて、自分も他人も納得できる普遍的真理(真の知)に至ることができるとソクラテスは考えました。そして彼は絶対的、普遍的な徳を確立することによって、アテネを社会的混乱から救おうとしたのです。

 プラトン(Platon,427-347 B.C.)は、移り変わっていく現象界(感覚界)の背後に、不変なる本質の世界があると見て、それをイデア界(叡智界)と呼びました。ところが人間は魂が肉体にとらわれているために、普通、感覚界を真なる実在の世界であると考えています。人間の魂は肉体に宿る前はイデア界にありましたが、肉体に宿ることによってイデア界から離れてしまったのです。したがって人間の魂は絶えず真の実在であるイデア界に憧れるのです。プラトンにおいて、イデアの認識とは、魂が以前に知っていたことを想起することにほかならなかった。倫理的なイデアには、正義のイデア、善のイデア、美のイデアがありますが、中でも善のイデアは最高のイデアとされました。
 プラトンは人間のもつべき徳として、知恵、勇気、節制、正義の四つの徳を挙げました。特に、国家を統治するものは知恵の徳をもつ哲学者でなくてはならないと考えました。それがすなわち善のイデアを認識した人でした。プラトンにおいて、善のイデアはすべての価値の根源だったのです。プラトンはソクラテスの精神を引き継いで、絶対的な価値を探求したのです。