第四章 価値論 : 一 価値論および価値の意味 :

 新しい価値観を提示する前に、まず価値論と価値の意味が何であるかについて説明されています。

 価値論の意味
 価値論は一般に経済学、倫理学などの分野において扱われますが、哲学においては主として価値哲学のことをいいます。すなわち価値一般に関する理論を扱う哲学部門です。価値論は近代に至って哲学体系の一部門となりましたが、あとで述べるように、その内容はとたえ断片的であっても古代においても発見されるものであり、カントが事実問題と価値問題を区別したのちは、価値論は哲学上の重要な課題として提起されるようになったのです。
 特にロッツェ(Rudolph H. Lotze,1817-1881)が存在と価値を分離したのち、存在の世界に価値の世界を対置させると同時に、存在の世界は知性によって把握されますが価値の世界は感情によって把握されると主張し、哲学に価値概念を取り入れることによって、価値哲学の始祖となりました。

 価値とは何か
 価値という言葉は本来は経済生活から出たものであるため、主に経済的価値を意味しますが、今日に至って、この言葉が一般化し、社会、政治、法律、道徳、芸術、学問、宗教など人間生活のほぼ全般にわたって使われています。統一思想では、価値を大きくは物質的価値と精神的価値に区分します。物質的価値とは、商品価値のように生活資料の価値を意味し、精神的価値は知情意の機能に対応する真美善の価値をいいます。本価値論では、その精神的価値を扱っています。
 一般的に価値という概念を正確に定義するのは不可能であるとして、価値現象を通じて分析するしかないとされますが、本価値論では、価値は主体(主観)の欲望を充足させる対象の性質であると規定します。すなわち、ある対象があって、それが主体の欲望や願いを充足させる性質をもつき、その主体が認める対象の性質を価値というのです。つまり価値は主体が認める対象価値であって、主体に認められなければ、それは現実のものとはならないのです。例えば、ここに美しい花があったとします。主体がこの花の美しさを認めなかったならば、その花の価値は現れないのです。そのように価値が現れるためには、主体が対象の性質を認めて評価する過程が必要なのです。

 欲望
 価値とは、すでに述べられているように、主体の欲望を充足させる対象の性質をいうのですが、ここで価値を論じるためには、まず主体のもっている欲望について分析しなければなりません。ところが今日まで、価値(物質的価値を含めて)を扱った思想家たちは、人間の欲望の問題を排除して、価値現象だけを客観的に扱ってきました。しかしそれは根のない木、または土台のない建築のようなものであって脆弱さを免れなかったのです。根のない木は枯れるしかなく、土台のない建築物は倒れるしかないからです。ゆえに今日、既存の思想体系はいろいろな社会問題の解決において、その無力さを露呈しているのです。
 例えば物質的価値を扱う経済理論においても、現在の経済の混乱を解決するのに、ほとんど役立たなくなってしまったのです。そして労使関係が企業実績に及ぼす影響など、これまでの経済学者が予想もできなかった多くの問題が、続々と起きているのです。なぜそのような結果になったのでしょうか。それは従来の経済学者たちが人間の欲望を正しく分析しなかったからです。経済学者たちは経済活動の動機が欲望であることを知りながら、その欲望を分析しなかったので、結局、彼らの理論は土台のない建物のようになってしまったのです。したがって、ここでは現れた現象を正しく理解するために、欲望の分析から始めるのですが、それに先だってまず価値論の統一原理的な根拠を扱うことにします。