第三章 本性論 : 二 神性的存在 : (二) ロゴス的存在

 ロゴスという言葉は原相論において明らかにしたように、原相内において創造目的を中心とした内的授受作用の産物、すなわち新生体を意味します。ここで、創造目的は心情が基盤となっているために、ロゴスにおいても心情がその基盤となっています。
 宇宙はそのようなロゴスによって造られており、ロゴスに従いながら運行されています。すなわロゴスによって支えられているのです。そして人間もロゴスによって造られており、ロゴスに従って生きるようになっているので、人間はロゴス的存在でもあります。
 ロゴスとは、これまでに述べたように、原相の性相において、目的を中心として内的性相と内的形状が授受作用を行ってできた新生体ですが、内的性相の中の理性と内的形状の中の法則が特に重要な働きをなしているので、ロゴスは理性と法則の統一体として理法になるのです。したがって人間がロゴス的存在であるとは、人間が理法的存在であることを意味するのです。ここにおいて、理性と法則の特性はそれぞれ自由性と必然性であるので、ロゴス的存在であるということは、自由性と必然性を統一的にもっている存在であることを意味します。すなわち人間は、自由意志に基づいて行動する理性的存在でありながら、法則(規範)に従って生きる規範的存在なのです。

 今日、人間は自由なのだから、法則(規範)に従って生きるのは一種の束縛であるといって、法則を否定する考え方が蔓延しています。しかし、真の自由は法則を守るところにあります。しかも自ら進んで守るところにあるのです。法則を無視した自由は放縦であって、破滅をもたらすしかないからです。例えば、列車はレールの上にあることによって、早く走ったり遅く走ったりすることができます。また前に進んだり、後に戻ったりすることもできるのです。ですが、レールを外れると、列車は全く走れなくなります。すなわち、列車は軌道の上にあるとき、初めて自由があるのです。軌道を外れると列車も破壊されるし、人間や家々にも莫大な被害を与えるのです。
 それと同じように、人間も規範に従って生きるときに真の自由が得られるのです。孔子は『論語』において、「心の欲する所に従えども矩をこえず」といいましたが、それは孔子が七十歳になって、ようやく自由意志と法則を統一した完全なロゴス的存在になることができたことを意味するのです。

 人間はロゴス的存在であるので、法則に従おうとするのが本来の姿です。人間の守るべき法則とは、宇宙に作用している法則、すなわち授受作用の法則のことです。ところで原相においてロゴスが形成されるとき、その動機は心情でした。したがって宇宙の法則は本来、心情を動機としたものであり、愛の実現を目的としたものなのです。
 存在論で述べられているように、家庭は宇宙の秩序体系の縮小体です。したがって宇宙に縦的、横的な秩序があるように、家庭においても、縦的、横的な秩序があります。縦的秩序と横的秩序に対応する価値観が縦的規範(縦的価値観)と横的規範(横的価値観)なのです。家庭における縦的規範とは、父母と子女の間における規範であり、横的規範とは、兄弟姉妹の関係、および夫婦の関係における規範です。また人間には個人レベルとして守るべき規範、すなわち個人的規範もあります。それは個人としての人格を完成し維持するための規範です。(これらの縦的規範、横的規範、個人的規範については価値論と倫理論において詳しく説明されています。)
 家庭におけるこのような規範は、社会や国家にそのまま拡大適用されます。結局、家庭の規範は、社会や国家が守るべき規範の根本となっているのです。しかし堕落によって、人間はロゴス的存在になれなかったのです。その結果、社会も国家も混乱状態に陥ってしまったのです。人間がロゴス的存在としての本性を回復するとき、家庭も社会も国家も本来の秩序をもった姿に帰ることができるのです。