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第一章 原相論 : 二 原相の構造 : (六) 創造理想 |
創造理想とは何か
創造理想が原相構造と関連があるのは、それが四位基台の中心である創造目的と直接関連しているからです。一般的に理想とは、人間が希望または念願することが完全に実現された状態をいいます。それでは人間は、なぜ希望し念願するのでしょうか。喜びを得るためです。では喜びはいかなる時に生じるのでしょうか。愛が実現された時です。なぜならば喜びの土台が心情の衝動性、つまり愛の衝動性にあるからなのです。統一原理では、神様の喜びがいかなる時に生じるかということに対して、次にように書かれています。
「このように被造物が善の対象になることを願われたのは、神様がそれを見て喜ばれるためである」(『原理講論』P64)。
「創造目的は喜びにあるのであり、喜びは欲望を満たす時に感ずるものだからである」(同上、P118)。
「自己の性相と形状のとおりに展開された対象があって、それからくる刺激によって自体の性相と形状を相対的に感ずるときここに初めて喜びが生じるのである」(同上、P65)。
「神様が被造世界を創造なさった目的は……三大祝福のみ言を成就して、天国をつくることにより、善の目的が完成されたのを見て、喜び、楽しまれるところにあったのである」(同上、P64、65)。
以上を要約すれば、神様が被造世界を創造された目的は喜びを得ることにありますが、その喜びは被造物が善の対象になるとき、欲望が満たされるとき、被造物が自身に似るとき、そして善の目的を完成したときに感じられるのです。すなわち、神様の喜びとは、第一に被造物が善の対象になって神様に似ることによって神様の欲望が満たされるときに生じるのであり、第二に神様と被造物との間に互いに相補的な関係が成立するときに生じるのです。欲望が満たされるということは、希望が遂げられ、念願が成就することを意味します。つまり神様の理想が実現されることを意味するのです。そして善の対象になるということは、愛の対象になることを意味します。善の土台が愛であるためです。そして神様に似るということは、真情を中心とした神様の性相と形状の調和的な授受作用の姿に似るということであり、神様の愛の実践者となることを意味します。『原理講論』の「神様の創造目的は、愛によってのみ完成することができるのである」(P101)という記録も、そのことを意味します。ここで神様の創造理想とは何かというのが明らかになります。それは「神様が創造されたとき、意図(希望)されたことが完全に実現された状態」であり、未来において、「神様に似た人間によって神様の愛が完全に実現された状態」なのです。
創造目的と創造理想の差異
ここで神様の創造目的と創造理想の差異について明らかにされています。創造目的は統一原理に書かれているように、喜びを得ることにありました。喜びは欲望が満たされる時に生じます。欲望の充足とは要するに希望が成し遂げられることであり、念願の成就です。神様の念願の成就とは、まさに神様の創造理想の実現です。したがって神様の欲望の充足も、神様の喜びも、創造理想が実現された時に成し遂げられるという結論になるのです。結局、神様の創造目的は創造理想の実現にあるのです。次のような統一原理の記録がその事実を示しています。すなわち「このように神様の創造目的が完成されたならば、罪の影さえ見えない理想世界が地上に実現されたはずである」(P69)という文章がそれです。
ここで参考のために、人間の創造目的と万物の創造目的の差異について考えてみることにします。神様が人間と万物を創造された目的は被造物を見て喜ぼうとされることにありました。しかし直接的な喜び、刺激的で愛情の細やかな喜びは、人間においてのみ感じられるようになっていたのです。神様は万物からも喜びを感じられますが、その喜びは人間のように刺激的なものになりえず、しかも人間が創造され完成したのちに、人間を通じて間接的に感じるようになっていたのです。人間は神様の形象的実体対象であり、万物は象徴的実体対象であるからです(『原理講論』P58)。それは、万物は人間の直接的な喜びの対象として造られたことを意味しています。統一原理にはそれに関連した次のような記録があります。「万物世界はどこまでも、人間の性相と形状とを実体として展開したその対象である。それゆえに、神様を中心とする人間は、その実体対象である万物世界からくる刺激によって、自体の性相と形状とを相対的に感ずることができるために、喜ぶことができるのである」(P68,69)。
万物が創造目的をもつというとき、個別相が種類によって異なるように、その創造目的は種類ごとに異なると思われますが、統一原理にはそれに関しては述べられていません。例えば、花の創造目的と鳥の創造目的は同じではないにもかかわらず、それに関しては説明がありません。それは明らかに個別的な創造目的もありますが、そのことを一つ一つ明らかにする必要がないからです。花の創造目的は花の色の美しさでもって視覚を通じて人間に喜びを与えることであり、鳥の創造目的は鳥の声の美しさでもって聴覚を通じて人間に喜びを与えることでありますが、人間に喜びを与えるという点においては同じです。統一原理においては、その共通点だけを万物の創造目的と見なしているのです。
創造目的と創造理想の概念は異なる
以上、創造目的に関して述べられましたが、『原理講論』ではこの創造目的の用語が、本来の意味で使われるほかに、被造目的、創造理想の意味にも使用されている場合があることを指摘します。創造目的の本来の意味は、すでに明らかにしたように、「神様が被造物を見て喜ぼうとすること」でした。すなわち創造目的は、「創造者である神様が立てた目的」であると同時に「創造の時に立てた目的」なのです。ところで『原理講論』には、この創造目的が被造目的の意味にも使用されています。例えば「創造目的を完成した人間」(P178.256)がそうですが、これは「被造目的を完成した人間」という意味です。なぜなら創造目的は創造者の目的であり、神様が「喜びを感じること」であり、被造目的は人間が「喜びを返すこと」であるからなのです。
人間が時計を製造する目的は「時間を知る」ことにあります。一方、製造された時計は「人間に時間を知らせる」ようになっています。これは時計の立場から見れば被造目的です。製造目的と被造目的は異なっています。同様に、創造目的と被造目的も異なるのです。人間がなすのは「喜びを感ずること」(創造目的)ではなく「喜びを返すこと」(被造目的)なのです。この事実は次の記録、すなわち「神様は人間の堕落によって、創造目的を完成することができなかった」(P240)という場合の創造目的と比較すれば、さらに確実になります。こおで創造目的は明らかに「神様が喜びを感ずること」を意味するもので、先の「創造目的を完成した人間」における創造目的とは、その意味が異なることが分かるのです。
次は、創造目的が創造理想の意味として使用されている例を挙げています。「堕落人間をして、メシヤための基台を立てるようにし、その基台の上でメシヤを迎えさせることにより、創造目的を完成しようとされた神様の摂理は、既にアダムの家庭から始められた」(P281)と書かれていますが、この引用文中の「創造目的」を「喜びを感じようとすること」と解釈するのは少し不自然です。創造理想の意味、すなわち「神様の愛が完全に実現された状態」と解釈するのが無難です。次の文章と比較してみれば、その事実がより明らかになります。すなわち「イエス様が再臨なさるときには、必ず、神様の創造理想を地上に実現できるようになり、決してその理想が地上から取り除かれることはないということを見せてくださったのである」(P308)という文章にある「創造理想」と、先の文中の「創造目的の完成」は、その意図する内容が同じなのです。後者の文の中の「創造理想」を創造目的の意味に解釈するのは不自然であり、むしろ先の文中の「創造目的」を創造理想と解釈するのが無難でしょう。
そのように『原理講論』では、創造目的という用語がしばしば被造目的の意味に使われたり、創造理想の意味にも使われていますが、統一思想ではこれらの概念を明白に区別して用いています。ただし区別の必要のないとき、例えば創造目的としても良く、被造目的としても良いときには、目的として表示しています。
以上、創造理想と創造目的の概念の差異を明らかにしました。要するに、創造理想は「設定された目標が達成されている時の状態」をいい、創造目的はその「設定された目標」だけをいいます。そしてすでに述べられているように、創造理想は未来において、「神様に似た人間によって神様の愛が完全に実現された状態」なのです。それに対して創造目的は「対象をみて喜ぼうとすること」であり、将来「到達しようとする目標」です。文法上の時制で表現すれば、創造目的は未来形であり、創造理想は未来完了形であるということができます。結局、創造理想は「創造目的が達成されている状態」なのです。そして創造目的は創造理想の実現を通じて達成されるのです。
創造理想とは神様の愛が完全に実現された状態です
それでは「神様の愛が完全に実現された状態」は、具体的にいかなる状態なのでしょうか。結論から言えば、それは「理想人間、理想家庭、理想社会、理想世界が実現された状態」をいいます。ここで理想人間とは、心と体が一つとなって、神様の性相と形状の中和体に似た理想的な男性と女性をいい、神様の愛を万人と万物に施すことのできる男性と女性、神様を真の父母として奉ることのできる男性と女性をいいます。そのような人間は「天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」(マタイ5/48)というみ言を成就した人間です。そしてそれは「唯一無二の存在」であり、「全被造世界の主人」であり、「天宙的な価値の存在」なのです(『原理講論』P259)。
そのような理想人間である男女が結婚して、神様の陽性と陰性の中和体に似た夫婦を成すのが理想家庭です。そのような家庭は、その中に愛があふれるのみならず、隣人、社会、国家、世界を愛し、万物までも愛し、神様を真の父母として奉る家庭になるのです。そして理想家庭が集まって社会を成すとき、その社会はまた神様の姿に似た社会となって、その中に愛があふれるのみならず、外的には他の社会と愛で和合しながら、神様を真の父母として奉るようになります。それが理想社会なのです。次の理想社会が集って世界を成すとき、その世界はまた神様の姿に似た世界となって、すべての人類が、神様を人類の真の父母として奉りながら、兄弟姉妹の関係を結んで、愛に満ちた永遠なる平和と繁栄と幸福生活をするようになります。それがまさに理想世界なのです。それは歴史の始まりから、数多くの聖賢、義人、哲人たちが夢見た理想郷でした。
愛は真美善の価値を通じて具体的に実現されます。したがって理想世界は価値の世界、すなわち真実生活、芸術生活、倫理生活の三大生活領域を基盤とした統一世界であると同時に、神様の愛が経済、政治、宗教(倫理)において実践される共生共栄共義主義社会なのです。それがすなわち地上天国です。創造理想とは、このような理想人間、理想家庭、理想社会、理想世界が未来に実現された状態をいうのです。そのような状態が実現されたとき、すなわち創造理想が実現されたとき、初めて神様の創造目的が、すなわち永遠なる喜びを得ようとした初めの願望が達成されるようになるのです。以上で創造理想に関する説明を終えます。
最後に「従来の本体論と統一思想」という題目で、従来のいくつかの本体論(統一思想の原相論に相当するもの)の要点を簡単に紹介して、それらが現実問題の解決にいかに失敗したかを寸評式に示します。統一思想が現実問題の解決の基準になるということが、よりいっそう明確に理解されると思います。