第四章 祝福家庭の伝統と生活礼節 : 十四 記念日を迎える心の姿勢 : 1.記念儀式の意義

 公的な日を思慕する心をもたなければなりません。このような伝統を立ててこそ後孫たちの生活的伝統を立てることができるのです。公的な日は天が喜ぶ中で、すべてのことを互いに共に分け合って楽しく過ごさなければなりません。この日は家庭を基準として天的な法度を立てていく日です。

 人間が堕落して以降、歴史過程を通したこの人間世界に現れた記念日は、神様を喜ばせるのではなくてサタンが喜ぶ日として現れたという事実を知らなければなりません。国が独立した日を記念するとか世界的なある行事する日はすべて堕落圏内で成されているというのです。

 原理的観点から見る時、人間が最も祝いの日、希望の日があるとすればその日は自分が生まれた日でもなく、自分が結婚した日でもありません。自分の国を失った国民の一人として国を取り戻した、または国家が独立した日でもないというのです。皆さん、それを知らなければなりません。人間において最も希望の日、願う日があるとすれば「神の日」、「父母の日」です。その日が地上に生まれる、それだけが私たち全体の願いになったという事実を知らなければなりません。「神の日」と、「真の父母の日」が始まるようになると、その次には「子女の日」も、「万物の日」も自然と連結されるのです。

 今日この地上に生きている人は誰も「神様の日」を祝った人はいないし、「真の父母の日」を祝った人もいないし、「真の子女の日」を祝った人もいないし、「真の万物の日」も祝った人がいないというのです。1年365日というならば365日が連結されるすべての日の中で最も重要な日が何かというと、今語っている摂理史に現れるこのような日であるという事実を確実に知らなければなりません。その日はその中でも王の日のようなものです。そのような年があったなら年の中でも王の年だという事実を知らなければなりません。

 統一教会で私たちが祝っている名節や記念日は、サタン世界と闘って血のにじむ闘争を通して成就した摂理的な勝利の日なのです。絶対的な勝利の成就を記念する日であるだけに、神様と真の御父母様に対する感謝と有り難い心でこの日を迎えなければなりません。