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第四章 祝福家庭の伝統と生活礼節 : 十二 祝福家庭の日常生活儀礼 : 5.祭祀(祭事)(先祖供養) |
昔の忠臣の家庭では、良いものがあるとまず国を治めている人に捧げました。これが韓国の忠臣の生活法です。そのような観点から見る時、韓国の礼法はどんな国にもない天国の中心の内容だというのです。儒教では孔子の教えに従うのですが、その孔子の教えの中心とした礼法を見ると天法に近いものが多いのです。これから皆さんの後孫たちは、皆さんに対して祭祀を捧げなければなりません。まだ生活規範や葬式の仕方など原理を中心として定められていませんが、その礼法が定まったら、その時からは適当にしてはいけないのです。 これから皆さんはどんな内容でも、神様が共にしてくださるという信仰をもって自分の環境を屈服して根を深く下ろし、どのような風雪にも育つことのできる生命力をもたなければなりません。そのようになる時神様が法を立てることも問題になりません。しかしそれができない時は問題だというのです。
先祖が亡くなった日には皆集まって先祖のために祭祀の壇を飾り、祭事をします。先生の写真を掲げたその部屋でするなら、(先祖に)祈っても(敬拝しても)罪ではありません。おもちをついて祭祀を捧げても罪にならないのです。
統一教会は先祖に侍ることを許すのです。統一教会はこれからその伝統を受け継いでいかなければなりません。これがあるから真の父母を中心とした反対の立場に立つのです。この世の国、この世の伝統ではありません。天の父母、天の国、天の先祖に侍るにおいて、その代を継ぎ、主流思想的、伝統的に、血族たちに千年、万年侍ることのできる王土になります。王に侍ることができ、永遠の太平のみ代をうたうことのできる国になるのです。その国で生きて過ぎ去っていってこそ皆さんの母親、父親、一家が天国に直行するのです。
選民圏と血統を重要視しなければなりません。選民圏は長子権です。韓国は長子の国です。韓国が族譜を愛する民族になったのもみな血統を受け継ぐためなのです。先祖を崇拝し、先祖に祭祀を捧げるのは悪いことではありません。これから儒教思想以上に父母を尊敬する時が来るのです。
統一教会は祭祀を捧げても良いでしょうか。解放ですね! これからは祭祀を捧げてもかまいません。今までは祭祀を捧げることが天が望みませんでした。先祖を崇拝する韓国の法が天の法です。世界でも独特な民族です。韓国だけがそうなのです。
祭祀を捧げる時間は後継ぎが決定するのです。ですから夜一時に捧げていたものを朝の五時にすることもできるのです。朝五時にしようとしたのを事情によって朝七時にすることもできるし、昼間にすることもできます。誰がそれを決定するのかというと亡くなったおじいさん、先祖がするのではありません。後継ぎが決定するのです。亡くなったおじいさん、おばあさんも、後継ぎが決定した時間に来なければ祭祀の壇につくことはできないのです。それが嫌でも席につくことができません。地が中心です。地で解かれれば天でも解かれるというのと同じです。ですから二人が一つにならなければなりません。
祭祀をする時は叔父(三親等)、従兄弟(四親等)、八親等、ひいおじいさんがいたとしても後継ぎをまず立てるのです。韓国の伝統的文化背景に、先祖を尊重視するために後継ぎを立てるのを見る時、この民族は長子権を尊重視する民族だったというのです。
父母に孝行したなら死んだのちに祭祀を捧げなくてもよいのです。写真をおいて生きている母親、父親のようにその日の記憶すればよいのです。霊界になんの境界線がありますか。これからは墓地まで行かずに家に集まって、生きている父母のように侍ってお祭りをし祝えばよいのです。そうすると墓地に行かなくても祝うことができます。 ですから母親、父親の墓は、自分が生きている園に造らなければならないでしょう。西洋では教会の庭に埋めるでしょう。その母親、父親の墓の前に恥ずかしい行動をしてはいけません。亡くなった母親、父親が忠告するのです。愛の定義に外れることがあれば直接先祖たちがついてきてチェックするのです。
今までキリスト教で祭祀を捧げられないようにしたのも一理あるのです。祭祀は神様と全人類の真の父母が受けなければなりません。上の代の先祖たちが天でまず侍られなければならないのです。ところが堕落によって、それを今まで禁止してきましたが、復帰時代において祝福を受けたので、これからは先祖たちに侍らなければならないのです。