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第四章 祝福家庭の伝統と生活礼節 : 十 純潔に対する教え : 1.思春期の戒律をよく守れ |
皆さん、思春期になると異性に目覚めるようになり、全体の思いがそこに集中するでしょう。すべての細胞の作用がそこにすべて集合するのです。
皆さん、思春期になった青少年たちを見てください。女性を見ると、目をぱちぱちして、カラフルな服を着、お尻を包んで歩き回るというのです。お尻が大きいと大変なことになるのです。傷がつくかもしれないと小さくして歩き回るというのです。皆さん、人において、知恵とすべての肉的な作用を100パーセント活用できる時が思春期です。細胞全部が作用するのですが、100パーセントするのです。その時のみ100パーセント活動するというのです。女性がかわいらしいのも、カラフルなものをなぜ着ようとするのでしょうか。それはみな信号機と同じだからです。
このごろ世の中には様々なことが起こりますが、この天地では統一教会の者たちは絶対巻き込まれてはいけません。思春期というものが「思考」の「思」を使った思春期ではなくて、「死亡」の「死」の死春期です。皆さん、これ(思春期)を選びますか、これ(死春期)を選びますか。
イエス様には思春期があったでしょうか、なかったでしょうか。イエス様にも思春期があったのです。イエス様も思春期があったのですが、何の思春期? この(「思考」の「思」)思春期を歩まれたのでしょうか。この(「死亡」の「死」)の死春期を歩まれたのでしょうか。どんな思春期を歩んだのでしょうか。誰にでも口笛を「ぴーっ」と吹いて合図する、そのような思春期ではありません。「思考」の「思」の思春期を歩んでいくというのです。
まず皆さんは思春期をしっかり過ごさなければなりません。生きようとするのはこれ(思春期)であり、死のうとするのはこれ(死春期)です。死のうとしてこれを外れて一回りひっくり返して、180度回すと死春期が変わって思春期になります。それでイエス様は死んだ死春期を通して希望の春の日、新しく生きる春の日である新郎新婦の思春期に向かって探してこられたのです。それがキリスト教の新郎新婦の歴史です。
人間の堕落とはどういうことでしょうか。神様を中心として春の日を迎えることができなかったことです。春の日が来たら孝子になろうという者たちが、自分だけの春の日を迎えるのでしょうか。父母に、「お母さん、お父さん! きょうは春です。私たち、一緒に行って、きょうを楽しみましょう」と言ってこそ孝子です。「お母さん、お父さん! きょうは春ですが、春には昼寝をするのが適当です」と言って、ぐっすり昼寝をするようにしておいて自分たちだけで行って、歌を歌い、踊りを踊る者たちが孝子でしょうか。親不孝者と言われるだけではなく、殴り殺されなければならない者たちです。そうでしょう。
堕落とは何でしょうか。神様を中心として神様の側にいると、死春期として始まったのです。「死亡」というときの「死」の字を使う死春期です。死春期の歴史が始まったというのです。ですから死のうとするものには春が来るのです。新しい時代が来るのです。このようなことを今までしてきたのが、キリスト教の歴史です。
今日のティーンエイジャー(十代)が重要だと言われていますが、それは何でしょうか。これプラスでもマイナスでも、どこでも……。目がひっくり返って歩き回ろうとするというのです。それで社会に破綻をもたらし自分自身に破綻をもたらすのです。また思春期は変化の時なので誰かが一言言っただけでも、「なーんだ!」と言う。全部そうだというのです。すっかり変わる時なので歩き回ろうとするのです。それで秩序に従って、状況を見つめながら行かなければならないというのです。皆さんは今これを整理しなければなりません。びくともしないものをみな整理しなければなりません。さあ、善悪の中で悪とは何でしょうか。破壊するためのものです。何の保護作用も成立できないということを知らなければなりません。
思春期の時は、男性や女性が危険な時です。ですから思春期に間違えると一生を駄目にすることもあるのです。しっかり選択すると一生を繁栄に導いて生きることができるのです。そのような問題が起こるのです。
今日の青少年たちが父母に逆らい家庭を破綻させるのは、法度の秩序を破綻させることだから悪だというのです。それによって家庭が破壊され、社会が破壊され、国家が破壊され、人間が破壊されるのに、これが悪でないはずがありません。思春期の時は力を出して、映画に出てくるスリルのある場面を実践してみたがったりするのです。それのどこが悪いのかというのです。しかし、そのようなふしだらなことをして環境を破綻させてしまうようなことが起こるので、制裁をしなければならないというのです。皆さんの知性が明るくなって、社会の体験と環境的なすべてのことをコントロールできるその時には良いとしても、今は駄目なのです。
皆さんは今最も美しく咲こうとしているつぼみが良いですか、ぱっと咲いた花が良いですか。先生はぱっと咲いた花が良いのですが。皆さんはちょうど今咲こうとしている人たちでしょうか。咲く時には自分勝手にぱっと咲きなさいというのです。他人の力で咲くのではなくて自分の思いのままにぱっと咲きなさい。それはどういうことかというと、皆さんが自然と育って、自然と思春期を過ぎ、自然な環境でぱっと咲いて、愛する夫に出会わなければならないというのです。咲くこともできずにしわくちゃになってはいけません。葉が落ちて粉が落ちてから咲く花になってはいけないというのです。男性も同じです。男性もぱっと咲かなければなりません。
まだ咲いてもいないつぼみなのに、手紙を書いて恋愛ごっこをするような悪い者になってはいけません。自然とぱっと咲かなければならないのです。神様が御覧になる時、「わー! 純粋に本性的に咲いたのだなあ。香りをかいでみると汚れていない初物だ」と言えなければなりません。ですから神様も希望に胸を膨らませているというのです。そのような神様が初物を望むでしょうか。しわくちゃなものを望むでしょうか。では皆さんはどうですか。初物を望みますか、しわくちゃなものを望みますか。堕落した皆さんも新しいものを望むのに、神様はそれをもっと望むのではないでしょうか。ですから純情をもってぱっと咲いて、今日の堕落した世界の悲しみの峠に引っ掛かるのではなくて、それを越えていくことのできる、価値のある皆さんになってくれるように願います。