第四章 祝福家庭の伝統と生活礼節 : 八 勤倹節約、質素な生活 : 1.質素な生活

 妻という人は夫のために生き、子供という人は父母のために生き、また父母は家庭のために生き、おじいさん、おばあさんも家庭のために生き、孫も家庭のために生き、このように、愛によって互いに「ため」に生きていくのが幸福ではないでしょうか。すべての食口たちが自分のものを作ろうと努力するのではなく、私たちのものを作ろうと努力するのです。 おじいさんも使わずに節約して私たちのものにしようとし、お母さん、お父さんも私たちのものにするために使わずに節約し、息子、娘もそうであり、全家族が私たちのものを拡大させるために努力する、その家は繁栄するでしょう。ですからお金を使わずに節約して全体のために生きるところから、このような愛の安息の場は拡大されるのです。そのような家庭を中心として、社会や世界に広まるようになる時、理想実現が可能なのであって、自分のもの、自分を中心としてはいけないのです。

 所有権は神様に返さなければならないのです。ですから先生は何も持っていません。それを知っているので質素な生活をするのです。一家族が、かばん一つ背負って、どこにでも行って生きることのできる時代がだんだん近づいています。「富んでいる者が神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」(マタイ19/24)という聖句は一理あるのです。

 確固たる経済基盤をどのように築くのでしょうか。まず節約しなければなりません。それで節約しなさいと言うのです。しかし、いくら強調しても駄目なのです。私たちが物質を自由に授け受けることのできる環境でも、責任を果たせずに追い出される日には、統一教会は第二次の受難の道を行かなければなりません。

 私たち宣教師はヨーロッパ文明社会の豪華な要素を必要としないほど訓練されています。私たちは文化をもっているからです。それが「寝袋文化」です。私たち若者はどこに行っても不慣れな所はないはずです。統一教会の宣教師の家は豪華な家具のない、最も質素な家具だけがあるままで見つけられるでしょう。