第四章 祝福家庭の伝統と生活礼節 : 七 兄弟間の友愛 :

 父母に息子と娘の二人しかいなかったらどうでしょうか。息子を見るとき、彼にはお姉さんも必要であり、またお兄さんも必要でしょう。また娘には、お兄さんも必要であり、お姉さんも必要です。また彼らには妹と弟が必要です。お兄さんがいなければならないし、お姉さんがいなければならないし、弟、妹がいなければなりません。これらがそろわなければ不幸なのです。妹、弟、お姉さん、お兄さん、全部そろって完全に一つになる家庭は、神様が保護されます。これが氏族と民族と国家の起源になるからです。

 お兄さんとお姉さんは東西を表し、弟と妹は南北を表すので、それが完成されれば一体になるのです。これが愛の法度です。このような愛の法度がしっかりと立つ時に平和の起源は成されるのです。

 父母の心は自分のための心よりも、兄弟同士がもっと「ため」に生きることを願います。父母の面倒を見られなくても、「お母さん、ちょっと待って。弟をかわいがってくるから」と言うと、「この子はこれから使える人になるなあ」と言うのです。そうでしょう。

 兄弟を父母以上に愛するという人は、天国で永遠に生きることのできる人です。兄弟を父母のように愛することのできない人はここから外れるのです。その道理の根本を悟ってみると簡単です。それを知らないから今までできなかったのです。私たち食口同士が一つになったのか、なっていないのかということが問題です。父母の前に親孝行できない立場に立ったなら、父母のために自分が精誠を捧げたものを、自分の父母にあげる代わりに食口にあげなさい。そうすると父母に親孝行した以上のものとして天が受け入れてくれます。そのような人は必ず福を受けます。

 天国に行く道は兄弟を神様のように愛することによってのみ開かれます。皆さんは先生についていこうとするのですが、その心で兄弟と共に行こうと努力してみてください。このように見る時、天国に最も高く、早く、よく導いてくれるのは神様でもなく、先生でもなく、兄弟だという結論を下すことができます。父母との夫婦の愛を凌駕する愛をもって努力する者は、最高の愛の主体者として相手を選択するのです。

 弟一人が間違った時には、全兄弟が支えてあげる家庭、またお母さん、お父さんが愛し合う、その家庭はどんなに美しいでしょうか。お母さん、お父さんは子女に対し、「後代の私たちの神様よ」と言うのです。それはなぜでしょうか。神様の愛に通じる時も同じです。お父さんがお母さんを愛し、お母さんがお父さんのために生きれば、その家庭には神様が共におられ、その息子と娘は将来神様の代身者になるということを知らなければなりません。

 兄弟とは何でしょうか。同じ愛の同参者です。父母の愛の同役者なのです。ですから互いに闘えるでしょうか。闘えないのです。ですから右手を挙げる時は父親の手、左手を挙げる時は母親の手、右足をあげるときは父親の足……。善進に、この足は誰の足かと聞くと、右の足はお父さんの足で、左はお母さんの足だと言うのです。本当にそうだというのです。それはどうしてでしょうか。もう愛を中心として、そうなっているというのです。

 兄の立場で妹を愛し、妹の立場で兄を愛しますが、ただ愛することはできません。必ず父母を介在させて、幼い時父母の懐で育ったことを重要視しながら愛さなければなりません。父母と子女が一つになった基盤で連結された兄弟でなければなりません。そうしてこそ成長しながら共に上がっていくのです。小学校、中学校をずっとそのように上がっていくのです。

 この世をいくら歩き回ってみても家庭にある兄弟の愛、血を分けて生まれた兄弟愛のようなものはないのです。社会に出て自分の兄弟以上に近い人がいますか。近くなっても分けられるのです。

 兄弟が多ければ御飯を食べる時も一膳の御飯を二人で分けて食べなければならないというのです。御飯が一膳しかないとけんかするのではないのです。兄弟が多くて生活が大変でも「私が御飯を食べなくても分けてあげなければ。弟にあげなければ」という愛の心をもつならば、いくらいても良いというのです。

 兄弟を通して国民が形成され、人類が形成されるのです。兄弟は前後を表示するものですが、それが肉になるのです。これが平べったかったのに肉がつくというのです。そこで円形ができるのです。円形をつくるのが兄弟であり、兄弟が拡張されて国民になるのです。

 なぜ兄弟が必要でしょうか。縦横を中心として連結されたものが兄弟です。アダムとエバを東西と言うなら、神様とアダム、エバは縦的です。これは平面にしかなりません。ですから横的な基準が必要であり前後が必要です。家庭愛を超越できるものは兄弟愛しかありません。万民同胞愛という言葉と同じです。それがなければ球形が成されないのです。

 兄弟愛というものは世界愛と通じるのです。兄弟の多い家庭は人類を抱き、理想的な天国、地上天国と天上天国をつくるモデルのようなものです。ですから兄弟はここから拡張されるのです。