第四章 祝福家庭の伝統と生活礼節 : 五 夫婦が守るべき礼節 : 1.夫婦は生活の同伴者

 一度結婚したのちには自分勝手に暮らすことはできません。結婚して家庭をもった運命の道は、生命を懸けて行かなければならないのです。

 愛が成される瞬間から皆さんは二人ではなくて一人なのです。夫婦になると独自的な行動はできないし、連帯責任をもたなければなりません。

 個人が滅びるのはいいですが、家庭が滅びてはいけません。夫においては妻になる人が、妻においては夫になる人が世界で最も必要な人です。互いにアドバイスをしながら杖になり同役者にならなければなりません。

 妻は職場から帰ってくる夫に対して夕御飯を準備してあげることによって夫に対する義務を果たしたと思ってはいけません。夕飯の食卓に座って愛の蜜語を分かち合い、和気あいあいとした時間をもつことが、何よりも重要なことです。初めて会った時、やさしくささやいたその声で、愛の姿そのままで、一日の労苦を慰労してあげると、夫の疲労は洗われるように消えるのであり、愛もまた深まるのです。

 女性は本来、男性の平均の声よりも小さな声で話さなければなりません。女性のその声は愛のささやきのようでなければなりません。

 先生が七十歳に近づた体で、海に出ていく、とお母様に話すと、お母様は海に行くすべての準備と精誠を尽くしてくれます。海に出て一晩泊まる準備までしてくれて、海で成そうとするみ旨のためにお祈りまでしてくれます。これはどんなに素晴らしく美しい内助者の姿でしょうか。

 夫が帰ってきて夕御飯を食べずに、話もしないで、いびきをかいて寝てしまうなら、そのいびきを聞きながらそれ以上の泣き声が自分の心からわき上がる女性にならなければなりません。先生はそのような家庭が見たいのです。もしそれが見られなければ、先生の苦労は無駄になってしまいます。神様の六千年の犠牲は無駄になってしまうのです。皆さんはそれを知らなければなりません。

 夫が巡回に行くと言うとき、「行ってらっしゃい。私は疲れているので寝ます」と言ってはいけません。夫が巡回して帰るまで、妻も精誠を捧げなければなりません。子供もその父母が帰ってくるまで待たなければなりません。

 妻は夫を出世させなければなりません。内助をしっかりしなければなりません。

 夫婦の間で夫が、することに干渉するなと言ったからと、妻が干渉しなくて良いのでしょうか。妻も夫と対等の立場に立つことができるのです。夫がいない時は妻でもその立場に立つことができなければなりません。

 夫ができたらさぞ良いだろうと思ったのに、良くない時もあるというのです。良いことのみを願ってはいけないのです。二十四時間ずっと太陽の光が差せば良いでしょうか。夜もなければなりません。高ければ低くなるのが原則ではないですか。

 妻は貧乏だと悲しまず、着るものも着られなかったと寂しく思ってはいけません。夫がそれを知らないのではありません。心の中では申し訳ないと思うところに深い愛があるし、ダイヤモンドよりも貴い宝が隠されているのです。

 夫が横になって寝ていると、なぜこのように寝てばかりいるのかと言って起こすことのできる妻になるようにアドバイスしたいものです。

 少しでも慰労すると女性はすぐに怒りが解けます。

 夫婦が互いに「私を愛してくれない。私を分かってくれない」という、つまらないけんかをしてはいけません。けんかをしても、み旨のためにしなければなりません。

 妻の誕生日には、近所のおばさんたちを集めて、妻をこの上なく愛しているという心で妻のために、その人たちの前で踊りを踊り、歌を歌わなければなりません。

 妻や同じ家に住んでいる人の足音を聞いただけでも、その人に良いことがあったのか、悪いことがあったのか分かるのです。そして妻が部屋に力なく入って来たら「あなたはどうして気分が良くないのか」と聞くのです。そうすると妻は、見てもいなかったのにもう夫は全部知っているので何も言えないのです。そのようなアンテナをもって暮らさなければなりません。関心をもって祈祷するようになると、私に関心をもつようになります。

 愛の深い夫はその家の中で悪口を言ったとしても、これは全部愛の刺激にすることができます。愛のない夫の一言は、その一言が肉をえぐるような破壊の動機になるのです。愛があったらむちを打っても良いけれど、愛のないところではすべてが嫌なのです。