第四章 祝福家庭の伝統と生活礼節 : 四 父母が立てるべき愛の法度 : 1.父母は友達よりも近く

 父母は子供のためにいます。もし父母のために父母がいるとすれば、父母という言葉は出てきません。これから統一教会の原理を中心として倫理観が形成されなければなりません。父母はどうあるべきですか。子供を生んだ父母は子供のためにいなければなりません。それが倫理の第一条です。それは説明する必要がありません。息子のためにいようとするのは不幸な立場ではなく、幸福な立場です。

 自分の子供に間違ったことを教える父母はいません。師匠は弟子に間違えるように教えることもあります。怨讐の立場にいる師匠ならば滅びるように教えることもあるのです。師匠には二つの種類があるのです。兄弟も二つの種類があるのです。しかし父母はただ一つです。いくら悪い父母だとしても子供には正しく教えてあげるのです。

 皆さん自身は誰のものですか。父母のものであり、息子のものです。そうなると、父母は誰のものですか。父母は子女のものであると同時に神様のものです。ですから皆さんはまず神様のものになって、子女のものになったのち、自分のものになるのです。そのようになる時に初めて完成されるのです。ですから父母を敬うその法度が地上に残り、人間の生活に残っているのです。ここで、父母を敬い子供を愛しなさいという言葉が出てくるのです。父母がいなければ孤児です。父母の愛を受けたり、子供を愛してみましたか。そうしてこそ「私」という人が、四方を区別するすべが分かるようになるし、上も下も区別するすべが分かるようになるのです。

 子女たちが「天下に私たちの父母のような人はいない」と言えなければなりません。世界の人たちが韓国に模範家庭を探して訪問するでしょう。その時見せるものがあり、言う言葉がなければなりません。

 父親は友達の中の友達にならなければなりません。自分の父親が現れたら、友達を捨てて父親に走っていかなければなりません。そして師匠の中の師匠にならなければなりません。ですからできれば「私の父は大統領よりも良い、一番だ、神様の次だ」。このように考えなければなりません。「どんな友達とも換えることのできない友達だ。どんな師匠を与えられても換えることのできない父親だ。私が愛する妻を捨てたとしても父親は捨てられない」。このようにならなければなりません。

 先生は外出して家に帰れば必ず寝ている子供の顔をなでてあげます。親の役目を果たすのは簡単なことではありません。そのようにすることによって、「うちのお父さんが私を愛してくれたように私も息子、娘を愛さなければならない」ということを自動的に植え付けるようになるのです。また「お父さんは世界一だ」ということを分からせなければなりません。

 人は誰でも立派な息子をもちたいと思います。それでは、立派な人として育てるためにはどのように教育したら良いのか、それが分からないのです。教育は一生涯しなければなりません。精誠を尽くさなければなりません。父母が精誠を尽くして育てた子供に家を継がせる時、その代身者として立てる時は、父母の心と一致するようにさせるのです。その父母の因縁について行くようにさせながら代身者として立てるのが常例です。

 父母は愛する子供のために骨の髄まで溶けるような苦労をしても、つらいと思わないのです。なぜでしょうか。愛しているからです。自分の血肉を分けて、その代金がいくらなのか帳簿につけておくのでしょうか。つけないでしょう。かえって全部あげることができなくて残念に思うのです。

 子供に対する父母の愛はただそのまま生活的な因縁だけで通じる愛ではなくて、骨の髄からわき出てくる愛なのです。忘れるに忘れられず、切るに切れない愛の心を父母はもっているのです。それで生命の余力が残っている限り父母は子供を愛するのです。子供と生命の因縁が結ばれていることを感じる時、父母には子供を愛する心が自然にわき出るのです。私の息子なので愛するという意識的な心が先に立って愛するのではなく、その心よりも因縁よりも先立つ自分の生命力が、子供と連結されているので愛さずにはいられないというのです。このような事実は私たちが家庭生活でよく感じていることです。

 家庭で起こる是々非々は男性が責任を取らなければなりません。男性は家庭の中心的権威を守らなければなりません。