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第四章 祝福家庭の伝統と生活礼節 : 三 真の愛で「ため」に生きる生活 : 2.「ため」に生きる者が中心である |
私たち統一教会はよく食べ、楽しく生きながら行こうというのですか。食べる物もなく、苦労しながら行こうというのですか。よく食べて、楽しく生きようというのでしょうか。食べるものもなく、苦労しながら行こうというのでしょうか。誰のためにでしょうか。統一教会の文先生のためにですか。神様のためにです。神様の心をとりこにする方法はそれしかありません。
私がその人を屈服させる方法は、闘って勝とうとするのではなく、その人のために父母の立場でまず考えてあげるのです。そうすることによって私が勝つというのです。3年だけ「ため」に生きれば、間違いなく私の言葉を聞くようになるのです。心はそうです。心は。自分の居間のドアまで開けて、「あなたは勝手に私の家に入ってきてもいい」と言うのです。そのような宇宙の原則的な作用が、この本心を動かしているということを知らなければなりません。
神様の立場と父母の立場は、どんな立場でしょうか。先に考えてあげる立場です。神様は私よりも先に考えてくださるのです。父母は私より先に考えてくださるのです。それで良いというのです。それが主体なのです。二人で住むという時に、「ああ、食口がしなければならないことを、私がしてあげなければならない」と言わなければならないのです。神様がそのようなお方です。その人が中心です。「ため」に生きる人が中心になるのです。
相手が小さなもので私を愛し、「ため」に生きてくれたなら、私はそれ以上のものを返してあげたいのです。これはだんだんと拡大していくのです。拡大、拡大しながら日時が過ぎて、一生の間そうしていくと、これが国を越えて、世界を越えて、永遠の世界、天国を越え、天上世界を越えていくのです。
人はどうして高いものが好きなのでしょうか。多様なものと因縁を結ぶことができるので高いところが好きなのです。なぜ低いものが嫌なのでしょうか。単純になるからです。多様な関係から遠くなるというのです。人において最も貴い人は高い理想、高い観、高いものと関係を結ぼうとする人です。そのような人が貴い人だという概念を、ここで見つけることができます。
より「ため」に生きなければなりません。より「ため」に生きるとはどういうことでしょうか。より「ため」に生きる人が責任者になるのです。十人の中で誰が中心になるのかというと、その十人のために愛し、そのために生きる人です。その人には十人がみな訪ねていくというのです。「ため」に生きることはつまらないことだと思っていたでしょう? しかし主人に、中心者になるということを知らなければなりません。天理がそうです。「ため」に生きることはつまらないことだと思ったのに、これが中心になるためのものであり、責任者になるためのものであり、すべてのことを相続するための道だというのです。ですから「ため」に生きようとすることを知らなければなりません。つまらないことではありません。損することではありません。商売の中でもこのような商売はありません。