第四章 祝福家庭の伝統と生活礼節 : 三 真の愛で「ため」に生きる生活 : 1.なぜ「ため」に生きなければならないのか

 宇宙を造られた神様、法度を立てた神様はどのような方でしょうか。宇宙を通して誰よりも「ため」に生きる代表的な立場に立った方です。その方が神様だというのです。ですからその方に会うためには、「ため」に生きなければなりません。その方は知識の大王ですが、知識をもって来いとはおっしゃいません。能力の大王ですが、能力をもって来いとはおっしゃいません。「ため」に生きてくると、皆が神様のそばに来ることができるというのです。

 再創造において他人に与えまた与えるのは、神様が創造時に自分を消耗させた立場と一致します。自分を投入するということは第二の自分をつくるためで、神様が創造する時、御自身を投入させたのと同じです。再創造歴史は蕩減復帰路程であり、蕩減は再創造歴史を通して成されるので、自分を投入することによってのみ再創造が成されるのです。ですから犠牲になることが不可避であることは理論的な結論です。

 神様は独裁者ではありません。神様も人間のために投入しました。神様が人間の前にいるのは、人間のためにいるのです。ですから千年、万年、神様に従っていこうとするのです。「ため」に生きる天理の宇宙存在世界の前に自分自身の存在位置を維持するためには、「ため」に存在しなければなりません。「ため」に生きることによってのみ、東洋、西洋に通じることができ、古今に通じることができます。

 自分を主として動くのは悪をもたらしますが、全体を主として動くのは発展をもたらします。これを知らなければなりません。全体のために行くものに対しては、すべてのものが門を開けるというのです。個人も門を開け、家庭も門を開け、氏族も門を開け、民族も門を開け、世界も門を開け、天の国も門を開け、すべてのものが門を開けて歓迎するのです。

 真の人生が行く道に、一つの公理として立てなければならないのは「ため」に生きるということです。これはどこでも通じる原則であり、永久不変です。過去、現在、未来がないので、「ため」に生きなさいというのです。ここに孔子様やイエス様やお釈迦様やマホメット、すべての聖子といわれる人たちの前に神様が現れて、「あなた方はどう思うか」と言うと、「そのとおりです」と言うでしょうか、「そうではありません」と言うでしょうか。それが宇宙の法則です。それが、人間が生きるにおいて、真の姿で生きるための一つの方法だということを知らなければなりません。

 歴史的な伝統として残る実績とは何でしょうか。犠牲精神による、「ため」に生きる実績のみが今日の世界に残ってきました。そうかどうか調べてみてください。そういう人たちが聖人として、歴史的な偉人として、また忠臣として残ってきました。そのような犠牲精神のもとでのみ、功績が残ったのです。ですから犠牲になることは功績を残すためのものだということを知らなければなりません。

 神様の愛とは、神様自身を愛し、人類を愛するものです。それだけでなく、来ては去っていった、過去、現在、未来の人類のすべてを愛する愛です。ですから地獄に行った霊人たちまでも解放してあげる運動をする神様である、ということを知らなければなりません。人は真理の道を行かなければならず、生命の道を行かなければならず、愛の道を行かなければなりません。いくら素晴らしくても「ため」に生きる基盤がなければ、すべてのものはついてこないのです。このように生きる人は自然と主体になります。真の生命の人になるのです。

 レバレンド・ムーンの思想が今後21世紀の主体思想として登場できるのは、今までの「自分のために生きろ」という世界で、反対に「ために生きよう」という世界を発見したからです。論理的な観点において、今までと反対の世界が顕現できる可能性のある、不可避な結論です。ですから希望は統一教会しかありません。自分のために生きるという世界ではなく、「ため」に生きようとするこの群のあとを、21世紀以降の数千、数万年の世界がついていくのです。私のために生きろという世界にはついていきません。嫌だと言うのです。

 どのように統一されるのでしょうか。先生はどのように統一するのでしょうか。こぶしで、力で、お金で、権力で、知識で? 違います。愛を中心とした、「ために生きる」立場で万事は解決されるのです。結論は簡単でしょう。真の愛を中心として、「ため」に生きていくときに、悪魔の世界が天の国として再創造されていくという結論です。それは理論的なのです。