第四章 祝福家庭の伝統と生活礼節 : 二 信仰生活で模範となる家庭 : 1.信仰生活が子女教育になる

 聖日の礼拝時間の前に行って、準備する人が何人いるかを考えてみてください。聖歌を全部歌って説教の時間になると、その時にぴったり合わせて入ってくるのです。そのような人たちをどうしてみ旨に従っていく人たちだということができるでしょうか。いくら弁解しても、公的な生活ができずに私的な生活をしているということなのです。そのような人たちには希望をかけ、期待する何の内容もないのです。ですから皆さんは新しくみ旨の前に覚醒して、公的生活の徹底化、私的生活の模範化を決意していかなければなりません。

 祝福家庭は残らず礼拝時間の前に来て、礼拝に参加する大勢の生命に恩恵の雰囲気をつくってあげて、恩恵を及ぼさなければなりません。そして牧会者が壇に立つ前に心情的な基盤をつくって支えてあげるようになると、説教をするにおいて食口たちの切実な表情を眺めて刺激を受けることができるのです。そのような要因が多ければ多いほど教会は発展します。

 公式的な記念日や集会があればそれを生命視して動かなければなりません。そうでない家庭は祝福家庭として落第です。

 礼拝時間を迎えるために早朝から精誠を捧げ、その日を神様の前に捧げることを生活化するように、子女たちに教育しなければならないにもかかわらず、自分勝手に何でもしています。み旨のための生活をすると言いながらも祈祷をするでもなく、精誠を捧げるでもなく、原理の勉強をするでもなく、伝道をするでもなく、何もしなくていいのでしょうか。聖日の礼拝時間が10時30分ならば、その時間に合わせて参加するためには、9時30分とか10時には出発してこそ礼拝時間の前に到着するでしょうに、時間になってから家を出発して、礼拝中に入ってきてそっと座るというのです。そうなると必ず批判されます。いくら父母の立場で子女を教育したとしても受け入れてもらえないのです。

 父母がみ旨のための生活の模範にならなければなりません。家庭で祈祷生活とか、家庭礼拝とか、どのような面でも一生懸命にする信仰生活を、子女たちに見せなければなりません。また、敬拝の時間がどんなに重要かということを認識させてあげなければなりません。その時間には敬拝式だけで終わるのではなくて、み旨を中心として、父母として子女たちを教育しなければならないのです。

 祝福家庭は天に侍る生活で手本にならなければならないし、献金、敬拝式、伝道などを生活化しなければなりません。

 聖日は一週間を節約して計画しておいて、食口たちが喜べる内容を与える日です。また聖日には共に集まって準備しておいた食事を分けて食べ、各家庭が互いに自分の夫や妻を自慢しなければなりません。

 早朝敬拝、精誠、礼拝の時間を厳守できないのに自分の息子や娘の幸福だけを願ってはいけません。したがって先生を中心として四位基台を成さなければなりません。それからここで後孫を立てるなら父母がしっかりしなければならないのです。

 祝福家庭は聖日や公的な集会に参加する手本にならなければなりません。

 食口はどこに行ってもまず聖なるところ、すなわち聖地や教会をまず訪ねたりしますが、そうできなければ、そのような条件でも立てなければなりません。皆さん各自は個人でありながらも、個人にのみとどまった存在ではないということを心に刻まなければならないのです。また皆さん各自は先祖の立場に立たなければなりません。

 各家庭は白い座布団を作りなさい。そして、きれいな場所を準備しなさい。その座布団に座って精誠を捧げる時間をもつようにしなさい。

 寝ても覚めても、食べても、休んでも、見ても、何をしても、すべてみ旨を中心としてしなければなりません。

 精誠を尽くして皆さんの父母を伝道しなければなりません。一つのみ旨の前に共に天の祝福を受け、祝福家庭の囲いをつくるようになれば、それ以上の幸福はないのです。