第三章 礼拝と教会生活礼節 : 八 蕩減と奉仕と献身的な生活 : 1.蕩減の道を行かなければならない

 統一教会員たちは、蕩減の道が好きではないのです。それは復帰が好きではないということです。「ああ、私は復帰するのは好きですが、蕩減は嫌いです」。こんな言葉はないのです。何が先ですか。復帰が先ですか。蕩減が先ですか。皆さんは復帰が好きで蕩減は嫌いですか。神様は反対です。皆さんはどちら側ですか。神側ですか。サタン側ですか。これをはっきりしなければなりません。皆さんは復帰が好きで蕩減は嫌いですが、神様は反対です。皆さんはどちら側ですか。皆さんは復帰が好きですが、神側では復帰を好むことができないのです。蕩減を通過したのちにこそ復帰されます。

 蕩減という言葉を知ると、みんなが一番好きになるのです。蕩減がなければ福もありません。統一教会の無限な黄金の塊とは何かというと、蕩減です。蕩減は、死を覚悟してすべてのものを犠牲にし、すべての困難を克服することができる驚くべき単語なのです。

 責任分担と蕩減は、一つは右側の立場であり、一つは左側の立場なのです。一つは右腕のようなもので、一つは左腕のようなものです。両腕のような責任分担と蕩減復帰を連結しなければ前進が不可能だということを知らなければなりません。そのようなことを考えてみましたか。蕩減は嫌いでしょう。神様も摂理もすべて嫌いですか。きょうからは新しく御飯を食べることを忘れても、寝ることを忘れても、自分が愛する人を思うことを忘れても、これを忘れてはならないことを知らなければなりません。そのように深刻なのです。 神様もこれを通過しなければならないし、レバレンド・ムーンもこれを通過しなければならないし、全世界もこれを通過しなければいけないのです。通じないのです。みんな、ただそのまま通過したいでしょう。博士や教授の地位をただで取れますか。そのコースを経てこそ博士になるのでしょう。ただそのまま取れますか。その過程を通らなければ、それは偽物です。

 蕩減条件は、自分自身が立てなければなりません。他の人が代わって立てることができるものではありません。堕落は、主管圏を失ったことを意味します。復帰のためには、他の人がある関心をもったとしても自分自身の確固とした主体性をもっていかなければなりません。他の人はどんな道を行くとしても、私は行く道が忙しいのです。横でどんな言葉を言ったとしても、ここに気を使う暇がないのです。夜寝る時間がありません。定着してゆったり座って御飯を食べる余裕もありません。そのような切迫した心情をもたなければ、復帰の道を行くことはできません。

 病気になった人が病気を治すためには、薬が苦くて飲みたくなくても飲まなければなりません。私たちが薬を調べてみると、いい薬は味が苦いのです。苦いのが本当の薬になるというのです。蕩減条件を立てるのは、苦い薬を飲むように難しいことです。しかし、蕩減条件を立てなければ復帰ができないのです。

 天国は、神様を絶対的に中心として侍り、それを通して愛の因縁を結んで暮らす所です。この根本を正しく立てるために神様は救援摂理をされるので、自分を全面に出せば絶対に駄目なのです。

 救援の道は、蕩減し、復帰する道です。蕩減とは、堕落した経路をたどって、さかのぼって行くことです。反対に行くことです。