第三章 礼拝と教会生活礼節 : 五 献金は法度に合うように捧げるべし : 2.生活にも十分の一献金がある

 教会の十分の一献金生活も、食口の家庭が十あれば引導者一人を食べさせなければなりません。そのようにできなければ天民権をもつことができません。

 十人が住めば、天の人一人を扶養しなければなりません。

 十分の一献金は、すべてに該当します。学校も、十教室中の一教室は、かわいそうな子供たちのための無料奉仕の教室として使わなければならないのです。

 これからは皆さんが持っているすべてのもの、時間までも十分の一を捧げなければなりません。過去と同じように物質だけではありません。仮に家族が十人いたら、一人を差し出さなければなりません。そのような基準で出なければなりません。これからは、私たちの教会食口は十分の一献金ができなければなりません。十分の一献金ができない人は食口ではありません。これは義務です。天的な義務だというのです。

 聖日は十分の一献金の日であり、自分の日ではありません。ですから天の命令どおりに服従する日なのです。天の物を私の物として使おうとするのが罪です。私の子供の中の一人を天の前に捧げなければならず、そのようにできなければ他人の子供でも勉強をさせ天の前に捧げなければなりません。

 そうめん一杯を食べるにしても一人で食べてはいけません。天の父に仕えている者として一人で食べて申し訳なければ、「共におられる父の前に私一人で食べるしかなので心苦しいです」と言い、父が参与できる条件を立てて、必ず父母をまずもてなす立場に立てておいて生活しなければならないのです。服を買って着ても、一人では着られません。そんな生活をしなければならないのです。