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第三章 礼拝と教会生活礼節 : 二 礼拝は神様に最高の敬意を表す儀式 : 2.夜の礼拝(夕拝)、早朝集会、徹夜精誠 |
夕拝に力を注ぎなさい。
土曜日の夜は、教会で徹夜をしなければなりません。
今後、集会は夜に多くしようと思います。闇の世界を切り開いていかなければならないからです。そのためには、懇切な心情をもたなければなりません。
夕拝には、伝道をして来なければなりません。そうしなければ、教会の威信が立ちません。礼拝時間には、引導者(司会者)よりも先に来ていなければなりません。
人が眠る時間にぐっすり寝て、食べるだけ食べて、楽に来て座って礼拝を受けたらいいのに、どうして早朝から礼拝を受けるのでしょうか。どうして早朝から礼拝をするのでしょうか。人とは違わなければならないというのです。他の宗教団体や信仰者と同じではいけないのです。違わなければなりません。
私が早朝三時に集めて一年なり何年なり伝統を立てて眠らせないようにすることでしょう。人は怠惰になってはなりません。楽にしてはならないのです。楽な世界では発展がないのです。それゆえ、どの国家でも新たに復興したからといって、それに満足し陶酔していれば滅びるのです。
昼間は働かなければなりませんが、宗教的なことは夜にしなければなりません。夜が効果的なのです。また早朝に教えても効果的です。そして、一度来た人が、来ないではいられずに家から逃げてくるほどにしなければならないのです。皆さん自身が、そうならなければなりません。動機がないのに結果があるでしょうか。今までできなかったのであれば、もっと一生懸命に、もっと上手にやりなさい。他の方法を研究してでもやりなさいというのです。
十二時が過ぎて、鶏の鳴く声が聞こえるまでみ言を伝えてみなさいというのです。どれほど神秘的なことでしょうか。しんと静まり返った夜に、近所の犬がほえるのを聞きながらみ言を伝えてみなさいというのです。あたかも明るい陽光を求めて新たな人生の道を打開していくようでもあり、灯台の光を求めて新たな航海に出る船長のような気分を感じるのです。周囲が神秘でいっぱいの世界を一人で行くような勇敢な姿、たくましい姿、荘厳な姿を感じることでしょう。このような心情的な絆をもつためには、夜の時間を中心として指導しなさいというのです。夜や早朝に、このような活動を展開する必要があります。
夜、深夜は神秘性があります。それゆえ復興会をするなら、昼間するよりも夜するほうが恵みが多いのです。なぜかというと、昼間は私たちの感情がみな分散しているからです。視聴覚、五感で感じるすべてのの感覚が、昼間は分散しやすいのです。しかし、夜はむしろ集中します。すべてが私を包囲し、私というものをはっきりとさせます。そのような圏内に私が自動的に立つためには、夜は神様と共に恵みの役事をしやすいのです。神様も良く役事をしてくださることができるのです。
早朝に起きて、自分の一日の生活が父の前に感謝の実体となることができるように祈りながら、花の咲く春の園のごとき自由の園で、神様が私を立てて摂理することのできる希望の結実体になろうとしなければなりません。昼になって仕事場に行けば、希望の結実体が育つ夏のようにもう一歩発展し、神様が共におられる価値を現すことのできる存在になろうとしなければなりません。 また夕方は、全体をみな集約して一つの決心を父の前に捧げることのできる秋のごとき時なので、祭物になれる立場に立とうとし、冬に当たる夜は、生命力を携えて神様と内在的な父子の起源を結び、すべての価値を受け止め得る自身となろうとしなければなりません。このように一年三百六十五日を勝利の日としながら感謝する生活をする人であれば、その人は父と関係を結んで生き、生きがいのある生活をしていると感じることができるでしょう。
皆さんが時間の過ぎるのも忘れているのは、神様の愛に酔っているからです。ですから草創期には、夜を明かしてみ言を聞き、み言を語るのが常でした。
眠る時間を計算して「きょうは眠れなかったから、あすはもっと寝なければならない」と言ってはなりません。皆さんはそうでしょう。「聖日の朝は断食だから土曜日の晩に御飯をもっと食べよう」、このような断食は、してもしなくても同じです。むしろ断食をしないほうがいいくらいです。断食をするからといって前の日にたくさん食べると、かえっておなかがすくのです。そのように食べてみなさい。胃を広げておいて突然空にするのですから、おなかがすいて当たり前でしょう。