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第三章 礼拝と教会生活礼節 : 一 教会に対する正しい認識 : 1.教会はみ言と人格を総合するところ |
教会が目指すべき目的は、神様の国を求めて建てることです。神様の本来の創造理想は、国を中心として一つの世界をつくることです。そういう創造理想であるがゆえに、教会が目指すべき目的地は、教会を建てることではなく、国を建てることなのです。
今後、教会時代は過ぎ去っていきます。人類が願うのは、教会ではありません。教会は堕落圏内で、復帰の運命の道を行く際に必要なのであって、新たな時を迎えれば、教会時代は終るのです。それゆえ統一教会は、教会活動をするのではありません。教会の名で社会に適応し、社会を改革し、社会の郭清(浄化)運動をするのです。そうすることが、その国と民族、そして世界に住む人類には果たすことのできない、開拓者の使命を成し遂げることになるのです。今こそ皆さんは、この道を行かなければなりません。
教会は、過去、現在、未来の因縁の本拠地です。それゆえ、蕩減条件を立てるための媒介体であり、み言と人格と心情を総合する所だと言うことができます。
教会は、天地をつなぐ至聖所です。教会は、世界への門戸であり、すべての人に相互扶助の因縁をもたせ、国家存亡の霊的支柱となるのです。教会は、霊的生活の源泉であり、日々の生活に力を補給してくれます。
家庭の忠誠を尽くす前に教会に忠誠を尽くし、社会に忠誠を尽くす前に教会に忠誠を尽くすのが原則です。教会が主体であり、家庭と社会は対象だからです。賢い人はどこに立つでしょうか。主体の立場に立ちます。主体の立場は、一つしかありません。対象は東西南北四方にあり、360度回転しなければなりませんが、主体は中心のたった一カ所にあるだけです。そこは絶対的な圏内です。二つではありません。中心が二つになることがあるでしょうか。中心が行ったり来たりすると、滅びる可能性が増すのです。
「全知全能で慈悲と愛に満ちた神様であるゆえ、千回、万回罪を犯しても許してくださる」と、クリスチャンは言っています。そう言って教会で祈祷して出てくるや否や、けんかをするのです。教会は、罪を犯してから悔い改める懺悔堂ではありません。それほど多くの罪を許せる神様であるとするならば、エデンの園で一度犯した罪を、どうして許すことができないのでしょうか。そうではないですか。また、サタンが許される道があったとするならば、サタンは悔い改めたことでしょう。千回、万回涙を流して悔い改めたことでしょう。
教会が一つから二つに分かれ、そのようにして三回分かれると、神様は去っていきます。天理の原則はそうなっています。そうして家庭的に集まります。恵みのある人は家庭的に集まるのです。教会に行きません。家庭でひれ伏して祈祷します。そのようになるかならないか、見ていてください。
統一教会の目的とは何ですか。人類に対して、神様とメシヤとで地球星で踊りを踊り、サタンまでもみんな福を受けるようにしようということです。これが統一教会の道です。どれほど偉大でしょうか。そこまで行こうというのが統一教会です。さあ、話を聞いてみると、統一教会は素晴らしい所でしょう。この世の人々は統一教会がどうで、異端で、何かの邪教だと言いますが、私たちは「フンッ!」とも言いません。聖なる人たちが道を行くのに町内の犬がほえている、このように考えるのです。(笑い)
終わりの日、この時代の統一教会の使命は「神様の願いとは何か。人類の願いとは何か。神様の愛とは何か。人類の事情とは何か。神様の心情とは何か。人間たちの心情とは何か」ということを教えてあげることです。そのために出てきた教会です。そのような世界を教えてあげることができ、千人、万人をみな教育するとすれば、この理念圏内の世界は、統一されまいとしても統一されざるを得ません。