第二章 真の忠孝 : 一 真の忠孝は困難の中でも自ら実行すること :

 易しい立場で易しいことをしながら孝の道理を果たそうという人よりは、限りなく難しい立場で孝の道理を全うしようという責任者、そのような立場に立った人、そのような立場に立った息子、娘こそが、孝子の行く道に入ってきた人です。それは間違いありません。
 このように見るとき、神様は世界的な問題を心配していらっしゃるので、世界的な問題に責任をもとうという人がいれば、その人は、世界のいかなる民族やいかなる人よりも、神様の前で認められる近い立場に立っているということは言うまでもありません。
 それゆえに、孝子の立場とは、「父母が受けた悲惨なことに対して代表的な責任をもとうとする立場だ」と結論づけることができます。
 良いことがあっても、良いことは除き、常に悪いことに責任をもたなければならない道が孝子の行くべき道です。

 周囲に散在する数多くの人々が父母に侍って孝行している生活環境において、父母の前に孝行するということは難しくありません。しかし、多くの人が、みな父母を排斥し、自らの行かなければならない道を避けようとする時に、たった一つしかない自分の生命を捧げる恨があったとしても、行かなければならないその道において父母のために生きようとする立場に立つならば、それこそ、環境を超越した立場で孝行の道理を果たした、ということになるのです。それゆえに、そのような人は孝子として立てざるを得ないという事実を、私たちはよく知っています。

 孝子とは、豊かに暮らしながら孝行するのが本当の孝子ですか、貧しく暮らしながらも孝行をするのが本当の孝子でしょうか。(貧しく暮らしながらも孝行するほうです)。
 一日に一食しか食事をとることができない家庭で育ち、自らの血肉まで売ってでも父母に三度の食事をとらせてあげるのが孝子ですか、三度の食事をとり、残って処理できなかった御飯をたくさん盛ってあげて侍るのが孝子ですか。どちらが本当に孝子でしょうか。(血肉を売ってでも孝行するほうです)。
 本当の孝子は、豊かに暮らしている家からは出てきません。それを知らなければなりません。
 父母が飢えていて、弟が飢えているのを見る時、母が自分の御飯を弟に与えている姿を、その息子、娘は、夜を明かしながら見つめ、骨身にしみるほど知っています。弟をあのように愛しているので、自分も母に倣って、その弟に一銭でも多く助けてあげようと思い、自分の御飯を先に母に分け与えるようになる時、孝子圏、講師の環境が生まれるのです。自分だけのために生きる人は、すべて追放されるのです。このような観点から見るとき、孝子が行く道は「ため」に生きる道です。
 本当の孝子になる道は、「ため」に生きることです。環境が良い所で「ため」に生きることではありません。

 私たちが誇ることのできるものは、何もありません。天の主権と民と国土を滅ぼした、ということしかありません。今、私たちは、忠誠と孝行によって、天の主権と国土と民を売り飛ばして蹂躙した自分自身を反省しなければなりません。裏切った自分自身を反省しなければなりません。悲しみの中でも、天の主権と民と国土を取り戻してさしあげようという信念が明確でなければなりません。食べることも、生きることも、死ぬことも、ただこれだけのためになければなりません。
 それでは、何のためにしなければならないのでしょうか。地と民と人類と主権のために忠誠を尽くし、孝行しなければなりません。自覚さえすれば、不忠をし、不孝をし、裏切ったすべてのことを父が忘れてくださることのできる時なので、民族に代わって悔い改め、国土に代わって悔い改め、主権に代わって悔い改めてください。父のために悔い改める時は、過ぎ去ります。
 また、地のために悔い改めなければなりません。今も、数限りない聖徒が待ち望んでいます。私たちは、天の主権と領土を回復するために悔い改めなければなりません。天の民を回復し、天の国土を回復し、天の主権を回復するために、皆さんを選んだのです。
 ですから、皆さんは、もし間違えればアダムとエバのあとに従っていくようになります。自分で正しく判断して行けば、勝利の日を迎えるようになるでしょう。

 歴史的なすべての先祖のように、霊界に行き「私はどうしたら良いのか」と言って恨を残す群れになることなく、自分一代においてこれを終結させ、「私はどうしたら良いのか」と言う位置に立つ子孫を残さないために、私たちは、団結し、一つになってこれを完結させ、国家的な忠臣、国家的な孝子、孝女の基盤を築かなければなりません。私たちにはそのような責任があります。
 これが、現在、私たち統一教会の行かなければならない道だということを知らなければなりません。
 干渉しない立場で、孝子となり、忠臣、烈女となることができ、天が指示し命令しなくても、怨讐サタンに対して復讐し蕩減するために、自ら責任をもって行くということが、どれほど福なことかというのです。
 そのようなことを知って、この時代とこの世代に対する責任を担って闘っていくことができる自らの立場を感謝に思いながら、今からあすに向かって、「私はどうしたら良いのか」という問題にぶつかった時に、「私は忠臣となり、孝子、孝女となった」と言うことができる時まで、倒れることなく必ず進んでいってくれることをお願いします。