第一章 忠孝の意義 : 一 忠孝思想は韓国人の中心思想 :

 孝行する人は、自らの生活の中で良いことがあれば、先に父母を思います。良いものを見た時に、先に自分の夫や妻を思うのは堕落した世の中ですることです。先に自らの父母に貴い物を買ってさしあげなくては、自分の妻に買ってあげることはできません。
 男性たちも、自分の服を買おうと思えば、先に父母に買ってさしあげてから買わなければなりません。そして、妻や子供たちに買ってあげなければなりません。
 御飯を食べる時も、父母に侍って食べなければなりません。サタン世界の父母が亡くなっても、3年間喪に服するのが韓国の風習です。ですから、この地上で3年以上精誠を尽くして父母に侍らなければ、天上世界に行って、「大韓民国の子孫だ」と言うことはできません。
 昔、孝子が父母の3年の喪に服する時、墓地に穴蔵を建て、そこで起居しながら孝の道理を履行したのが韓国の礼法ではありませんか。
 私たちは、それ以上にしなければなりません。私たち祝福家庭は、お互いの良い面を備え、父母に侍る生活をしなければなりません。

 韓国人は、古くから忠孝の志操が高い民族です。国軍の日(注:韓国軍創設記念日、10月1日)に5・16広場に招待され、壮年の国軍の威容を見て満足感をもったことがあります。そして、その国軍の勇士たちが査閲台の前を通り過ぎながら叫ぶ「忠孝」というスローガンは、本当に印象的でした。
 神様から召命を受けた民族として叫ぶスローガンとしては、あまりにも啓示的でした。世界のどこの国にも、このようなスローガンを叫ぶ軍人はいないでしょう。
 韓国は、最後に神様に忠誠を尽くして孝行する民族なので、今日、その忠孝精神が国家の中心思想になったのです。沈清の父母のために尽くす哀切な孝行心、春香の夫に対する志操、鄭夢周の君主に対する忠誠、柳寛順の殉国精神、このような忠孝の志操は、古今東西、どこにもその類例を見ることができない韓民族の魂です。
 このような忠孝の精神と、松と竹のような固い志操は、今後成し遂げられる地上天国の中枢的思想と精神になるのです。天国は神様の国なので、その国のために永遠に忠誠を尽くさなければならず、神様は人類の父であられるので、その父に永遠に孝行しなければなりません。世界の様々な民族をいくら試験してみても、韓国のように忠孝の情熱と志操が高い国はないので、神様は、韓国を選んで訪ねてこられるのです。

 孝子は、百年たとうと千年たとうと、父母を離れてはいけません。「一緒にいたらいい!」と思わなければなりません。父母に「できるならば、私と千年、万年一緒にいたらいい!」と思わせる、そのような父母の心を引きつける者でなければ、孝子ではありません。
 父母の愛には、子供がいくら悪くても、「その子供と共にいたい」という思いがあるのです。
 それゆえに、真だというのです。しかし、親不孝者とはどのような者でしょうか。父母と共にいることを嫌うのです。聖書にもそのような比喩が出てくるでしょう? 兄弟たちと共にいることを嫌うのです。自分一人で自由にしてみたいというのです。それは何の種ですか。不幸の種です。

 孝子とは、自らの立場を忘れて先に父母の事情を思い、涙を流す心情で父母のために生きる人です。忠臣とは、国家が乱世に置かれている時、自らの一身のことをすべて忘れて国王の困難を先に心配し、忠誠の道理を果たしながら生きる人です。
 自分を忘れ、自分の利益とすべてのものを犠牲にするところから、忠孝の極致が連結されるのです。

 家庭において、男性でも女性でも兄弟でも、すべての人が願うことは、孝子、孝女にならなければならないということです。それは、愛を中心として一つの体にならなければならないということです。
 家庭を一つにするためには、孝子が必要です。国も同じです。国の父と母である国王と王妃、そしてその国王の息子、娘を中心として、相対的世界の夫婦と兄弟同士が上下、左右、前後で合わなければなりません。前後がなければ、父母と子供は関係を結ぶことができません。ですから、上下、左右、前後です。
 兄弟が絶対的に必要です。結婚は、兄弟から連結されていくのです。

 皆さんは、忠孝の道理について話しますが、その定義を知りません。父母を家庭の中心として神様と同じ立場に立ててさしあげ、心と体を一つにし、子供を愛するその父母の心が変わらない限り、その愛する心の前で、常に心と体で100パーセント受け入れ、100パーセント順応することができる立場に立った息子、娘を何と言うのですか。「孝子」と言うのです。
 今日、忠孝の道理について話しますが、本当の忠孝の道理を知らないのです。

 父母の願いとは何でしょうか。父と母として、血統的に一つになった根がありません。息子、娘を生んでこそ、その家庭の血統が続いていくのです。息子、娘が父母を愛することによって、関係のなかった父と母の血統が、その息子、娘によって統一されるのです。子供によって父母の完成がもたらされます。その息子、娘が孝行することによって、父母の完成がなされるのです。
 私に、孝行することのできる父母がいるというのは、幸福なことです。私は、父母の生命と、父母の愛と、父母の血統を得たのです。父母の愛を通して、父母の愛が私において再び二重になるのです。核になります。皆さんの愛と生命と血統は、副体となるのです。
 それゆえに、父母を完成させれば、私の完成をもたらすことができるのです。私が成長すれば、父と母と同じように一つにならなければなりません。それゆえに、お互いが完成するのです。

 家庭が願う世界とは、どのような世界でしょうか。国です。家庭が直行していかなければならない国です。その国が行かなければならない所とは、どこでしょうか。世界です。その世界が行かなければならない所とは、どこでしょうか。世界が行かなければならない所、地上天国が行かなければならない所は、天上天国です。
 ですから、国の忠臣とは、国の孝子のことです。世界の忠臣とは、どのような人でしょうか。世界の聖人とは何かというと、世界の孝子のことです。天地の聖子とは、どのような人でしょうか。天地の孝子のことです。孝子という存在、息子という存在には、自分というものがありません。このようになるのです。