第4章 愛を中心とした人生行路 : 六 愛の中心を求めていく人生行路 :

 人間は愛によって生まれ、父母の愛の中で大きくなり、横的に愛を広めながら成熟するようになります。横的な愛は異性の相対に出会うと、一段愛を完成するようになり、天地の愛を代表することのできる基準に入れば、その実を結んで子供を身ごもるようになるのです。子供は、核心的な心情の立場から生じた愛の結果として生まれるようになります。
 男性と女性が心情的に愛し合って生まれた息子は、愛の核心に通じる道をつくってくれ、その中心を通過すれば、まさに神様と出会うようになるのです。人間は愛の実として子供を身ごもることによって、神様が万物を創造し、人間を創造されたときの愛を体恤するようになるのです。
 また、父母の愛によって生まれて受けた愛を、子供を愛してみることによって、父母の心情を体恤するようになるのです。父母が子供に注いできた愛は物質的な愛ではなく、本質的な愛です。天地が変わっても、歴史時代が変わっても変わらないのは、父母が子供に与える愛です。父母になって子供を愛することによって、神様が人間をどのように愛してこられたのかを考えることができるようになり、体験を通して確認するのです。

 父母になって子供を愛することによって、父母が私をどのように、どのくらい愛してくれたのかを感じて悟るようになります。そして老いた父母に対して、さらに敬い、心から孝行の道理を立てるようにするのです。そのようにできなければ、父母としての自覚がないだけでなく、子供に対する愛も偽善だといわざるを得ないでしょう。
 人間は父母になり、子供を愛してみることによって、神様が人間をどれだけ愛してこられたのかを感じて悟るべきでしょう。また、神様をいっそう心から愛すべきでしょう。子供に対する愛よりも、老いた父母をもっと愛さなければならないし、老いた父母に対する愛よりも神様をもっと愛さなければならないのが、愛の秩序であり、法度であることを知るべきでしょう。
 人間は生まれる時、愛によって生まれ、生まれてからは愛を受けながら成長するようになります。しかし、ある程度まで成長すると、父母の愛だけでは不足になり、兄弟間の愛と氏族の愛を中心として、横的な愛を広げ始めるのです。すなわち、天宙間のすべての愛を受けながら、成熟していくのです。特に思春期に近づくと、異性間の愛を求めるようになりますが、異性間の愛によって、総合的な愛の圏内に進入するようになり、初めて愛の中心を求めていくことができるようになるのです。

 天地は球形の世界なので、横的な愛を授受し、回転しながら、円形を一次的に成すようになります。特に異性を相対者として選び、愛し合うとき、その結実として子供を身ごもり、父母になりますが、このとき互いが相互間で愛を授受し、回転するようになれば、横的な愛に続いて縦的な愛も実現するようになり、球形世界を成すのと同時に、愛の中心を求めるようになるのです。
 愛の運動を通じて生じた愛の中心は、すべての被造世界の存在の核でもあります。地球が存在するのも、この愛の中心を中心として運動を続けているからです。そこは、愛の中心運動を継続できる無限な力が集まった所です。このような愛の球形を通じて生じた中心は、間違いなくその場に神様がいらっしゃる所でもあります。
 ですから、世の中に存在するすべての被造物は神様の愛によって創造された存在であり、神様の愛の中心を求めていくのです。神様は、まさに愛の溶鉱炉であられたのです。