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第4章 愛を中心とした人生行路 : 五 愛と喜びの相続のための神様の祝福 : |
神様において、一番の栄光の時は、肉(体)を使うことのできる時です。その次には、愛することのできる人(夫婦)をもつ時であり、その次には、孫を愛することのできる時です。息子・娘より孫を愛することのできる時が、一層栄光の時だと見ます。
ところで、神様がアダムを造っておいて、どんなによかったかということを、どのように教えてあげたでしょうか。「やあ! 私はお前を造って、こんなによかった」ということを教えてあげなければなりませんでした。それは、息子・娘を生むことによって教えてあげることができます。分かりますか。
人は幼い時、父母の愛がどういうものかを知りませんが、のちに家庭を築いて赤ん坊ができるようになれば、父母の愛がどのようなものかを知るようになるというのです。自分の父母が私を育てるときこのように愛してくれたなと、知るようになっています。
それゆえ、子女が相対を得る日が栄光の日であり、その次には、その息子が子女を得る日が栄光の日です。
神様の愛を知らなければなりません。父母の愛を知り、父母に侍ろうとしなければならず、夫の愛を知り、夫に侍ろうとしなければなりません。子供の愛を知り、子供に侍ろうとしなければなりません。子供に命令をするだけではなく、侍ってみようともしなければなりません。理解しようともしなければなりません。そうしてこそ、神様の愛が理解できます。
子供がいなくては、未完成状態です。神様の愛を知ることができません。神様が子供としての人間を、どれほど愛したのか分かりません。また、夫になってみなくては妻が分からず、妻になってみなくては夫が分かりません。子供も、父母になるまでは、父母の愛がどのようなものかが分かりません。ですから、息子・娘がいなければ、真なる夫婦となれません。
父母が子供の結婚を願うのは、子供たちに父母の愛をすべて相続させてあげたいし、伝授してあげたいからです。父母は死んでいきながら、後孫にその実体を残しておきます。ですから、後孫が必要なのです。
愛は永遠に続くのです。愛は人間の最高の願望なので、万民が両手を挙げ、相続しようとします。その愛を残しておくことによって、霊界でも堂々と神様の前に出ていくことができます。そのような愛を完遂できる所が家庭です。家庭を通して天国に行くということは、すなわち、そこにおいて愛の一体圏が成されるということです。
人間は原理・原則に従っていかなければなりません。春になれば種をまき、夏になれば生い茂り、秋になれば実を結び、冬になれば全部整理して、新しい生命の根源を自分の内心に備えなければなりません。そうしてこそ、再び春を迎えるようになれば、またこれが植えられ得る種になるのです。
これは何の話かといえば、これから皆さんは父母となり、皆さんのような息子・娘を生まなければならないということです。皆さんの息子・娘を、皆さんのように育てなければならないというのです。
皆さんは、息子・娘がいなければなぜ寂しいですか。それはサークルラインを形成できないからです。鳥たちがひなにえさを食べさせてあげるのを見たとき、母のこの上ない愛を知るようになります。
西洋の人たちは知りませんが、東洋では大人より子供たちを好みます。大人たちに向かっては礼儀正しく敬いますが、息子・娘たちはこの上ない愛を惜しみません。息子・娘を生み育ててみることによって、父母が子供をどれほど愛したのかを悟るようになります。
人間は誰でも、結婚をしたのちに子女を生み育ててみなければなりません。そうしてこそ、子供の愛と父母の愛を所有することができます。しかし、西洋の人々はそうではないようです。息子・娘を生み育てることを、忌避しています。息子・娘が、結婚して離婚するのに妨害になるという考えゆえに、自分の子供をもつことをはばかっています。
しかし、人間は生まれて四位基台を成せなければ、神様が人間を愛する心情を知ることができないので、天国に行けないということを知らなければなりません。