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第4章 愛を中心とした人生行路 : 一 人間はなぜ生まれたのか : |
生命が先か、愛が先かというとき、互いに先だということができますが、果たしてどちらが先でしょうか。愛が先です。宇宙の根本は、存在起源に先立って愛の流通がなくては、存在価値が出てくることができません。
私たちの生命の起源がどこなのかを見るとき、生命が先か、愛が先かが問題です。今までこれを見分けられませんでした。生命が先ではなく、愛が先です。先となったものの前に、次となったものは順応しなければならないので、愛のためには生命を捧げるのが当たり前なのです。このように、これは収拾しておかなければなりません。そうすれば、人生を真に生きる道はどこなのかという結論が出てきます。
生命が愛から生まれたので、愛の道を行かなければならず、愛のために死ななければならないという結論が出てきます。小宇宙ではなく大宇宙が歓迎できる愛を探して、神様が公認し、天使世界が公認し、万物が、ひいてはわが父母が公認できる大宇宙愛の中に現れ、その中で愛し、死んでいくのが人間が生まれた目的だと見るのです。
人間とは、自分が希望して生まれた存在ではありません。それなら、お父さんとお母さんの希望によって生まれたのでしょうか。そうではありません。神様の希望によって生まれたのです。神様の身代わりである父母の愛を通して生まれたのです。神様の身代わりである父母の愛を通して、新しい生命体として生まれたのが「私」です。そして、愛は全体を創造する力をもっています。宇宙の愛のすべてを受けて、全宇宙の中心的な存在として生まれたのがまさに「私」です。
愛によって生まれ、愛のよって育てられ、愛のよって生き、また愛を残すのが人生において最高の目的です。自分の家庭で、天宙の中心である愛の使命を果たすことが最も価値あることです。
人がなぜ生まれたかということを知らなければなりません。人は、知識や権力ゆえに生まれたのではありません。人は、愛のために生まれました。また、愛から生まれました。それでは、愛は何ゆえにそのように偉大なのでしょうか。それは生命の源泉であるからです。
皆さんは父母の愛の中から生まれたのです。お金を数えたり、知識をたたえる所から生まれたのではありません。このように愛の中で生まれたので、愛によって結実しなければならないのです。子供が必要なのです。夫婦と一つとなり、息子・娘という相対がいるとき、完全なのです。
人間自身も愛を離れては存在することができないのです。ですから、「私」の存在は、愛を元として生きていくといえます。すべての万物も、その存在の始まりが神様の愛から出発しています。万物の存在が愛を元として始まったとするなら、被造世界の中心存在である人間は、より一層愛によって出発した存在だということを否認することはできないのです。
人間は愛から出発し、愛によって円熟するため、愛の基準を離れては生きることができない存在なのです。