第1章 創造本然の真の家庭 : 三 神様の永遠なる愛の相対者 :

 神様がこの世界を創造されたのですが、私達が神様に、何ゆえにこの世界をつくられたのかと尋ねるならば、神様は間違いなく「善くて……」と答えるでしょう。「善くて」すなわち喜びのために、喜びを得たいがために、神様はこの世界を創造されたというのです。
 ところで善い状態、すなわち喜びはどのようにして得られるのかといえば、愛の形態を通して得られるのです。ですから神様は、愛の実現を通して喜びを得るためにこの世界を創造されたのです。そのような結論を私たちは得ることができます。愛の実現のためにこの世界を創造された神様であられました。
 人間と万物が神様の愛を中心に一つとなり、和気あいあいとした愛の関係を築くのを見て喜ぶために、そして人間が神様の愛を中心に一つの真の夫婦の因縁を結び、一つの真の愛の家庭と氏族、民族、世界を成すのを見て喜ぶために、そして、そのような人間と愛で一つになることによって愛の喜びを味わうために、被造世界を創造された神様であられました。
 まさにそれが神様の理想だったのです。

 神様の夢はただ一つ、愛の理想を実現することでした。ところが愛の理想の実現は、神様お一人では果たせないのです。愛とか幸福、喜びなどは一つの個体を中心として成り立つようになっているのではありません。相対圏がなくては絶対に成立することができないのです。

 神様は絶対的な存在ですが、愛の相対となる存在がなければなりません。神様の愛の相対者はまさに人間なのです。
 神様の愛の相対者として人間が、完成した愛をもって神様の前に現れるとき、神様は幸福の神様、喜びの理想を得た神様となるのです。

 神様には人間がなぜ必要なのでしょうか。神様の理想を実現するのに人間がなぜ必要なのかというとき、「神様の愛を完成するために必要なのだ」と言うことができます。神様の愛とは何でしょうか。それは、人間同士、永遠に見て愛し合うのはもちろんですが、神様をして人間を永遠に愛し得るようにさせるものだともいえます。人間はこのように神様の永遠の愛の相対者なのです。
 アダムとエバを創造されたその日から、神様は永遠無窮に、アダムとエバをどんなに見ても、もっと見たいし、どんなに一緒にいても、もっといたいし、どんなに一緒に住んでも、もっと住みたいという対象として愛したかったのです。そのような対象をもつことが神様の創造理想です。