第3章 家庭は天国の中心模型 : 七 人間の永遠の本郷は家庭 :

 家庭、家庭はいいところです。どうしていいのでしょうか。お母さんとお父さんがいるからいいところであり、お姉さんとお兄さんがいるからいいところであり、弟妹がいるからいいところであり、親戚がいるからいいところなのです。ですから人間なら誰でも本郷の地、故郷を懐かしがる郷愁の心情をもっているのです。国よりも故郷にもっと想いを馳せます。大韓民国で暮らしながらも懐かしがるところが故郷です。大韓民国が好きで大韓民国に住みたく思いながら、また大韓民国で暮らしながらも懐かしいところはどこでしょうか。故郷です。故郷。故郷なのです。
 故郷はどのようなところでしょうか。私の心情を四方に、立体的に全部引き上げるところです。その心情とは何でしょうか。愛で結びつけるものです。上には父母が結びつけられ、左右には夫婦の因縁が結びつけられ、下には子女、親戚が立体的な愛で堅く結びつけられているところが本郷です。人は愛を中心とした幸福の基点を最高に望むので本郷を慕わざるをえないのです。
 では神様の本郷はどこなのでしょうか。この地球星において神様の本郷の地はどこなのでしょうか。これは考えなければならない問題です。愛の神様ならこの地上で生きていける基点を必ず準備されたはずですが、その基点はどこでしょうか。それを知るためには神様がその基点を準備するためにどのようにしてこられたのかを知らなければなりません。
 神様の家庭を準備することのできる本郷の基点になりうるところはどこなのでしょうか。他のところではありません。神様を本当の父だと思う息子がいるところです。すなわち、神様の愛を独占することのできる息子、ひとり子がいるところです。またそのような娘がいるところです。そうしてその息子・娘が結婚して完全な家庭を築くところです。

 ではその本郷の地には誰がいなければなりませんか。見たい人たちがいなければなりません。父母がいなければならないし、兄弟がいなければなりません。また会いたい方がいなければなりません。またそこにはいっしょに住みたいしいっしょに住みたいのに一瞬会うだけでいいでしょうか。ちょっとだけ会って済むでしょうか。彼らに会って彼らと共に住むにおいては永遠に永遠にいっしょに住んでも嫌になってはいけません。そのようなところを探していかなければなりません。そこが今日、宗教で目指す天国なのです。

 今日私たちが本郷の地を慕うのは、その本拠にはどこの誰よりも近い父母がいるし、兄弟がおり、親戚がいつも私を導いてくれ、また私がいかなる時に訪ねていっても私を昔のように迎えてくれ、私に困難なことがあればその大変な事情に同情し慰労してくれ私を喜んで迎えてくれるからです。もしそれがなければ本郷が懐かしく好きで訪ねていっても切実に慕っていた当時の心情はなくなりかえって嘆息の条件をもって帰ることになることを知らなければなりません。本郷の地には必ず迎えてくれる人がいなければなりません。